第4話 スナイパーJK、異世界転移する その4



 それから一時間ほど経ったろうか。



 ちょうど集中が緩み、さりとて雑談に興じる気になれない程度には疲れが溜まってくる時間帯だ。


 一向に現れない標的を待ち続けるのは、精神的にもしんどいものがある。



 突然、階下からターンと固い物が砕け散る音が響いてきた。



『また落下物? このタワマン、ボロ過ぎくね』『欠陥住宅だったりしてねー』

『うちらがいる間だけはっ、倒壊しないで欲しいけど』



 慣れっこになってきて、リップを塗り直しながら話してる子までいる。


 この辺りの建物は、どれも似たり寄ったりに老朽化していて頻繁に落下物があった。


 壁やガラスの一部が崩れ、地球に向かって墜落していくのだ。



 下の階には大きく壁がえぐれ、階層がまるごと剥き出しになってる場所まである。


 リビングも元は全面ガラス張りだったんだろう。


 教室並みの広さを持つ空間が今はただの吹きにさらしになっていて、寒いし外から丸見えだしで、とても長時間いられたものじゃない。


 ただ、私たちが身を潜めるベッドルームは案外、普通の部屋という感じがした。



 また下でビルの破片が砕ける音がした。


 最初はいちいちタブレットで落下物の正体を確認していた未冥みめいも、疲れた目をほぐすように何度も目をつむるだけだ。



 私もわずかに視界がかすむのを感じ、眉間にしわを寄せて目を細める。


 スナイパースコープの向こうでは、もともとカーテンだったらしきボロクズが揺れていた。


 それが気まぐれに動きを止め、ふわりと空気をはらんでゆっくりと垂れ下がっていく。



「風が、止んだ?」


 直後に大気の震えのようなものが走り抜け、ぞわりとうなじが総毛立つ。


 ダーンという音はずいぶん遅れて届いたように感じられる。



『落下物、じゃないよね』『誰か撃った?』『いや、だいぶ遠かったっしょ』

「音的に千は離れてるよ。誰か発砲炎、見た!?」



 クラスメイトの反応は鈍く、私は歯がゆくなって叫ぶ。


 それでもまだみんなは半信半疑という感じで、近くに他の部隊が展開してるんじゃないかと言い出す始末だった。



 いや、それも仕方がないのか。


 スナイパーライフルの射程が千三百あるといっても、通常レベルの狙撃手が安定して命中させることができるのは三百メートル程度。


 ベテランでも六百メートル。



 それ以上の距離から狙うのは運の要素が大きいというのが定説だ。


 なのに千メートル以上の距離から遮蔽物しゃへいぶつに身を隠す私たちを狙うなんて、普通ならば考えられない。


 みんなはまだ〈鮮血せんけつ白百合しろゆり〉が来てる、という情報を知らないのだ。



 だが私はそこで、ゾッとする事実に気づいてしまう。


「待って、マユは? さっきからマユがしゃべってない!」

『あっ、あいつトイレ。音聞かれたくないから、他の階行くって』



 マユとバディを組むメグが、あっけらかんと言う。

 ルールよりも乙女心が優先される、女子高生の悪癖が出た。


 たちまち未冥みめいの顔が苦渋に歪められる。



「ひとりにしたの!? なんで報告しないのよっ」

『で、でも、マイク切ってるだけかも』



 だとしても、私たちの声は聞こえてるはずだ。



「マユ? 聞いてるならノイズでもなんでもいいから音出して、マユ!?」



 返事を待つ間も私は敵の発射位置を探り、スコープを動かし続けていた。


 発射音から推測される距離と方角から狙撃手が潜んでいそうなビルを推測し、ひとつひとつ窓を確認していく。



 だが、いない、いない、いない!

 このビルじゃないの?


 けどそこで、白いもやのようなものが小さくたなびくのを発見した。

 バカな! 思わず息を呑み、思考は喉につかえてすぐには言葉にならなかった。



『ちょっと、マジで返事ないんだけど? 様子見に行ったほうがいいんじゃ』


「絶対ダメ! たぶん戻ってくる途中で撃たれたんだと思う。

 だったら、あんたまで敵の射角に入ることになんのよ」


『マユが心配じゃないの!? あの距離なら急所は外したかもしんないじゃん』



「ねえ……」



 メグと未冥みめいが言い争うところに、私は空気を読まずに割り込んだ。



「距離千百、十時の方向のビル。サーマルスコープで見れる?」

「えっ、どこ?」



 未冥みめいは観測手用の高性能スコープを温感モードに切り替えている。



「三十五階の辺り」



 ヘッドセット越しに、みんなも息を呑むのがわかった。



 一番下にいるサキたちのバディが十階、私と未冥みめいのバディは十五階に陣取っている。


 それより上の階からでは、かえって地上の標的を狙うのが難しくなるからだ。



 マユたちが二十五階に配置されていたのは、狙撃のためというより想定外の事態に備えた見張りという意味合いが強い。



 なのに三十五階。

 明らかに地上の標的を撃つための高さではなかった。



 ビルの中に潜んで警戒任務にあたるスナイパー――

 つまり、最初から私たちをターゲットにしてたとしか思えない。



 当然ながら、戦闘において上を取られれば圧倒的不利となる。

 下から上を狙う場合、床が邪魔で充分に射角を取ることができないからだ。



 反対に上からは、うつ伏せに伏射姿勢ふくしゃしせいを取る私たちはいい的でしかないだろう。


 私はベランダに繋がる掃き出し窓の脇に身を寄せ、座り撃ちの姿勢に切り替える。



「サーマルスコープ、まだ?」

「この距離じゃ確定出せない。でも、たぶんもういない」



 温感サーマルスコープは、その名の通り温度の差を赤から青に色分けし視覚的に映像化してくれるものだ。


 いわゆるサーモグラフィのことと考えればわかりやすい。



 だが遠過ぎると、上手く検知できなくなってしまう。

 まさか、こちらの装備の性能がバレている?



 敵がすでに移動してるなら、もっと私たちを狙いやすい位置まで降りてきた可能性が高い。


 けど正確な位置がわからない以上、下手に動くわけにはいかなかった。



『みんな、ごめんね……』



 そのとき、無線越しにかすれた声が聞こえてきた。



『マユ!? マユ、生きてんの? 今行くから!』

「馬鹿!」



 命令を無視して駆け出したのは、きっとメグだろう。


 責任感の強い未冥みめいのことだ。

 仲間を止めようと反射的に身体が動いてしまったのか、わずかに頭を上げる。


 同時に一千メートルの彼方から星がままたくよりも小さな光。

 永遠にも感じる一秒のあと。



 いきなり背後の壁が爆砕した。



 遅れて届いた衝撃波が音を斬り裂く烈風となってすさび、

 超音速の飛翔体が廃墟のベッドルームを貫いていったと理解する。



 私は限界まで頭を下げて破片を浴びながら、モルタルの壁が粘土みたいに引き裂かれてできた穴を凝視ぎょうししてしまう。


 明らかにスナイパーライフルの威力じゃない。



 そこへ視界の端から、空っぽのヘルメットがからからと音を立てて転がってきた。



 いや待て、きっと違う。

 だから見なくていい、確かめる必要はない。



 でもイヤな予感で胸が潰れるほどに圧迫され、息をするのも難しかった。



 私の隣で、長谷川はせがわ 未冥みめいは耳から血を流して倒れていた。




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