第23話 奇異




 久々に市中に現れた小三郎を家中かちゅうの者は奇異の目で見た。

 小三郎は、昼間から酒を出す飯屋を選び、次々と河岸かしを変えながら、夜になるまで飲み歩いた。

 店の中で暴れ、凄みを利かせ、女にちょっかいを出して次の店へ移る。

 金を出ししぶり、店の者にいやがられながら、さかなには手もつけずに酒だけ飲んだ。

 四軒目の居酒屋で酔いつぶれ、店の外に追い出された小三郎は、そのまま塀にもたれてぐったりとしていた。


 山にこもっていた間、一滴も飲んでいない上に、下戸の体に酒の酔いは早かった。

 へらへらと笑いながら、大声で端唄はうたを歌ってみる。

 われながらへたくそな歌だと大声で笑っていると、


「お武家さま、こちらでございます」


 と、人の来るけはいがした。


 誰か奉行所に知らせたな、と思って目を開けると、小袖に袴姿の英之助の姿があった。


「起きろ、こんな場所で寝ていると迷惑だ」


 冷静な口調が見下ろしている。

 小三郎は、またたきをして相手をじっと見つめた。

 彼はまだ、はたし状は読んでいないようであった。

 町飛脚には、後日に届けて欲しいと頼んでいた。


「英之助じゃないか、お前、俺になにか用か?」

「言葉も理解できないのか」


 吐き捨てるように云ってから、小三郎の手をつかもうとする。

 小三郎はその手を払いのけた。


「さわるな、お前は俺をたぶらかしもてあそんだ。男なら誰でもいいのか」


 とたん、英之助の目がかっと見開き、小三郎を睨んだ。


「おとなげないことはよすんだ、このままじゃ、悪口あっこうだけではすまないぞ」

「悪口、悪口だと」


 小三郎は、はははと大声で笑った。


「全部しんじつじゃないか。お前は俺を――」

「いい加減にしろっ」


 英之助の手が伸びて、小三郎の口を塞ぐ。

 鼻と口を押さえられては息ができず、苦しくてもがいた。

 その時、背後で蒼くなっている安川の姿に気づいて、小三郎はふふふと笑った。


 その刹那、英之助の手が緩んだ。

 小三郎はその隙を見て、大声を張り上げた。


「安川、お前もいたのか。でもな、そのうちお前も捨てられるぞっ」


 英之助が小三郎を黙らせようと再び襟をつかんでくる。

 安川がその手にしがみついた。


「英さんっ、やめてください、こんな酔っ払いを相手にしたって仕方ないですよ、明日にはすっかり忘れてしまうんですから」

「忘れないさ、忘れなっ――」


 云い終わらないうちに、英之助のこぶしが飛んできて、頬を殴られた。

 口の中が切れて血の味がする。


「お前は恥ずかしくないのか。家名に傷がついてもかまわないのか」


 英之助の怒鳴り声に、小三郎はにやりと笑ってから、口の中に溜まった血をぺっと吐き出した。


「なんだ、なにがおかしい。なにを笑っている」


 英之助がぞっとした顔で云う。


「なにもおかしくはないさ」


 小三郎はふんと鼻で笑うと、英之助の腕を払いのけた。


「そこをどけ」

「小三郎っ」

「お前は友だちじゃない。幼なじみでもない、そう云ったのはお前だ」

「行きましょう。早く」


 英之助はこぶしを震わせて、じっとしていたが、安川に腕を引かれ、のろのろと去って行った。

 英之助の背中を見るのはこれで何度目だろう。そして、その隣を寄り添うように安川がついて行く。


 ――英之助。


 小三郎は呟いたが、その声が届く事はなかった。

 自分で蒔いた種だ。後悔はしないと決めたじゃないか。


 亡霊のように立ち上がり、壁に手をついて歩き出す。

 撒いた種が芽を出した。次は、その芽がしっかりと根付いて動かなくなった時、目的は達成される。

 小三郎の頭はしっかりしていた。


 英之助の一言ひとことも覚えている。


 冷たい瞳もけいべつした口調もすべて、忘れまいと決めていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る