4 初めまして、旦那様

 主不在というのに、フェリシアはすんなりシュローレン公爵家に受け入れられた。


(王国の聖女の悪い噂は、帝国にまで届いてはいないのかしら。帝国まで名を轟かせていなければ、あの麗人には気づいていただけないような気がするわ……)


 勝手にお邪魔している申し訳無さを感じてはいたのだが、日が暮れきると屋敷は幽霊でもでそうなほど暗く、人もいないために誰に遠慮することもなかった。


 レイが渡してくれた服に着替え、強引な案内に従って一室へと向かう。


「あの、ただの不法侵入ではないですか? 私」

「毎回そうですよ。お祖父様から贈られてきた女の人が勝手に居座るのが定石です」

「なんか嫌な家……」


 知らない人間が知らないうちに婚約者になっているなどただの悪夢だろう。わかっていながらも、行き場もないために、暗い洋館の狭い一室にお邪魔している。


「ねえ、なんだか服が薄くないかしら」

「オリエッタ様の趣味です。似合ってますよ」

「いやだな……」 

 

 素敵ではあるけれども無駄に薄く谷間の露わになっているナイトドレスに着替えさせられている。


(着心地は良いけれど居心地が悪いわ……)


 部屋に押し込められると、与えられた部屋の無駄に大きい寝台で横になった。寝付けるはずもなく、大の字になって寝転ぶ。


(恋をするつもりだったのに、このままでは見知らぬ方のお嫁さんになってしまうわ。王国の嫌われ者を押し付けられるなんて、か、可哀想……)


 上掛けを頭まで被って寝返りを打つと、ガタリと音を立てて部屋の戸が開かれた。布越しに人影が見えるが、顔まではよくわからない。

 コツコツと規則正しい足音が、寝台へと近づいている。


(忍ぶでもない足音、この部屋に入って当たり前と思っているわね。なるほど、この部屋は逃げたと噂の奥様の部屋で、この方は多分公爵閣下だわ!)


 自分で出した結論に、フェリシアは身を固めた。


 深夜に夫が妻の寝台に来るなんて、目的があまりない。しかも、逃げた奥様の部屋と教えずにフェリシアを案内した侍女、着せられている扇情的な服。

 

(あ……どうしようかしら。既成事実? どうしようかしら……)


 必死に寝たふりをしている間にも、ギシリ、と寝台が軋んでいる。

 ギュッと目を瞑っていると、腹部に触れた細い指がピタリと止まった。


(……あれ?)

「──胸がある。誰だ」


 その低い声に、緩慢に目を開けた。


 フェリシアは、月明かりに照らされたそのかんばせに、僅かに息を呑んだ。


 先の跳ねた短い銀の髪に、髪の毛より濃い灰色の瞳。すっと通った鼻筋に、口角は上がりそうにもない薄い唇。

 自分に向けられている感情は横において、フェリシアの脳裏は一つの情報が占有していた。


(……あの女性にそっくり! お姉様とかいらっしゃるかしら?)

「偽の聖女でございます」

(はっ。挨拶の仕方を間違えたわ)


 身分を名乗ろうと思ったのに、「聖女」という身分を名乗ることが染み付いていた。

 帝国では、聖女と名乗ったところで何の意味も成さない。ここでは、フェリシアはただの公爵令嬢ということになるはずだ。


「ここを去れ」

「わたくしの独断では動けません」

「ならば死ね」


 そう言うやいなや、見たことのない筒状の武器を頭に当てられた。当てられる寸前に咄嗟に腕を握って軌道を逸らしたのだが、ドォンとくぐもった音が耳元で鳴り響いている。

 

 壁に視線をやると、壁が抉れてパラパラと細かい粉末が散っていた。


(……帝国製の、新しい武器かしら。すごい威力……)


 この武器で頭を撃ち抜かれていたら、フェリシアは一瞬にして命を落としていただろう。


 再び自分に跨る男に視線を戻し、仄かな殺気に身を震わせた。屑を見下すような、冷たい視線を向けられている。

 

(……怖……)


 フェリシアはその恐怖とは裏腹に、ほぼ無意識に、習慣的に、男の喉を押し込もうとその細い首に手を伸ばしていた。

 男はフェリシアの腕を握りしめてその動きを止めたようだったが、僅かな驚きをはらんだ視線を向けてくる。


(……はっ! 公爵様を殺そうとしてしまったわ)

「──お前」

「どうしました!?」

(誰?)


 今の破裂音を聞いて、男性が一人駆けつけたようだった。かなり背が高く、梁に頭をぶつけそうだ。


 男は、扉を開けたまま二人を見て固まっている。


(武器を持っていないけれど、駆けつけるということは騎士なのかも。この方を守る騎士となると、相当な手練れね。私、捕まっちゃうのかしら)

「ご、ごゆっくり〜……」

(あれ?)


 家主の首を絞めかけているのは一目瞭然だというのに、男は激励とも取れる言葉を残して早々に去っていった。


 フェリシアは去っていく騎士に視線をやり、男を見るリーシュナを見やった。その顰められた顔には、明らかな不満が滲み出ている。


(仲悪いのかしら……。主従関係って、仲良くなりようがないものなのかも)

「今俺を殺すならどうする」


 その聞いたこともない質問に、きょと、と目を丸くした。


(そんなことを聞いて、見知らぬ女の何を判断しようと言うのかしら……)


 フェリシアは少し逡巡した後、にっこりと微笑んでこう言った。


「私が貴方を殺せるわけが、ないではないですか」


 その返答に、男がさらに顔を歪めて渋面を作っている。しかしこの緊迫した状況にありながら、フェリシアは笑うのを抑えられなかった。


 今まで生きてきた中で、これほど楽しいと感じたことはない。

 不敵な笑みにその高揚感を滲ませ、再び口を開く。


「でも、扉の外で聞き耳を立てている騎士さんに向けて叫べば、社会的には殺せるかもしれません」


 先程から、扉の外から僅かに呼吸の音が聞こえる。気を利かせて出ていったように見えたが、まだ様子を窺っているのだろう。


 フェリシアは、トン、と自分のこめかみに人差し指を置き、再度口を開いた。


「そうされる前に、私を殺しますか? 死にたくないので抵抗はします。もし殺すなら、その奇っ怪な武器で、きっちり私の頭を飛ばしてくださいね」


 そう言って挨拶代わりに微笑んだのだが、気分を害してしまったようだ。


「明日までに出ていけ」


 男は小さく舌打ちをすると寝台から降り、振り返らずにスタスタと扉へ向かってしまった。

 フェリシアはその背に向かって、早口で捲し立てる。


「リーシュナ・シュローレン公爵閣下! わたくしフェリシアヴィリデアッシュベリーと申します! 今日も遅くまでお疲れ様でございます、ゆっくりお休みください!!」


 聞こえたのか定かではないが、リーシュナは後ろ手に戸を閉めてしまった。そのまま去っていく規則的な足音が聞こえる。


「……胸の高鳴り……」


 ベッドに大の字に寝そべって、暗闇の中フェリシアは一人そう呟く。


 自分の感情すらもはやよく分からないけれど、なんだか今日は楽しかった。

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