第9話

 休日の学校訪問にはそれなりの理由がないと入れないため、私はインターフォンで勉強をするための教材を忘れた、と言っていれてもらう。

 勉強を盾にすれば学校側も断ることはできないだろう。こんな時に嘘をつくのは多少の罪悪感を感じるが、今はそれどころではなかった。


 莉子からの連絡から四十五分ほど経っているため中条くんが帰っていることも有り得る。そのため私は急いで彼が反省文を書いているであろう私たちの教室へと足を向けた。


 教室を外から覗くと、書き終えたのか伸びをしている彼がいた。

 勢いで来たけどまだ何を話せばいいのか、どんな顔で会えばいいのか定まっていない。いきなり心臓がどんどんと鳴った。

 走ってきたせいもあるけど、それだけのせいでは無い。

 扉の前でどう声を掛けようかそんなことに頭を悩まさていると


………しまった。


 辺りを見回す彼と目が合う。

 私を見て驚いていた中条くんだが、ずっと見ていたはずの私も驚いた顔をしてしまった。

 こんなところで立ち尽くすことも不自然なので私は恐る恐る教室に入った。


「鳩山?」

「こんにちは?」


 訳も分からず挨拶してしまう。突然の挨拶に中条くんは戸惑っているようだったけど、すぐに優しい顔に戻った。


「何か忘れ物か?」

「うん。ちょっと教科書忘れて」

「真面目だな鳩山は。テストもまだなのに」

「学生の本分は勉強でしょ?」

「そうだな」


 やっぱり不思議だ。さっきまであんなにも緊張していたのに、彼と話すと自然と言葉が出てくる。何よりも安心する。


「俺もこれ書いたら帰るけど、ドーナツ屋でも行くか?」

「うん」


 だけど、そんな彼の優しい提案は今の私には棘が刺さったように痛かった。




 いつもの帰り道なのに休日が理由なのかいつもとは違うように感じた。

 活気づいた街並みとか、昼下がりとか、そんなんじゃない、少し間が開いたように感じる彼との距離。これは私の心理的な問題かも。


「なあ鳩山」

「うん?」


 優しい彼ではない、少し神妙な面持ちな彼を見て背筋が伸びる。


「ずっと思い続けるのと、諦めるのってどっちが辛いのかな」


 それはもう彼女とやり直すことは難しいということなんだろうか。

 甘い香りが充満する店内で、なのに彼は苦い顔をしている。いつものドーナツを買って、私のも買ってくれて、またいつものように改札を通る。それまで私は彼の質問をずっと考えていた。


「ごめん、さっきの忘れて」


 見たことない力ない笑み。それは見たくは無いほど脆弱で、弱気な彼だった。


「じゃあ」


 といつものように反対側のホームに向かう彼を、私はようやくその袖を掴むことができた。


「なんでそんな弱気なの?!」


 初めてこんなに大きな声を出した。喉が痛い。

 私の突然の絶叫に周りも意味深に私たちを見た。迷惑、なんて考える暇もなく私は彼に縋りついていた。


「なんで諦めるの?! まだ好きなんでしょ?!」

「なんでそれを?」

「ごめん前に勝手にスマホ見たの。優奈って子からのメッセージ、あれ別れ話だよね」

「まじか」


 彼は苦笑いを私に向けた。


「でもそんなこと重要じゃない! 確かに悪かったと思うけど、そうじゃない! 今大事なのは中条くんがどうしたいか、あなたの気持ちが知りたい!」


 まるでブーメランのように私に刺さる言葉を、私は彼にぶつけてしまっている。

莉子ごめん。やっぱり私には告白する勇気なんてない。でも、彼には幸せになって欲しい、彼には後悔して欲しくない。私のように。

 そう思えば不思議と言葉は湧き出る。


「簡単に諦めないでよ! 好きならもっと気持ちを伝えてよ! 今の中条くんの顔なんか、見たくないよ!」


 自然と涙が出てくる。悲しいし、寂しい。でも、くよくよして踏み出せない私よりいくらかマシで、告白できない私を少しは追い越せたような、そんな気がした。


「中条くんはどうしたいの? そう簡単に諦めるの? 教えて。私はあなたが……」


あたなが…………


「幸せになって欲しい」


 言わないよ。あなただけには。



「俺は――――別れたくない」



 私は今、失恋した。彼が気づくことも無いままに、私の恋物語は終わりを告げた。

 それでも笑って最後を迎えたい。


「だったら、簡単に諦めないで。ちゃんとその気持ちを伝えて。中条くんなら、大丈夫だから」


 ああずるい。そんな優しい顔で笑わないで。また私ばっかり好きになっていく。


「ごめん鳩山。ありがとう」


「またな」そう言って彼はホームへと向かった。

 いつものようでいつもとは違う反対側のホーム。やっぱり彼は私に手を振ってくれて、遠ざかっていく。

 空は涙色に染まっている。


 バイバイ、私の大好きだった人。どんなあなたも、私は大好きでした。


「またね」


 次に会う時は、彼はどんな顔をしているんだろう

 微熱を残したまま、すっと胸に風が吹いた。

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