第19話 怒気
安川は、小三郎と同じ上屋敷の組長屋で暮らしている。
上屋敷は三万坪もある敷地なので、毎日顔を合わせるわけではなかった。
勤番者の二階建ての長屋は城壁の役割もしており、長く連なる長屋の二階に安川の部屋はあった。
藤七が来た翌日、会いに行ったが、安川は留守であった。そこで、彼が戻って来るのを待った。
日が山の向こうへ傾きはじめるとあたりはだいぶ暗くなり、他の長屋の部屋から行燈の灯りがちらほらと見えはじめた。
人の顔も判別できないほど暗くなった頃、安川が現れた。
「柴山さん……」
声がして振り向くと、安川は以前に会ったときより、ぐっと大人っぽくなっていた。目に力がこもり、自信に満ち溢れている。
「そなたと少し話がしたいのだが」
小三郎がぎこちなく笑うと、安川は露骨に目を逸らし、
「暗いですね、今灯りをつけます」
と、云って部屋に入り火打ち石で火をつけた。
行燈に火が灯ると部屋の中がぼんやり明るくなった。
明るくはなったが、静寂は変わらず、小三郎は胸がざわざわした。
「どうぞ、お入りください」
促され、八畳ほどの部屋に入り、刀を左に置いた。
安川は脇差だけ差しており、優雅な動作で目の前に端坐した。
安川の顔を間近で見るのはこれが二回目で、吸い込まれるような美貌に、一瞬目を奪われた。
安川は顔を見られるのに慣れているのか、ゆっくりと口のはしをあげると、目を細めて笑った。
「めずらしいですね、柴山さんが訪ねてくださるなんて」
「そなたと話がしたかったのだ」
「私とですか」
「うん」
小三郎は胸をざわつかせながら、思いきって云った。
「英之助のことなんだけどね」
「柾木さんがなにか」
「そなたと英之助の……その、よくない噂を耳にしたものだから」
「よくない噂とは?」
安川が小首を傾げてくすくす笑った。小三郎はむっとして顔をしかめた。
「なにがおかしいのだ」
「はっきり仰ってくださっていいんですよ、柾木さんと私が愛人の関係にあることを確認にいらしたのでしょう」
小三郎は呆気にとられ、相手を見つめた。
安川は唇のはしを上げて、
「どんな噂か知れないが、そんなくだらない話をするために貴方はわざわざいらしたのですか」
と、吐き捨てるように云った。
「俺は……」
「あんまりな方ですね、柴山さんは」
「え?」
「だって、私と柾木さんとの仲をこわしに来たんでしょ。まわりがなんと云おうと、私は柾木さんを愛しているので別れませんよ、なにがあってもね」
安川の言葉が胸に突き刺さり、小三郎は茫然として相手の顔を見上げた。
安川は能面のような感情のない目で小三郎を見ていたが、すっと目を逸らした。
その時、突然、襖が開いたかと思うと、英之助が現れた。
茫然としている小三郎の前に、英之助がどかりとあぐらをかいて座った。
立ち代わり、安川は黙って出て行く。
「え、英之助……」
久しぶりに見る英之助は、変わらずたくましい容貌をしていた。
顔つきは前よりも勇ましくなり、男らしさが溢れていて、小三郎は驚いた。
しかし、英之助は小三郎を睨みつけ、
「なにか意見があるのなら云ってくれないか」
と、怒気を含んだ声で云った。
小三郎は気おされて声が出なかった。
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