第30話 みじめ



 小三郎は声を出そうとしたが、息が詰まってうまく声を出せなかった。


「すみません。間違っているかもしれませんが、なぜ、貴方がはたし状を書いたのか、愚鈍なわたしなりに考えたんです。きっと貴方は、この事態の収拾を一人で背負おうとした。わたしと英さんの醜聞をもみ消そうと……。貴方が命を懸けたことで、おかげでわたしたちは何もなかったかのように……、終わりましたよ」


 わたしは本当に英さんが好きだったんです……。


 安川は畳を睨んでいたが、畳の上に涙がぽとぽとと染みていった。

 小三郎もいつの間にか泣いていた。


 彼の気持ちが痛いほどわかった。

 小三郎もまた、英之助と離れている間、苦しくてつらかった。

 安川はこれから国元に戻るのだから、当然、こんな気持ち分かっているはずだ。

 だから、何も云えなかった。


 二人を離そうと考えたわけではなかった。

 自分が邪魔をしているのなら、英之助に斬られて自分がいなくなれば……、二人がしあわせになったら、とだけ考えたのだ。


「英さんに会ってください」

「え?」


 安川はぐいっと涙を拭いた。


「貴方は何か誤解している。わたしはしあわせでした。英さんを貴方から奪ったのはわたしです。申し訳なかったと心から思っています。ですが、後悔はしていない。わたしにとって、英さんと一緒にいられた時間はしあわせでした」


 安川の笑顔が、小三郎の胸を突いた。


「すまぬ……。すまなかった、安川……」

「なぜ、謝るんですか? その謝罪は何ですか?」


 小三郎はどう答えたらいいのか分からなかった。


「貴方のほんとうの気持ちを英さんに伝えてください」


 安川はそれだけ云って、深くお辞儀をすると立ち上がった。


「元気になってくださいね。そして、また会いましょう」


 颯爽と部屋を出て行った。

 小三郎は涙が止まらなかった。

 安川は男らしいじゃないか。

 なぜ、こんな風になったのか。奪ったのは俺じゃないのか。

 俺がいなければ、もしかしたら、こんな風にならなかったのかもしれない。

 あんなにいい男と何もなかったことにさせてしまったのは、自分じゃないのか。


 小三郎はひどくみじめで悲しみが心を占めていくのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る