第25話 はたし状
はたし状には日時と場所だけ書いて、内容についてはいっさい触れなかった。
来るだろうか。
いや、英之助はかならず来る。
西日が傾きかけた頃、下げ緒を外して襷がけにし、袴の股立ちを絞った小三郎は、荒野に一人立っていた。
以前は百姓の納屋であったのだろう。朽ちた掘っ立て小屋が、荒野にぽつんと建っている。
昼頃に研ぎ終えた刀を受け取り、足袋はだしで待っていた。
朝からなにも口にせず、時の鐘を聞く前に長屋を出てきた。
居間に遺書を残しておいた。
そのうち、夕餉だと言いに来る善兵衛が見つけるだろう。善兵衛の悲しむ顔を思い浮かべると胸が痛んだ。
約束の時刻は暮れ六ツ(午後六時)である。日が沈めばあたりは闇になる。恐らく英之助は暗闇を恐れてすぐに仕掛けてくるだろう。
秋風が立つ季節になった。日が暮れるのも早い。遠くで鐘の音がする。掛け捨て三回が鳴った後、六つ音が鳴る前に、英之助が安川を連れて現れた。
「安川は立ち合いに頼んだ」
英之助は怒ったように云った。
背後にいる安川が、はた目にも分かるほど震えている。
寒さで震えているのか、それとも恐怖で震えているのか、白い肌がいっそう白く見えた。
「結構だ」
小三郎は鯉口を切るとすらりと刀を抜いた。
それを見た英之助は、さらに怒気を含めて近づいて来た。しかし、刀は抜いていない。
「なんのためだ。これはなんのためのはたし状だ」
納得のいかない顔をしている。
「噂を知らないのか、お前にもてあそばれた。俺はお前を許さないっ」
小三郎は大声で言った。
英之助が目を細くして、わけが分からないと首を振った。
「いつ俺がお前をもてあそんだのだ。ふざけたことを云うな。俺はお前の戯れ言に巻き込まれて不愉快だ。顔も見たくないのに」
「だったら斬ればいいだろう」
小三郎はやけくそに云う。
英之助は苛々しているようであった。
彼はまだ戦う用意をしておらず、襷がけすらしていない。
「戦う意思はないのかっ」
「お前を斬ったところで、俺にはなんの得もないのだ」
英之助は動こうとしなかった。
小三郎は刀を振り上げ、ほんきで間合いを詰めた。
小三郎の殺気を感じたのか、英之助がさっと気色ばむ。すばやく鯉口を切り、抜刀した。抜き打ちに小三郎の腹すれすれを斬った。寸前のところを斬られ、小三郎はぞっとした。
「小三郎、俺がそんなに憎いか、俺を殺したいほど憎いのか」
英之助は上段に構えた。殺気が伝わる。
英之助の剣が振り下ろされれば、かならず斬られるだろう。
小三郎は隙を見せないため、相手の目を見返した。
英之助はよゆうの笑みを見せ、
「腕が上がったな。隙がない。誰に教わった」
と、えらそうに云った。
「お前を倒すためならなんだってやる」
小三郎が返すと、英之助の眉が吊り上がった。
無言で間合いを詰めてくる。ほんきで斬ってくるけはいがあった。
小三郎は唾を呑んだ。
一寸踏み込むと、英之助の体が揺らめいた。ひとすじの風が頬を撫でたかと思うと、目の前に刀の切っ先があり、左腕を斬られた。
浅手だがしっかりと皮膚まで斬られ、吹き出した血が手首まで流れ出した。
小三郎の体がすうっと冷たくなる。
英之助はためらわず構える。
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