第9話 ぬくもり
暗い夜道、立ち止まり空を仰ぐと、英之助に抱き寄せられたぬくもりを思い出した。とたん、全身を震えが走った。
慌ててうつむくと早足に歩いた。
思い出すだけで恥ずかしい。
壁に頭突きしてしまいたい気持ちに駆られる。
英之助の声や指先を思い出すだけで、妙に緊張して息をするのを忘れた。
こんなぶざまな姿を見られているのかと思うと、たまらない気持ちになった。
「俺はなんて、なんて情けない男なのか……」
英之助が恋しくてたまらない。
離れると切に感じるのだが、いざ目の前にすると体は別の行動をとる。
くやしさに、空の星が涙で滲んで見えなくなった。
ぐいっとこぶしで涙をこすり、再び歩き出す。
次こそ、本懐を遂げてみせる。
この次こそは英之助を受け入れる、と小三郎は誓った。
自分自身を奮い立たせたが、しばらくすると知らずうちにため息が漏れた。
「はあ……」
何度目かのため息をついた時だった。
横丁から提灯を持った男が現れた。チラとその顔を見ると、英之助の守役、
小三郎より三つ年が上で、堅く引き締まった体と背筋の伸びた男である。顔は浅黒く岩のようにごつごつしていて、いつも怒ったような顔をしていた。
二人の距離が縮まると、籐七が立ち止まった。そして、
「柴山、少し話してもいいか」
と、呼び止められた。
「うん、なんだ?」
小三郎は足を止めて首を傾げると、籐七は辺りに人のいないことを確認して声をひそめた。
「若さまのことだ」
英之助の名前が出て、どきりと胸が騒いだ。
「……英之助がどうかしたか?」
「うん。近頃、若さまの出費が嵩んでいて、家人が大変心配しておる」
「そうか……」
小三郎はひやりとした。
支払いはいつも英之助がしていた。英之助は旗本の息子である。工面していたとは思いも寄らなかった。
「気をつけるよう云っておくよ」
小三郎がそう云うと、籐七はよほど心配していたのだろう、その言葉を聞いて安堵したように肩の力を抜いた。
「よろしく頼む」
「うん」
「柴山」
「うん?」
籐七はさっと右、左に目を走らせてから人のいないことを再び確認した。
「若さまはいずれ江戸家老になられるお方だ。あまり不謹慎な遊びばかりしておると、誰に吹聴されるか分からんぞ」
不謹慎という言葉を聞いて、背筋が凍った。
なにも云えないでいると、籐七はあごを引いて、
「御免」
と、云って去った。
小三郎はのろのろと歩き出した。
顔は白く蒼ざめたままだ。そのとき、遠くの方で雷鳴が聞こえた。ぽつっと頬に雨の粒が落ちてきたかと思うと、小粒の雨が降りはじめた。
次第に大粒になった雨を避けるのも忘れて夜道を歩いた。
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