第6話 積極的




 その日、どうやって自分の長屋へ戻ったのかおぼろげにしか覚えていない。

 思い出すのは、英之助との抱擁だ。

 縁談の話をしに行っただけだったのに、どうすればあんなことになってしまったのか。

 文机にぼんやりと肘をついていると、若旦那さま、という善兵衛の声に我に返った。


「な、なんだ、どうした」


 慌てて体を起こしてぶっきらぼうに答えると、一瞬間があって、善兵衛が襖を開けて中に入って来た。


「どこかお体の具合が悪いのですか?」

「は?」


 どきりとしながらもとぼけて見せる。善兵衛は怪訝そうにじろじろと人の顔を眺めた。


「顔が赤いですぞ」

「えっ」


 思わず頬を押さえた。


「夕餉もお代わりをなさらなかったそうで、うねが心配しておりました」

「なんともない、平気だ」

「そうでございますか?」

「いいからひとりにしてくれ」


 いかがわしげな顔の善兵衛を追い出す。

 善兵衛は言い足りない顔をしていたが、しぶしぶと出て行った。

 そんなに自分は分かりやすい顔をしていたのだろうか。顔を撫でているうちに、また、英之助の腕の感触を思い出した。

 息が止まりそうなほど強く抱きしめられた。英之助の腕は自分の力とは違って太く強かった。


「ああ……っ」


 頭をかきむしって机にうつぶせになる。


「いかんいかん」


 そう呟いては繰り返し、何度も英之助のことを思い出した。

 当然、その夜は容易には眠れなかった。





 ──────





 それからお互い心を打ち明けてから、英之助は積極的になった。


「寄り道でもするか」


 道場からの帰り道、英之助が言った。


「寄り道か。いいな、どこへゆく?」


 小三郎が無邪気に答えると、英之助は苦笑して囁いた。


「よしの屋でいいか?」


 料理茶屋の名前を出され、誘われていることに気づいた。

 小三郎の頬が赤らむと、英之助は笑いながら肩を抱き寄せた。はたから見ると仲の良い二人に見えるだろう。英之助は人気がないとさりげなく手を握ったり、肩を抱き寄せたりした。英之助の熱い体に緊張を覚える。


「行こう」


 促され歩きはじめる。前を歩く英之助が堂々としているので、恥ずかしくないのだろうかと疑問に思った。


「英之助」

「なんだ?」

「英之助は恥ずかしくないのか?」

「恥ずかしい?」


 英之助が立ち止まって振り向いた。


「なにが恥ずかしいのだ」

「いや、その……」

「おかしな奴だな」


 笑われて小三郎の胸は激しく波打っていた。隣を歩くのでさえ緊張しているのだ。息をするのも大変なのに、英之助は今までとちっとも変らなかった。


「店には伝えてある。芸妓げいぎは断ったから、二人きりだ」

「そ、そうなのか」


 用意の周到さに舌を巻く。


「俺が断るとか、考えなかったのか?」

「お前は断ったりしないだろう」


 英之助が当然のように答える。確かにそうなので言い返せなかった。


「早く二人きりになりたいよ、小三郎」


 英之助の言葉に、小三郎はまっ赤になって立ち止まった。思わず、誰かに聞かれなかっただろうかとまわりを見まわした。誰もいないのを確認して、英之助に詰め寄った。


「お、お前、道のまん中でなんてことを言うのだっ」


 小三郎が目を吊り上げると、英之助は楽しそうに笑った。

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