第97話 あのとき、JKスナイパーは相棒から固く信頼されていた 9-3



 わからない、私は率直にそう答えていた。



 なにせ〈庭〉では訓練中はもちろん、自室以外では常にマスクを身につけることが義務付けられていて、同じ施設で育った私でさえ他の子たちがどんな顔をしてたのかも知らない。


 今でも素顔をそのままさらすことに若干の抵抗があるくらいだ。



 あのなかに真っ白な髪の非人間的な容姿をした子がいたと言われても、ありえると思える程度には過酷な環境だった。



「ま、歌舞伎かぶき連獅子れんじしみたいな白髪の女子高生が実在するかって聞かれたら、私も信じてるわけじゃない。

 だけど近塔こんどう、あんた前に言ってたわよね?」



 未冥みめいは顔から緊張を解いて、笑みを浮かべて見せる。



「有名になるような狙撃手は二流だって」


「それは……」


「あんたがスコアを少なく申告してるのを知ったときは正直バカらしいと思ったけどさ」



 ……思ってたんだ。



「今はあんたの言う通りかもって」



 彼女は笑みを浮かべたまま、熱のこもった瞳でまっすぐに私のハートを照準する。



「〈鮮血せんけつ白百合しろゆり〉を仕留める狙撃手がいるとしたら、この戦区じゃ近塔こんどう、あんただけだよ。

 いざってときは班のみんなを守ってよね」



 最後に未冥みめいは照れ隠しのようにそっぽを向いてしまう。



「ま、こんなところに現れるとは思えないけどさ」



 そのときは私もまだ、フラグやめてよと突っ込む程度には余裕があった。



 思い返せば、未冥みめいは常識のない私に根気よくつき合ってくれた。


 この赤い瞳はあまりに非生物的な輝きを放っていて、お人形の目玉に人工の宝石を引っつけたと言われたほうがしっくりくるくらいだ。



 おかげで、ひと目見て〈庭〉の出身者とわかってしまう。



 ヤバいヤツと敬遠されるほうが普通で、実際、私も含めてあそこにまともな子なんてひとりもいない。


 オシャレも恋バナも、みんなが行くチェーン店での注文の仕方も、私に戦場以外での生き方を教えてくれたのは未冥みめいだったように思う。



 そんな彼女から受ける信頼はとても心地よく、胸の奥を柔らかな暖かさが満たしていく。


 だからだろう。



 有名になりながら、なお生き残るような狙撃手は別格だ――

 その言葉はついに口にできなかった。




 もっとも、辺りの景色が夕暮れに染まり始めるまで何事もなく過ぎていった。



 さすがに集中が緩み、さりとて雑談に興じる気になれない程度には疲れが溜まってくる時間帯だ。


 一向に現れない標的を待ち続けるのは、精神的にもしんどいものがある。



 突然、階下からターンと固い物が砕ける音が響いてきた。



『また落下物? このタワマン、ボロ過ぎくね』『欠陥住宅だったりしてねー』

『うちらがいる間だけは倒壊しないで欲しいけど』



 この辺りの建物は、どれも似たり寄ったりに老朽化ろうきゅうかしていて頻繁ひんぱんに落下物があった。


 壁やガラスの一部が崩れ、地球に向かって墜落していくのだ。



 下の階には大きく壁がえぐれ、階層がまるごとしになってる場所まである。


 リビングも元は全面ガラス張りだったんだろう。


 教室並みの広さを持つ空間が今はただの吹きさらしになっていて、寒いし外から丸見えだしで、とても長時間いられたものじゃない。



 ただ、私たちが身を潜めるベッドルームは案外、普通の部屋という感じがした。



 また下でビルの破片が砕ける音がした。


 最初はいちいちタブレットで落下物の正体を確認していた未冥みめいも、疲れた目をほぐすように何度も目をつむるだけだ。



 私もわずかに視界がかすむのを感じ、眉間にしわを寄せて目を細める。


 スナイパースコープの向こうでは、もともとカーテンだったらしきボロクズが揺れていた。


 それが気まぐれに動きを止め、ふわりと空気をはらんで垂れ下がっていく。



「風が、んだ?」



 直後に大気の震えのようなものが走り抜け、ぞわりとうなじが総毛そうけつ。


 ダーンという音はずいぶん遅れて届いたように感じられる。



『落下物、じゃないよね』『誰か撃った?』『いや、だいぶ遠かったっしょ』

「音的に千は離れてるよ。誰か発砲炎、見た!?」



 クラスメイトの反応はにぶく、私は歯がゆくなって叫ぶ。


 それでもまだみんなは半信半疑という感じで、近くに他の部隊が展開してるんじゃないかと言い出す始末だった。



 いや、それも仕方がないのか。


 スナイパーライフルの射程が千三百あるといっても、通常レベルの狙撃手が安定して命中させることができるのは三百メートル程度。


 ベテランでも六百メートル。



 それ以上の距離から狙うのは運の要素が大きいというのが定説だ。


 なのに千メートル以上の距離から遮蔽物しゃへいぶつに身を隠す私たちを狙うなんて、普通ならば考えられない。


 みんなはまだ〈鮮血せんけつ白百合しろゆり〉が来てる、という情報を知らないのだ。



 だが私はそこで、ゾッとする事実に気づいてしまう。


「待って、マユは? さっきからマユがしゃべってない!」

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