第11話 我慢



 料理茶屋で倒れてから駕籠で運ばれ、数日、長屋で安静にしていると体調も落ち着いた。

 一刻も早く英之助に会いたかった。

 会って元気な姿を見てほしい。おそらく心配しているだろう。


 さっそく英之助に会いに行こうと屋敷を訪ねた。玄関に入ると、いきなり籐七が現れて廊下に膝を突いた。

 小三郎は、ぎくりとして思わず後ずさりした。


「と、籐七……」

「久しぶりだな」


 藤七の険しい顔をまっすぐに見ることができない。

 小三郎は、居たたまれず息を大きく吸った。


「若様に会いに来たのだな?」

「う、うん。昨日まで体調を崩して寝込んでいたんだ。きっと英之助は心配していると思って会いに来た。悪いが、呼んでもらえまいか」


 藤七は押し黙ったまま、自分を見ている。そして、はあっと息を吐いた。


「柴山……」

「……」

「前も云ったが、そこもとには俺の意見が伝わっていなかったようだな」


 小三郎は、籐七の発言に驚いて息を呑んだ。

 籐七の顔つきは真剣で、以前、会った時より、げっそりして見えた。

 まさかここで、その話が出るとは思っていなかった。小三郎はなんと答えればよいか分からなかった。


「今……、その返事をしなければいけないのか?」


 たまらなくなってそう云うと、


「籐七、誰と話をしている」


 と、奥から英之助の声がした。

 小三郎はびくりとしてそちらを見た。

 籐七は動じもせず小三郎をじっと見つめている。英之助が現れると、籐七は頭を下げて立ち去った。

 玄関に現れた英之助は、小三郎を見て笑顔になった。


「小三郎ではないか」

「やあ」


 緊張のとけた小三郎は背中に汗をかいていた。ぎこちなく笑うと、英之助は嬉しそうに式台を降りてきて笑いかけた。


「体調はいいのか?」

「うん、このとおりだ」

「それはよかった。上がってくれ」


 小三郎は息を呑む。屋敷にいると籐七の目が光っているような気がした。


「どうした? 上がらないか?」

「あ、ああ。お邪魔するよ」


 小三郎は一瞬ためらったが、草履を脱いで上がり框に足をかけた。


 英之助の居間に入るなり、若さまと呼ぶ声がして、小三郎はびくりと肩を震わせた。

 籐七の声だった。


「なんだ?」

「お茶をお持ちいたしました」

「入れ」


 襖が開いて籐七が入ってくる。茶菓子を置くと、小三郎の顔をちらと見て出て行った。


「小三郎」


 足音が遠ざかると、英之助が寄って来て手を握った。


「顔色が悪い。体調がまだ悪いんじゃないか?」


 心配そうに顔をのぞきこむ。なにも知らない英之助を見ると、黙っていることが辛く思わず目を逸らした。


「小三郎?」

「なんでもないよ」


 頭がぐらぐらする。自分はどうすればいいのか。

 籐七がここまで追いつめてくるとは思ってもいなかった。どこかで聞き耳をたてているような気がしてくる。

 英之助は、小三郎の肩をそっと抱き寄せた。


「……会いたかった」


 首筋に英之助の息がかかって、ぞくぞくする。

 英之助の手は次第にだいたんになり、頬を寄せると口づけをしようとした。


「待ってくれ……、英之助、こんなことをするためにここへ来たんじゃない」


 焦って英之助の体を押しのけると、彼は戸惑った様子で体を離した。


「すまない。我慢ができなくて……」


 手が離れ、すまなそうな顔の英之助の姿をぼんやりと眺めていた。そのとき、


「若さま」


 と、不意打ちに籐七の声がした。英之助は不機嫌に顔をしかめた。


「なんだ」

「お客さまがいらしております」

「待たせておけ」

「お約束されていました。安川やすかわさまでございます」

「ああ……」


 英之助は思い出したように、目を動かすと立ち上がった。


「すまないが、少し待っていてくれ」


 と、だけ云って出て行った。



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