第12話 憎憎しい



 英之助がいなくなってもまだ、彼に触れられた部分が熱く疼いている。

 頬が熱い。

 心を落ち着かせようと息をついていると、音もなく襖が開いて籐七が顔をのぞかせた。


「籐七……」


 小三郎はぞっとした。無表情で部屋に入って来た籐七は大きく息をついた。


「今だけだ……」

「え?」

「お前に夢中になっているのは、今だけということだ」


 小三郎に対して、容赦ない言葉が胸を突いた。


「十六だ。若さまは十六の頃から、お前のように見てくれだけのいい男ばかり相手にしていた。深みにはまる前に別れたほうがいい」

「じ、十六の頃から……?」


 聞き間違いではないだろうか。


「お前の……勘違いではないのか、英之助はそんなことをするような男では」

「柴山」


 小三郎の言葉を遮って、籐七は云った。


「俺は若さまに、遊びはおやめになるよう申し上げておる」


 小三郎は目を丸くして籐七を見つめた。


「英之助にも云っているのか?」

「何度もご忠告しておる」

「それで……英之助はなんと?」


 籐七は押し黙った。岩のような顔がもっと恐い顔になった。


「若さまは、ことの重大さに気づいておられない。これまでのように何とかなると思っておる」


 籐七の深刻な表情を見ていると、何も云えなくなった。


「柴山、お前になら分かってもらえるだろう」


 眉間に刻まれた縦皺が、岩のような顔に凄みを与えている。

 小三郎はごくりとのどを鳴らした。


「……お前の云いたいことは分かった。少し考えさせてくれ」


 小三郎がそう云うと、籐七は、がばっと顔を上げて大声を出した。


「なにを考えるのだ。お前が若さまの出世の邪魔をしているのだぞっ」


 小三郎は茫然とした。籐七は自分の大声に我に返った。


「すまぬ……」

「か、かまわない……」


 小三郎は胸が張り裂けそうだった。唇を噛みしめて何も云えずにいると、


「そうであった」


 と、籐七が立ち上がって小三郎を見下ろした。


「先ほどの来客した者は、先日、帰国された榊さまと交代で参った安川と申す者だ」


 籐七は勝手に話を続ける。


「面倒を見るようにと、お殿様が仰せになられたようだ」


 籐七が出て行ってから、自分の体が冷え切っているのに気づいた。

 いちどにいろいろな事を云われ、混乱している。


 自分の存在が邪魔である。

 ああもはっきり云われるとは思わなかった。

 そうであろうか。自分は邪魔なのだろうか。


「小三郎、入るぞ」


 その時、襖が開いて英之助が顔を出した。その後に足袋が見え、小三郎はどきりとした。


「失礼いたします」


 入って来たのは、十六、七の若い少年だった。

 若いだけではない、透きとおるように白い肌と高揚した赤い頬、鼻筋が通った少女みたいにかわいらしい顔の男であった。

 小三郎よりも小柄で線が細く、全体に幼さが残っており、声も高く若々しい。


「初めまして、安川やすかわ宗吉そうきちと申します。このたび江戸えどづめとなりました。柾木さまにはこれよりお世話になります」


 元気いっぱいに笑った笑顔もまぶしい。


「宗吉は、俺が国許くにもとで若殿さま付きの小姓でいたときに一緒にいたのだ」


 安川の肩を気安く叩いた。


 安川は、明らかに英之助を慕っているらしく、はしゃいでいた。

 小三郎は急激に力が抜けていくのが分かった。


「そうか、昔馴染みなら話したいことも多いだろう。俺はこれで失礼するよ」

「これから江戸の町を案内しようと思っているんだ。一緒に行かないか?」


 英之助は誘ってくれたが、丁寧に辞退した。すると、安川が明らかにほっと息をついて、英之助に叱られた。


「だって、英さんと一緒にいたいんだもの」


 親しげに云って腕に抱きつく。

 昔馴染みとはいえ馴れ馴れしくないだろうか、と思ったが、小三郎はただ、肩で息をついた。


「二人で楽しんで来てくれ」

「悪いな」

「申し訳ございません、柴山さま」


 憎憎しいほどの笑顔で安川が謝る。


「いいよ、気にするな」


 早く立ち去りたい、と思って屋敷を後にした。

 自分は一体なにをしにここへ来たのだろう。

 帰り道、大きなため息が出た。




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