第31話 遠まわり
その後、縫合した傷もあらかた塞がり、だいぶ動けるようになったが、父から謹慎を云い渡された。
家督を譲る話は次男に話がまとまるようで、小三郎よりも善兵衛の悲しみは深く、だいぶ落ち込んでいる様子であった。
安川はとうに国元へ戻っただろう。
すっかり季節は冬になった。
怪我も癒えて、江戸の長屋に戻った小三郎は居間でだらしなく寝そべって外を眺めていると、ちらちらと雪が舞い始めた。
寒いはずだ、と体を起こし火鉢を突くと、襖の向こうで善兵衛の声がした。
「若旦那さま」
「ん?」
「お客さまがいらしております」
「そうか、客間へお通ししろ」
「いや、ここでいいよ」
聞きなれた男の低い声がして、襖が開いた。
苦虫を潰したような顔の善兵衛を押しのけて、英之助が立っていた。
突然のことで、小三郎は息が止まってしまうかと思った。
「小三郎、久しぶりだな」
「――うん」
いつか来るだろうと思っていた。
だが、こんなに早く来るとは。
心の余裕はなく小三郎は頷きながら呆然としていた。
英之助の肩には白い粉雪が解けずに残っていたが、部屋の暖かさですぐに消えた。
英之助は部屋に入ってくると、刀を左に置いて小三郎と向き合った。
火鉢のそばにいた小三郎は、はっと我に返った。
「動いても平気なのか?」
「う、うん。もうなんともないよ」
「そうか」
英之助がほほ笑む。
小三郎はごくりと唾を吞んだ。言葉を探すのに何も出てこない。
「あっ。そ、そうだ。なにか持って来させよう」
慌てて云うと、
「小三郎」
と、立ち上がろうとした手を英之助がつかんだ。びくりと体が震えた。
「いらない」
「……そうか」
小三郎は視線を合わせられず、再び座って外を眺めた。粉雪が風に吹かれて舞っている。英之助の顔を正面から見ることができなかった。
「善兵衛には人払いするように頼んだ。だから、誰も来ない」
「ああ……」
「小三郎、俺を見ろ」
顔を向けると、射抜くような鋭い目が小三郎を見つめていたが、ふうっと力を抜いて笑顔になった。
「元気な姿を確かめるまで、生きた心地がしなかったぞ。何度、見舞いに来ても門前払いで、小三郎はほんとうに無事なのか、善兵衛の言葉だけでは信用できなかった」
「うん……」
先ほどから、ああとかうんしかしゃべっていない。
小三郎の舌は干からびてしまったように、からからであった。
不意にガタガタっと腰高障子を叩きつけるような強い風が吹いた。外では木々が揺れている。
二人とも何も云わなかった。
小三郎は、英之助と会うことになれば、伝えねばならないことがあった。
その機会がやってきたのだから。
息を吸ってから声を出そうとした。が、どうしても声が出せない。
安川は決心して自分に会いに来てくれた。英之助に本当の気持ちを伝えてほしいと云われたではないか。
彼に云われてから、小三郎は自分の気持ちと向き合った。あれから幾日も過ぎたのに、英之助に会おうとしなかったのはなぜだ。
小三郎は唇を噛みしめた。
云え、云うんだ。
自分が決めた言葉。
云おうとしたけど、云えなかった。
答えは出でいる。
「ごめん……っ」
「何を謝る?」
英之助は静かに自分を見つめていた。
目の前に大好きだった顔があって、小三郎は悲し気に笑った。
「好きだよ。英之助……」
決めた言葉と真逆の言葉がするりと出てきた。
「え?」
英之助がびっくりしている。
「あ、俺……」
口を押さえる。
「俺は今、何て云ったんだろう」
「小三郎……」
英之助がくしゃりと顔を崩す。そして、笑いたいような泣きたいような複雑な顔をして手を伸ばすと小三郎の両手を取った。
「本心なんだよな……? ごめん、と云うのは誰に向かってだ。俺に対してなのか……?」
あの英之助が怯えているように思えた。
英之助の声は小さくて、自信のなさそうな声だった。
「うん……」
もう泣かないと決めたんだ。涙は枯れたから、英之助の前では泣かない。
本当の気持ちは、どうやら自分をだますことができなかったらしい。
「ごめん、の意味は安川に対してだよ」
「……え?」
ここで安川の名前が出るとは思いもよらなかったのだろう。英之助が戸惑っている。
「安川は国元へ帰る前に、俺を訪ねてくれたんだ。そして、俺の本当の気持ちを英之助に、会って伝えてほしいと云われた」
英之助は黙って聞いている。
「安川と話をして、俺は答えを出した。もう……、もう二度と英之助と会わないと決めた。それは、安川に申し訳ないと思ったから……。でも、どうやら俺は、英之助のことをあきらめるなんてできないみたいだ」
英之助がびくっと肩を震わせ、小三郎を握りしめる手がさらに強くなった。
「……ごめんの意味は、安川に対してなのか?」
「ああ。そうだ」
小三郎はそう云うと、まっすぐ英之助を見た。
「英之助、叶うならもう一度、俺とやり直してもらえないだろうか」
英之助が唇を噛みしめる。
彼は何も答えなかった。それから、ようやく声を出した。
「二度と……離れるな……」
「うん」
「誰が……なんと云っても……だ」
「うん……。うん、英之助、誓うよ」
英之助の額に、小三郎はこつんと額を当てた。
英之助がハッとして顔を上げる。間近に顔があって、二人とも今にも泣きそうな顔をしていた。
しかし、くっくと英之助が笑い出し、小三郎も英之助の背中に両腕を回して笑った。
小三郎はそっと目を閉じると、英之助の顔が覆いかぶさった。
久しぶりに英之助の熱量を感じて、息が苦しくなる。
唇がしょっぱくて、どちらの涙かなんてわからなかった。自分はもう泣かないはずなのに。
ぎこちない口づけの後、英之助が体を離して首筋を掻いた。
「今日はもう……、帰ることにする」
「うん……」
英之助は、かすめるように自分の目じりをこすった。
小三郎も泣くまいと思っていたのに、こぼれた涙を見られまいと慌ててこすった。
「……見送るよ」
玄関を出て外へ出ると、さっきまで降っていた雪はやんでいた。
もう少しそばにいたい。
傘を取って来た小三郎は一緒に門を出ながら、あっと大事なことを思い出した。
英之助が足を止める。
「なんだ?」
「俺は部屋住みだ」
小三郎が突然云うので、英之助はきょとんとしたが、いきなり笑い出した。
「部屋住みか。うん、まあ、なんとかなるだろう」
なぜか嬉しそうに笑うそのとろけるような笑みに、小三郎は顔が熱くなった。
かじかむほどに冷たいのに、頬が熱く思わず顔を押さえた。
「小三郎」
「う、うん」
「ゆっくりでいい。俺はもう焦らないから、離れていた時間をゆっくり取り戻せたら嬉しい」
往来で恥ずかしくないのか、と前に、小三郎は自分が云ったことを思い出した。
自分たちは、今しか生きられないのだ。
英之助はずっと、今を生きている男だったのだ。
小三郎はしっかりと頷いた。
「俺はもう迷わない。何があろうと、英之助から離れたりしないよ」
まっすぐな視線を向けると、英之助が息を止めたように見えた。そして、こくりと頷いた。
「今度は二人で酒でも飲みに行こうか」
「ああ」
約束を交わして、二人は分かれた。
小三郎は自分の屋敷に戻りながら、ずいぶん遠回りをしてしまったような、そんな心持ちがした。
「若旦那さまっ」
玄関に入ると善兵衛の姿があった。小三郎はにこりと善兵衛に笑いかけた。
「待っていてくれたのか?」
「はい」
「温かい茶でも飲もうか」
そう云うと、善兵衛が顔じゅうのしわを寄せて笑った。
『寄り道』 終わり
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