『
枯淡
『
大原 成也
私の予想が当たりましたね。
まぁ、とりあえず落ち着いて、ゆっくりこれを読んでください。
君島さん。どんな気持ちでこれを読んでいますか。私には解りかねます。ですから、何から書き始めればいいか悩んでいます。とりあえず、あの日。あなたが私の事務所に来た日の話からしましょう。
あの日はたしか、曇り空で肌寒い日だったと記憶しています。言葉どおり、空が一面灰色だった。あんな空はめったに見ないですから、なんとも不気味でした。それをぼんやりと窓から眺めていると、コツコツ、と階段を誰かが上ってくる音が聞こえた。私は緊張しました。あなたもご存じの通り、私の事務所は金治町の駆け込み寺のようになっていますから、今回も何か事件のにおいがしました。同時に面倒くさくなりそうだなとも思った。一応弁明をしておくと、いや、こういうことを言うとあなたを怒らせてしまうかもしれませんが、私は人を助けること自体は好きなんです。ただ、なにせあの日は本当に不気味でしたから。まぁ、この手紙を読んでいるということは、結局私の嫌な勘が当たっているということを意味するのでしょうが。
あなたが私の事務所に入らせて、と頼んできたときは驚きました。実をいうと初めて会ったときから、私はあなたが好きではなかった。ですから活動の見学を申し込まれたときも、意地悪をしてやろうと思って辛い仕事ばかり押し付けた。私の事務所は傍から見れば、地域のなんでも屋といった風に受け取られる。でも実際は違う。ただ私のことをよく知っている人に力仕事を押し付けられているだけです。もちろん、大事なのは今だと言って優しく接してくれる方もいらっしゃいますが、内心は彼らにしかわかりません。
話が逸れました。そう、あなたが私の手伝いを始めてから、いろいろ頼みごとをされました。キャンプが一人だと寂しいからついて来てほしいだとか、ああ、あれは大変でした。皆坂通り沿いのお宅に呼ばれた日です。二人ではとても運ぶことのできないようなタンスを運びました。数日、腕が上がらなかったと記憶しています。あぁ、別の日には、猫を炎天下で探し回ったこともありました。結局、飼い主の家の風呂場に居たんですよね。あれは笑えました。
そのあいだあなたは、どんな気持ちで僕の傍にいたのですか。
ずっと、私はあなたを偽善者だと信じて疑わなかった。「人を救う」という言葉の美しさに取り憑かれた愚者だと思ったのです。でもそうではなかった。私の意地悪を乗り切って仕事をしてくれた。きっと、あなたの中には途轍もない思いがあったのでしょう。それこそ、僕には到底理解できないような。
ここ数日、よく思い出すのは、あの日。近くの小学生たちが見学で私の事務所を訪ねてきた日です。暑い日でした。クーラーを五月蠅いくらいに回して、入ってきた小学生たちが「うわー。天国―」と騒いでいましたね。付き添いの先生は私の仕事を「世の中のためになる仕事」「たくさんの人を笑顔にさせる仕事」と紹介してくれました。そして、質疑応答の時間に、こんな質問が子供たちのなかから出ました。
「おおはらさんは、たくさんのひとをたすけていて、すごいとおもいます。でもおおはらさんは、おかねをもらってひとをたすけることを、わるいとはおもわないんですか」
先生は慌てて質問をした彼を叱っていましたが、私もこれからの未来を担う、希望の星を見て、心が動いたのでしょうか。誤って、こう答えてしまった。あなたがあの場にいたのに。今となっては、遅いでしょうが、ああやって答えたことを本当に後悔しています。
「いや、思いません。私は今やっているこの仕事を、人の笑顔を増やす、さらには人の命を救う、素晴らしい仕事だと思って誇りを持っています。だから、感謝の気持ちとしてお金をいただくことに罪悪感は覚えません。人の笑顔より大事なものなんて、人の命より大事なものなんて、この世に存在しませんから」
あなたならあの鋭い質問にどう答えたでしょうか。帰り道にでも聞こうと思っていたのに、あなたは私が小学生を駅のほうまで見送っている間に、気づいたら消えてしまっていた。あれからあなたに会えてない。
ひとつ、私はあなたに嘘、いや、隠し事をしていました。それをここに告白します。
あなたがもとから、事務所を訪ねてくる前から私のことを知っていて、それを隠そうとしていたこと。これを私は知っています。
夕陽山高校、二年四組の君島圭太くん。裁判所で一度だけ、あなたを見たことがあります。あなたのほうは、おそらく、いまのいままでずっと、私の名前も、声も、顔も、すべて忘れることはなかったのでしょうが。
今日は、十月十三日。あなたのお姉さん、君島加奈さんの命日です。そして、私があなたのお姉さんを殺した日でもあります。私が、憶えていないと思いましたか?
今まで誰にも言っていなかったことを話します。
夕陽山に居たときの話です。実は私にも姉がいました。なにも取り柄がない私にとって自慢の姉でした。こんな私にも優しく接してくれて、私服でいるときは大人と見分けがつかないような、そんな人でした。ただ、それ故でしょうか、高校生はみな大人に憧れ、しかし大人に反抗する節がありますから、クラスの厄介な派閥に目をつけられてしまったようでした。
「家族に心配は掛けたくなかったのだけれど、結局は一番迷惑をかける形になってしまいました。ごめんなさい」
これは遺書に書いてあった一文です。彼女が自らこの世から去る前に書いたようでした。遺書には他にも、学校でいじめを受けていたこと、先生に相談しようにもほとんど全員の教師から避けられてしまったこと、唯一相談できた先生も姉と関わっているのが知られると教職をやめてしまったこと、最後に、「ゆるさない」という乱れた文字と共に実行犯のリーダーの名前と思しきものが書かれていました。
「ゆるさない。君島加奈。お前だけは。呪ってやる」
君島加奈。そう、あなたのお姉さんです。
私の心にはもともと穴が空いていました。人生に無気力だった。ただ姉を見ているときだけは、私の視線がその穴から姉に移っていた。でも、それはもうなくなってしまった。次に私の穴に入ったのは何だと思いますか。そうです。〝復讐〟この二文字です。このことが世に公表されていないことからわかるでしょうが、私は遺書を隠蔽しました。街が腐りきっていたことはもう知っていた。十年前に似たようなことが起こったときに学校ぐるみで隠しきったことを知っていた。
あとは、あなたが知っている通りです。あなたのお姉さんが放課後ひとりになるタイミングを狙って——。
私はどこかおかしいんでしょう。人を殺したのに、この行為が悪いことだとは到底思えなかった。思いたくなかった。命を奪った者は命をもって償うべきだと思っています。これは私にも言えることです。だから、わざわざフルネームが入った事務所を構えてずっと待っていたんですよ。少年法に保護されて本名は公表されなかったとはいえ、狭い社会ですからあなたなら見つけられると思った。
私はあなたが来ることははじめからわかっていましたよ。
なぜでしょう、私は今から死ぬはずなのに、たいして緊張しません。
では、書くこともなくなってきたので、これまでです。
さようなら。
』
男は、薄暗い部屋の中、横たわった死体の傍で、遺書とも呼ぶべきそれを握りしめて、呆然と立ち尽くした。
『 枯淡 @shoelace
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