第10話 異変



 藤七と会ってから、夜が眠れない。


 英之助とは変わらずで、お互いの本懐を遂げたわけではないが、しょっちゅうよしの屋に誘われた。

 一度、金の話をそれとなく持ちかけが、お前が気にすることではない、と一蹴されてしまった。

 藤七の言葉を思い出すたびに心が重く、すなおにただ、抱きあうのを恐れている自分がいる。

 よしの屋に行くたびに敷かれた布団で横になり、お互いを求めようとすると、気分が悪くなってしまう。英之助は、すぐに手を止めて何も云わず気遣ってくれたが、申し訳なさで心が溢れそうになる。


 その日、英之助はただ、横になれ、と云ってきた。


「小三郎、気分はどうだ?」


 英之助がそばにいるとぐっすり眠れるのか、いつの間にかよく眠っていたらしい。

 英之助の声に目が覚めた。

 小三郎は頭を軽く振って目頭をそっと押さえた。


「すまない……。深く眠っていたみたいだ」


 体を起こすと、英之助が胸を貸してくれた。

 英之助の胸にもたれかかると、心配そうに顔を覗き込んだ。


「顔色が悪い。寝不足だな」

「ん……」

「俺のせいか……」

「え?」


 心配そうに顔を寄せる男を愛しいと感じた。ちがうと云いたかったが、のど元まで出かかった藤七の言葉を吞み込んだ。


「英之助……」


 小三郎は、その気持ちが顔に出ないようにと、背中を支えてくれる英之助の両手を抱きとめた。


「どうした? やけに甘えてくるな」


 英之助が笑って、背中ごしに抱きしめてくれる。

 二人で座敷から前庭を眺めた。

 ここへ来たときは曇っていたのに、大粒の雨が濡縁ぬれえんを濡らしていた。

 庭へと続く踏み石を雨が沁み込んでいく。庭の片隅には開いたばかりの桔梗が雨に打たれて頭をもたげていた。


「いつ降りだしたのだろう」


 小三郎がぼんやりと呟くと、英之助が耳元でそっと囁いた。


「小三郎」

「うん」

「こうしている時間が俺は一番しあわせだ」

「俺もだ」


 顔を見合わせ、小三郎はそっと目を閉じた。

 布団に寝かされ、英之助の手が袴の紐をほどけにかかった。

 いよいよか。


 小三郎が固く目をつむってすべてを委ねようと思った時、どうしたことか目を閉じているのに、天井がぐらぐらと揺れ出し回転しはじめた。あまりにひどいめまいに小三郎は口を押さえ、体を折り曲げた。


「おい……っ」


 英之助が気づいて小三郎を揺する。額には汗が滲み吐き気がしてたまらなかった。


「医者を呼んでくるっ」


 英之助が立ち上がるけはいがして、小三郎は慌てて着物の裾をつかんだ。


「呼ばなくていいっ」

「顔が真っ白だぞ」


 英之助はしゃがんで顔を覗き込んだ。こんな場面を医者になど見られたくない。不安がこみ上げてきて、英之助にしがみついた。


「英之助、そばにいてくれ……っ」

「小三郎……」

「俺は平気だから、頼む」


 英之助のなにか云いたそうな顔が見えた。だが、彼は首を振ると、


「駕籠を呼んでもらう」


 とだけ云って立ち上がった。


「英之助……」


 呼び止める声も空しく、英之助は振り向きもせず襖を開けて出て行ってしまった。


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