第26話 しあわせ



 英之助の構えの姿勢から、再びくる、と思って半歩うしろに下がると、青眼に構えた刃の先がまっすぐに突いて来た。

 小三郎は突きを払いのけ、袈裟がけに斬ってきた英之助の太刀を受太刀した。

 力の差は歴然としていて、柄を握る手がびりびりとしびれる。

 あっと思った時、英之助の切っ先が目の前を真横に横切ったかと思うと、すっと脾腹ひばらへ突き刺さってきた。刀が手から離れる。

 声も出せずに小三郎は膝を付いた。


 両手を地面につくと喉が焼け付くように熱くなり、何かがせり上がってきて血を吐いた。

 しかし、すぐに体を起こさねばならぬと思い顔を上げると、目の前に、ふたたび身構えた英之助が刀を振り下ろすところだった。


 これで終わる。

 目を閉じた時、


「柾木さまっ、いけませんっ」


 と、どこからか善兵衛の叫び声が聞えてきて、英之助は手を止めた。


 なぜ、ここに善兵衛が。

 小三郎は彼がいる理由を瞬時に悟り、落とした刀を探した。しかし、それより早く善兵衛が刀を奪った。


「若旦那様っ、これ以上はいけませんっ」

「どけっ……。善兵衛、邪魔をするな……」


 小三郎は震える手で善兵衛をどかそうとしたが、うまく力が入らない。

 脾腹が熱く、生温かい血が太腿を流れていく。

 小三郎は力がなくなってゆくのを感じて手を下ろした。

 苦し気に目線を上げると、善兵衛は小三郎をかばいながら、英之助に向かって刀を差し上げた。

 怪訝そうな顔つきの之助は刀を受け取り、目を見張った。


「これは……」

「柾木さまっ。若旦那さまをお許しください。若旦那さまは貴方を思ってはたし状を送ったのでございます。若旦那さまは……」

「黙れ……善兵衛……っ」


 英之助が、安川に向かって叫んだ。


「医者を呼べっ」


 とっさに善兵衛が走り出そうとすると、震えていた安川が叫んだ。


「すぐに呼んで参りますっ」


 云うなり、あっという間に姿が見えなくなる。

 善兵衛は、小三郎のかたわらに座って呼びかけた。


「若旦那さまっ。しっかりしてくださいましっ」

「小三郎、小三郎っ」


 英之助は、たおれた小三郎を抱き上げた。

 小三郎の持っていた刀には刃引はびきがしてあり、切れないように引きつぶしてあった。


「なぜ、刃引きを……っ」

「……騙したりしてすまない」


 小三郎は云いながら、英之助の腕から逃れようと体をよじった。

 しかし、英之助はしっかりと小三郎を支え、傷口を押さえて止血した。


「なぜだ? なんのために、こんなことをっ」


 英之助が訊ねたが、小三郎は首を振るだけでなにも云わなかった。


「英之助……、とどめを刺してくれ……」


 手を伸ばし、英之助の衿をつかむ。

 英之助は首を振って、あふれ出す血を押さえた。


「いやだっ。そんなことはしたくないっ」

「頼む。英之助、とどめを……」

「いやだ。もう動くな、小三郎、すぐに医者が来るから。頼むから動かないでほしい……」

「いいんだ、俺はもういいんだ」

「なにがいいのかそれはあとで聞く。もう、しゃべるな。小三郎、俺の顔を見ろ」


 英之助に云われ、小三郎は手を伸ばして頬に触れた。


「うん……、俺の好きな顔だ」


 英之助の顔がくしゃりと歪んだ。


「黙ってくれ……。頼むから……」


 小三郎は、英之助の体のぬくもりを感じながら目を閉じた。


「これでよかった……。しあわせだ」

「これがしあわせなのか? お前が選んだしあわせがこれか?」


 英之助の顔を見ているとほっとする。


 今まで苦しかったものが溶けて解放されていく気がした。


「ありがとう……」

「死なせないぞ、俺は絶対にお前を死なせないからなっ」


 英之助がそう云ったのが最後で、あとはもうなにもかも分からなくなった。

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