5 婚姻も雇用です

 公爵家には、四面がガラス張りでドーム状の温室がある。


 王宮にも外に草木が植えられてある一画はあったけれど、手入れが行き届いていなかった。対して公爵家の温室は、規模は小さいながらも隅々まで美しく草木が伸びている。差し込んでいる陽光が、なんとも趣深い。


 そんな趣深い温室の一室で、フェリシアは腿を枕として貸し出していた。


(この方が、おそらくリーシュナ公爵閣下よね。昨晩はあんなに胸が高鳴ったけれど、今見るとそうでもないわ。お姉様か妹様がいるのか確認したいな……)


 腿に乗せた頭を見下ろし、そんなことを考える。


 フェリシアは婚姻あるいは雇用契約の挨拶を正式にしようと探し回っていたところ、温室で倒れているリーシュナを発見したのだ。

 華奢に見えたが成人男性を運ぶこともできず、放っておくわけにもいかないので、人を呼んで膝枕をすることにしたのである。


 勢いよく倒れたのか、額が仄かに赤くなっている。


(顔が真っ白だわ。栄養失調気味かしら)


 リーシュナの整った顔をまじまじと眺めていると、その薄い瞼が僅かに動いた。


 無機質に感じられた白い顔が、フェリシアを認めて途端に歪められる。


「……誰だお前。離れろ」

「倒れてらしたのですよ。お嫌でなければ、このまま休まれたほうがよろしいかと存じます」


 顔色が悪いが、元々肌が白いのか、気分が悪くて青みがかっているのかは定かではない。

 起き上がろうとしたリーシュナを自分の腿に押し付けるようにして、再び横にさせる。


「ここを去れと言ったはずだ」

(誰だお前と言う割には、昨晩会った女であると認識してくれているよう……)


 しかしその語気の強さに反して、フェリシアの腿を枕にしたままだ。


(そう言われても、決まった縁談なの……)


 リーシュナ以外は皆知っている。


 ニコ……と微笑んでおくと、リーシュナが舌打ちをして起き上がった。その腰に手を伸ばし、あるべきものがないことに気がついたようだ。

 鋭い眼光を向けられた。


「返せ」

「……私を撃たないなら」

「分かった」

「……」


 リーシュナが気を失っているうちに、昨晩向けられた筒状の武器を奪っておいたのだ。金と黒の装丁が施されており、武器というよりも美術品のようである。


 ニコリと整った笑みは、フェリシアの意向に従うと言ってわかりやすく伝えている。フェリシアは警戒をあらわにしながらも銃を手渡した。


 しかし、リーシュナは銃を手に取るやいなや、その銃口をフェリシアの額に押し付けてきた。


(……撃たないって言ったから)


 この男の無機質な細い目が、異常なほど恐ろしい。しかしそれでいて、惹き込まれるような、形容し難い魅力がある。


「可哀想に、抵抗する術も持たないか。怖いなら早く出ていったらどうだ」

「私なりの誠意でございます」


 見据えてそう言い返す女に、リーシュナが訝しげな表情をする。


「……何かできるとでも?」


 言い終わらないうちに、フェリシアは先の尖った木の枝を素早く手に取って、リーシュナの首に添わせた。そのまま、触れるか触れないかの隙間を持たせて、シュ、とゆっくり枝を動かす。

 その枝の動きを、リーシュナが視線だけで捉えている。


「それはご要望でしょうか」

「調子に乗るなよ」


 ドン、と耳元で大きな破裂音が鳴った。

 しかし、約束には違わずフェリシアを撃たなかったようだ。背後に胸から赤い血を流す鳥が横たわっている。


(鳥……。今日の夕食かしら)

「銃を見たことがないか」

「え? ええ。初めて見ます」


 銃口に、ちょんと指を置く。金属らしい冷たく滑らかな感触だ。


(爆発物っぽいと思ったけれど、熱くないわ。鉄製ね。何かの魔法のよう……)


 リーシュナは、躊躇いなく未知の武器に触れるフェリシアを一瞥し、その手に銃を握らせた。


「……?」

「それで自分を撃て。新しい道具を使ってみたいだろ」

(……使ってみたくはないけど……)


 にっこりと美しい微笑みを向けられている。

 フェリシアは銃を見つめてしばらく考え込み、再びリーシュナを見つめて口を開いた。


「どうして?」

「鬱陶しいから」

「ここに嫁いだ身です」

「だからなんだ。俺は同意していない」

「それなら、撃てたらお嫁さんにしていただけますか?」


 一歩も引かないどころか条件を足すと、リーシュナが苛立ったように顔をしかめた。

 フェリシアの銃を持つ手を握りしめ、その銃口をこめかみに押し当てる。


「できるのなら」

「できるわ」


 フェリシアはそう言うと同時に目を瞑り、引き金を引いた。

 頭に振動が伝わってはいるが、まだ生きているようである。


「?」

「耳大丈夫です?」


 銃口を手のひらで覆うようにして、昨晩駆けつけた騎士と思われる男が、背後から見下ろしていた。

 フェリシアは銃を置くとその男の手のひらを眺めたが、穴は空いていないようである。


「む……」

「弾入ってないんで大丈夫ですよ」

(弾をものすごい勢いです押し出す、ということかしら)

「へえ……。フェリシアといいます。公爵閣下のお嫁さんです」

「アサギです〜」


 アサギと名乗る男の腕には、リンゴや桃などの果物の入った籠が携えてある。


 ほわほわと微笑み合う二人の横で、リーシュナがあぐらをかいてつまらなそうな顔をしている。

 

「客だろ」

「たった今約束しましたから」

「誰のお嫁さんになる、とは聞いてないな」

「……」

(言ってないな……)


 にやにやと笑うリーシュナを、フェリシアはムーッと顰め面を作って睨んだ。今の茶番には何の意味もなかったようだ。


 アサギは頬を膨らませているフェリシアから銃を奪うとリーシュナに放り投げ、その隣に腰を下ろしている。


「あんた、いい加減人試す癖やめた方がいいですよ」

(あんた……)


 リーシュナは銃を片手で受け取ると、リンゴを押し付けてくるアサギの手を押し返している。

 ほのぼのとした光景であるのに、差し出されたリンゴを拒むリーシュナの手の甲には、血管が浮き出ている。


「……なぜ知らない人間を報告なしに入れるんだ。殺すのはいいが処理が面倒くさい」

(殺すのはいいんだ……)

「俺じゃなくてレイですよ。大体この人は、辺境伯殿の所から来たご令嬢です。聖女らしいですよ」

「聞いてない」

「だって帰ってこないじゃないですか。寂しいですう」

「気持ち悪い!!」


 そう言って投げ捨てられたリンゴが、固い石の地面にぶつかって小さく跳ねた。


(仲良さげだ……)


 フェリシアはすっかり空気になってしまっている。結局自分の所在がどこに落ち着いたのか分からない。


 ため息をついてリンゴを拾い、傷んでしまった片側を眺めながら元いた場所に戻ってくると、二人から一身に注目を浴びせられていた。


「……? どうぞ」

「いらない」


 アサギにも返そうとしたが、受け取ってもらえなかった。


(他人の手に渡った食べ物を、公爵閣下は口に入れないということかしら。もったいないから私が食べちゃお)


 リンゴを両手で持ってその用途に思いを馳せていると、リーシュナが不機嫌そうな声を発した。


「おい、フェ……リア……アッシュベリーの女」

「ああ〜惜しいですフェリシアです」

「どうでもいい。身分を示せ。なければ出ていけ」

「ほお……」


 ほぼ身一つで来たため、特に身分を示せるようなものがない。持ち物と言えば、地図と白い封筒くらいだ。


(由緒があればいても良いとでも言うのかしら。こんなにも殺されかけているのに。……そう言えば、封筒は雇用主に渡せと申し付けられていたような。身分証明書に違いないわ!)


 そう思いたち、肩掛けカバンから、ローゼルから渡されていた白い封筒を取り出した。

 頭を下げてリーシュナに恭しく渡しながら、丁寧に告げる。


「アッシュベリー公爵家から参りました。嫁いできたと申し上げましたが、ここで雇っていただけないでしょうか」


 そもそも、嫁ぎに来たのではなく雇用を探しに来たのだ。フェリシアはまだその願望を捨ててはいなかった。


 言い終わらないうちに封筒が乱雑に奪われ、雑に開封されている。

 驚愕の顔で硬直するリーシュナの横で、アサギが声を抑えて笑っている。


「セシリア」

「フェリシアです」

「王国では、嫁ぐことと雇われることは同義なのか」

「? そのような風説はないかと。対価に愛を得られるのが婚姻契約、賃金を得られるのが雇用契約だと存じております」

「……その是非はおいて、それならなぜ雇えと言ってこの紙を渡すんだ。馬鹿かお前」

「はい?」


 フェリシアは、リーシュナから差し返された紙を受け取ると、その文面をまじまじと眺めた。

 封筒には、これ一枚しか入っていないようである。


「これは…………帝国の婚姻証書ですね」

(叔父様、何を考えているのかしら……)


 アサギが声を立てて笑っている横で、フェリシアは婚姻証書を再び畳むとリーシュナの胸元に押し付けた。


「そもそもとして、アッシュベリーの当主と、シュローレンの当主間で既に成り立っている契約です。都合も良いので、こちらの婚姻証書を雇用契約書に致しませんか?」


 常識外れなその提案に、リーシュナの濃い灰色の瞳が困惑に揺れている。


「……お前、本当にアッシュベリーの娘なのか」

「はい。愚図の三番目ではありますが。その封蝋に、家紋が記されてあります」

(今気が付きましたけど……)


 リーシュナは、確かにアッシュベリー公爵家の家紋が掘られている封蝋を一瞥し、不愉快そうに顔を歪めている。

 その封筒をアサギに押し付け、フェリシアに冷たい視線をよこした。


「何ができる?」

「何もできません」

「聖女なんだろう」

「はい。昨晩申し上げた通り、偽の聖女です」


 つまり、「偽の聖女」という悪名だけを冠しているただの凡夫だ。

 キリッと真面目な顔をしてそう言うフェリシアに、リーシュナが話にならないと言いたげな舌打ちとともに立ち上がった。

 

「無能は死ね」


 そう一言を吐き捨て、アサギとともに去っていった。

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2024年10月2日 07:30
2024年10月2日 18:30
2024年10月3日 07:30

偽聖女は残虐公に愛されたい 三辺 志乃 @minabe_shino

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