2016-あの頃のわたしへ-

雨宮妃里

美しかった2016年

 タイトル『2016-あの頃のわたしへ-』


 ああ、しくじった。


 実に率直な感想であった。2016年の春、私は某有名芸能事務所の傘下企業が運営する養成所に入校したのだが、どうにも思い描いていた内容と違う。


 まず最初のレッスンで挫折を味わった。それは大きな鏡のある稽古部屋にて大人数で受講する「ダンス・レッスン」。そもそも私はダンスなんか踊ったことが無いし、言ってしまえば少しも興味が湧かない。


「そこ! やる気がないならさっさと出て行け!」


 講師の厳しい声が飛んだ時、ハッと思わされた。そうか。私は別にアイドルを目指していたわけではないのだと。


 では、どうしてこの場所に居るのか?


 それは前年に出場した高校生バンドコンテストの会場に来ていたスカウトマンから声をかけられたからだ。

 入賞を逃して悔し涙を吞んでいた時に「もしよろしければ弊社で芸能界を目指してみませんか?」と甘い言葉を囁かれ、ついつい乗ってしまった。それがガールズバンドとしてのデビュー話ではないとも知らずに。


 私は幼い頃からロックが好きで、高校2年生の時分には同級生と結成したバンド活動にのめり込んだ。軽音楽部の定期ライブや文化祭でオリジナル曲を披露するに飽き足らず「力試しをしよう」と意気込んで出場したのが2015年開催のコンテスト。そこでは全出場者23組中18位という結果に終わった。少なくともひと桁台の順位には届くだろうと踏んでいた私たちの自信は完全に打ち砕かれ、楽屋に戻って思わず号泣した。


 そこで声をかけてきたのが前述のスカウトマン。


「あなたの姿に光るものを感じた」だの、「順位では測れぬ魅力を持っている」だのと上手い言葉を並べ、まだまだ世間知らずな少女だった私たちをすっかりその気にさせ、あれよあれよと養成所入校の話を呑ませたのだ。


 当時の私たちは本当に馬鹿だった。その事務所の目的は次世代アイドルの育成。誰かが作った歌ではなく自分たちの歌で勝負したい私たちとは、最初から目指す先が違っていた。


 ちゃんと主旨を確かめておけば良かった。でも、私の居候先の叔母と面談した担当者は「ロックミュージシャンになれますよ!」とか何とか言ってたよな……なんて脳内で愚痴りながら、ふと隣に居たバンドの仲間たちと顔を見合わせる。彼女らも私と同じように講師に怒鳴られていたので、レッスンの途中だったが、5人でそそくさと大部屋を抜け出した。


「はあ。ぜんぜんダメだったね」


「ほんとそれな。ダンスがやりたくて来たわけじゃねぇっつうの」


「完全に騙された気分だわ」


 それから私たち5人は逃げるように退校手続きを行った。まだ事務所サイドと正式な契約を結ぶ前だったことが幸いし、違約金の類は払わずに済んだ。しかし、要約するに『大学の学費を出したくない』との理由で娘の芸能界入りを期待していた地元の親から大目玉を食らったことは言うまでも無い。


 暦を見れば7月の初旬に差し掛かっている。


 普通なら女子高生真っ盛りのはずの2016年の私は、見た目こそ赤髪にギャル風メイクと非常に派手だったものの、なかなか思い通りにならない現実に悩んでばかりいた。


 気温が30℃を超え始めたある日、バンドでベースを弾いていたNに合コンに誘われた。彼女の父親は社名を書けば誰もが知っているであろう某有名企業の役員を務めており、その娘であるNも顔が広かった。


「妃里だってさあ、たまには女子高生っぽいことしたいでしょ? LJKだよ? 楽しまなきゃ損じゃん?」


 Nの云うLJKとは、女子高生でいられる最後の年ということ。そりゃ私だって色恋の話にときめく心くらいはある。聞けば西船橋駅近くのカラオケ店で行う計画が組まれており、相手は他校生という。それm出席予定の男性陣は全員が私立の進学校に通っているそうで、偏差値30台の馬鹿学校に在籍する私とは何だか住む世界が違いそう。


 付き合うなら自分とは違う部類の男の人が良い――。


 そんな甘ったれた幻想を抱きつつ迎えた合コン当日。当然、私たちは未成年なのでソフトドリンクを頼むわけだが、一人だけ豪快に酒を飲む男が居た。


 その飲みっぷりは今振り返っても凄まじく、ビールのジョッキを瞬く間に3杯分も空けてしまった。


 おいおい、この人も私と同じ高校3年生だろ……飲んじゃって大丈夫か……と思いきや、自己紹介で21歳であると名乗ったものだから腰が抜けそうになった。


 曰く県西部出身という彼は、何と高校受験で3浪したという。私も船橋に来る前は地元の進学校に通っていたので高校受験で浪人する者の存在は何となく知っていたが、地元に居たのはせいぜい1浪だ。それ以上となると聞いたことが無い。


「えっ? どうして3浪も?」


「俺、家が貧乏でね。高校に入るカネを用意できなかったんだ。それで中学を出た後の1年間は我武者羅にバイトに明け暮れて自分で学費を稼いだけど、そのおかげで勉強にブランクが生じちゃって、2年目の入試は不合格。そして気付けば3年が過ぎてたってわけ」


「そんなことが……」


 高卒認定試験を受ける道もあったろうに、敢えて選ばなかったのはその高校の制服を着ることへの思い入れが深かったからだそう。幼い頃からの憧れであれば、3浪の苦学くらい屁でもないのかもしれない。


 ツーブロックに切り揃えられた黒髪に眼鏡、そして筋肉質な体という端正な容姿からは想像もできない、なかなかの苦労人。前の学校で人間関係に悩み、不登校を経験した私には何処かシンパシーをおぼえる部分があった。冷静に考えれば苦労の次元が違うのだが。


 時間が経つにつれ、会話はアニメや音楽、ゲームの話から、各々が思い描く進路について波及していった。

 進学校だけあって男性陣は全員が進学希望。当然ながら旧帝大志望である。


 ゆえに……という書き出しをしたら、全国の大学関係者の皆様からお説教を食らいそうだけど。その合コンに来た男たちは何処か私たちを見下し、あまつさえ嘲っているような線があった。


「まあ、難しいと思うよ。音楽業界で成功するのは」


「やっぱり堅実な人生を歩むべきだよね。普通に勉強して、国立の大学に行って、良い会社に入るなり、公務員になるなり。それが定石なんだよ」


「最低限、大学くらいには行かないとさあ」


 まるでバンドに夢中になっている私たちを愚かだと言いたげだ。彼らの上から目線の説教にカチンと来て、Nが「は?」と怪訝な表情で返す。


 すると前述の21歳男が口を開く。ビールを飲みすぎて酒が回ってきたのか。嫌味たっぷりの声色でまくし立ててきた。


「バンドで食えるわけないじゃん。君ら、音楽業界がどんだけ厳しいと思ってんの? 世の中を舐めてると痛い目に遭うよ」


「いや、これでも私たちはスカウトを受けた身なんだけど」


「その事務所の基礎レッスンすらまともにこなせなかった奴らに何ができるって言うんだよ。君らはただの根性無しだ」


 あまりにも食い気味な突っかかり方に、その場に居る全員の目が点になった。同輩に「まあまあ……」と宥められても収まらず、ついに彼は言ってのけた。


「あのさ。『石の上にも三年』って言葉があるだろ。 物事を三年も続けられないようじゃ何をやったって大成しないんだよ。そういう気概だからコンテストでも18位くらいにしかなりゃしないんだ。俺の言ってる意味が分かるか? 分からないならバンドなんかさっさと辞めて、今からでも無難な進路を模索することだ」


 その言葉に激昂してNが立ち上がり、掴み合いに発展しかけたところで宴はお開きとなった。


 元より私に色恋は向いていないのか。あるいは高校生の分際で合コンなどを催した事自体がそもそもの誤りだったのか――どちらにせよ、人生初の合コンが大失敗で終わった苦い経験は、価値観が合わぬ人と話すことの虚しさを私に刻み込んでくれた。


 それからというもの、私はバンド活動に以前ほど積極的ではなくなってしまった。私だけではない。Nを始めとするメンバー全員の心がみるみると萎えてしまったと記憶している。


 どうせ私たちは成功しないんだ。


 全てを例の3浪男の所為にするわけではないが、彼の言葉で自分たちは既に限界が見えていることを全員が悟った。


 以降、私たちは前年まで盛んに挑戦していたコンテストへの応募をぱったりと止め、学校および船橋近隣での活動を淡々と続けて卒業までの時を過ごすことになる。


 勿論、高校生活が全て暗かったわけではない。友人の語ったLJKという概念は胸に留めており、その時間を無駄にしないよう自分なりに努めてみたつもりだ。


 そう言えば本を読み始めたのもあの頃だった。親元を離れて船橋で暮らす私の身元引受人だった叔母の勧めで、年代を問わず様々な文学作品に触れるようになっていた。


 小説を読み漁った動機は、ひとえに音楽制作の表現の幅を広げたかったから。しかし、読書活動を始めてすぐに、小説が私に与える影響は作詞における上手い美辞麗句レトリック探しだけではないと気付いた。


 最初に手に都ってのはジッドの『狭き門』だった。あの物語の中で描かれる人間の葛藤や内面の探求に、当時の私はひどくのめり込んだ。主人公たちの純粋な思いと、それに伴う苦悩。あの当時の私の表現に欠けていたのは、こうした人間の深い感情を表現する力だったのかもしれない。


 サド侯爵を読んだのは問題だった。あれを読んだおかげである意味のニヒリズムに目覚め、挙げ句「夢なんか見ても仕方ないじゃん」と思うようになってしまった。将来なりたい理想像も無く、勉強にも身が入らないダラダラとした高校生活が、やがて後の私を無気力人間へと変貌させてしまうこととなる。


 とは云うものの、あの高3の夏の退廃的な時間はけっこう楽しかった。仲間たちとたむろして時間を浪費するだけの日々を青春と呼んで良いのかは分からない。それでも私にとっては自由度百パーセントの輝いたLJKライフだった。


 髪を赤色に染め、派手なメイクを施し、制服を着崩してスカートの丈を短く上げ、ギターを背負って登校する毎朝。


 そうして東船橋駅で友人と会い、セクハラ教師やバイト先の嫌味上司の愚痴を語らいながら総武線に乗って学校へ。遅刻スレスレで入った教室では大抵居眠り。


 まともに勉強をするのは試験期間中くらい……といえども、その試験すら「アルファベットを全て書きましょう」的な簡単な内容(それも高3の時点で)だから私にとっては勉強する理由すらない。


 学校が終わればバンドの練習に1時間程度顔を出し、それが無い日はティッシュ配りのバイトに行き、完全に暇な日は友人と合流し、学校最寄りの船橋駅近くのカラオケやゲームセンターに入り浸る。


 帰宅するのは毎日決まって23時を過ぎてから。


 居候先の叔母は「面倒を起こさないでね」と釘を刺すだけで姪の深夜徘徊を咎めることは無く、学校の校則も通信制だけあって緩かった。幸運にも、あの時の私には生活態度を口うるさく注意してくる大人が居なかったのだ。その荒んだ日々が夢や目標に向かって努力する勤勉性の欠如を招いたことは否定できない。


 ただ、仲間たちと組んでいたバンド活動に、そうした自由さがプラスの影響をもたらしたことは事実だ。


 バンドは私たちのエネルギーを発散する場所であり、言葉にできない感情を音楽に込めることで、どこか心の奥底にある本当の自分に触れられる気がしていた。ギターをかき鳴らしながら、ステージの上で全身全霊をぶつける瞬間だけが、私にとって現実からの逃避であり、同時に唯一の現実だったのかもしれない。


 不安で先行きの見えない現実からの逃避――それを為すには享楽的な日々の中でハードロックを奏でるのが一番だった。


 読者の皆様は既にお気づきもかもしれないが、拙作『アスモデウス』(九曜出版)の主人公、財部たからべ葉月はづきのモチーフは私自身だ。勿論、私は葉月みたくギターは上手く弾けないし、あんな事件は起きていないし、最終的にあのような成長を遂げてもいない。それでもどこかで自分を投影したかった。


 葉月の苦悩や葛藤は当時の私自身が味わったままだ。


 私はギターの代わりにペンを握り、言葉で自分を表現しようとした。その過程で手に入れたものや失ったもの、そして今もなお追い求めているもの。それらが葉月というキャラクターに凝縮されている。


 昨年11月の刊行時、何名かの先輩方からメールを頂いた。


“葉月と仲間たちの成長が励みになった”


“あの4人の姿に勇気をもらった”


 そんな言葉は作家冥利に尽きる。だが、その一方で、自分自身がまだ成長の途中であることを痛感する瞬間も多々ある。葉月はフィクションの中で完結し、成長を遂げたが、私は現実の中で今も旅を続けている。


 人生とは計算違いの連続だ。私は自らが典型的な懐古主義者だと心得ている。それゆえ何か思わぬ失敗に出くわす度に「あの頃は良かった。あの頃に戻りたい」などと考えてしまう。


 あの頃は良かった。それは紛れもない事実だ。


 2016年から8年。すっかり社会人となった私は畏れ多くも学歴と年齢にそぐわぬ高給を取っているが、あの頃のような純粋な情熱を感じることは少なくなった。


 部下は増えたが、あの頃のような仲間はいない。バンドの仲間たちとはすっかり疎遠になり、最近ではまったくもって音沙汰が無い。


 今の職場には多くの人がいて、さまざまな専門性や経験を持った部下たちが居るが、彼らとの関係はどこか形式的で、感情的な深いつながりを持つには至っていない。仕事を共にする中で築かれる絆も確かにあろうが、高校生の時ほどではない。利害も打算もなく誰かと語り合う時間は、どこか遠い過去のように感じる。


 食事会や飲み会には誘われるが、あの頃のような心からの楽しさや親密さを感じることは少なくなった。仕事の付き合いや社交的な場での交流は確かに大切なものであり、ビジネスの世界では欠かせない要素だ。しかし、それらの場で感じる楽しさは、かつての仲間たちとの自然体の会話や笑い合う時間とは異なる。


 昔の仲間たちとの食事や飲み会は、無理に話題を作らなくても自然に会話が弾み、共通の経験や思い出があるからこそ深い絆を感じられた。しかし、今の社交の場では、どうしても役割や立場が意識され、形式的なやり取りになりがちだ。勿論、そうした場でも新たな関係を築くことはできるが、あの頃のような心からの楽しさを感じるには至らない。


 あの頃は良かった。けど、今では――こうして書き出せば、まったくもってきりがない。


 昔のことばかり鮮明に思い出してしまうのは、現在の私が大人としてすっかり枯れ果ててしまっている何よりの証左だろう。


 私の中で燦然と輝く2016年と、今の2024年。


 この2つの時間は言うまでも無く大違いだ。けれども雰囲気というか、どこか似たような匂いを感じるのもまた事実である。


 それは両年ともオリンピックイヤーだからか?


 アメリカ大統領選挙の開催年だからか?


 いや。世の中の動き以前に、私自身が見通せぬ未来に不安を感じている。「これから私は何処へ向かうのだろう」という憂いの念が心から消えないのだ。


 思えば2016年もまた然りである。あの時は高校生特有の悩みが多かった。取り組むべく問題を遊びに耽って誤魔化し、中和し、先送りにしていただけのことだ。


 当時は未成年ゆえに現実逃避が許されていた。不都合な真実から目を背けても良かった分、キラキラとした仮初めの快楽ばかりが思い出として残っている。それを頭の中で美化しているから、私はLJKだったあの頃を過度に愛でてしまう――と自己分析をしてみた。これより続けると哀しくなるから止めておく。


 閑話休題。そうした虚しい懐古主義者の私に成せる事柄があるとすれば、過去の思い出を慈しみ、あの頃の自分に「そんなに不安に思わなくても大丈夫だよ」と言ってやることくらいだ。


 尤も、それもまた虚しい行為だ。時を越えて文のやり取りをする術があったら、どんなに良かったか。


「周りの人への感謝を忘れず、決して驕らず、負けて怯まず。ちゃんと人間関係さえうまく築いていれば大丈夫だから」


 あの頃の自分に向けて文を書くとすればこんな感じ。


 いや、待てよ?


 これって今の自分が最も為せていないことだぞ?


 きっと未来の自分から現在に向けてメッセージが届くとしても、こんな抽象的な叱咤激励に終始するのではないか……?


 ともあれ、今後も私は過去を懐かしみ続けるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2016-あの頃のわたしへ- 雨宮妃里 @amamiya_0913

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る