第3話 英之助



 居間に戻った小三郎は机に置かれた筆をじっと見て、よし、縁談の話をしに行こう、と思った。当然、英之助にである。

 夕餉にはまだ時間もあるし、書きものもひと段落ついたところだった。


「善兵衛、出かけるぞ」


 庭にいた善兵衛に声をかけると、まだつむじを曲げているのか、うんともすんとも云わない。しかし、黙って庭から玄関にまわり、履物を差し出した。小三郎は呆れた顔で眺めていたが、まあ、よい、と肩をすくめて玄関を出た。



 英之助が暮らす旗本屋敷は土地の広さ千坪ほどある。ぶらぶら歩いて、ようやく旗本屋敷にたどりつく。潜り戸の戸を叩くと、門番が顔を出した。


「すまぬ、小三郎が来たと伝えてもらえるか」


 顔見知りの門番はすぐに小三郎を中へ招き入れ、客間へと通してくれた。女中がすかさず茶を出している間に、廊下から衣擦れの音がして英之助が現れた。


「よお」


 顔を見るなり、英之助は目を細めて笑いかけた。


「うん」


 小三郎は返事をしながら、改めて感心した。

 評判の男だけあって、笑った顔はこちらがドキドキするほど男前である。すらりと伸びた背筋はみやびであった。

 たくましい腕と長い足、凛々しい眉毛に二重の切れ長の目が鋭く相手を見つめる。しかし、その目はきつすぎず穏やかで、相手の話をじっくりと聞いてくれるようなやさしさも見えた。

 笑うと幼い表情がこぼれ、ついつい気を許してしまいそうな雰囲気をかもし出す。


「夕餉を食べてゆくか?」

「いや、何も云わずに出て来たから夕餉には戻るよ」

「そうか」


 英之助が座るや否や茶菓子が出てくる。甘いものが食べたかったので遠慮せずに頂いた。出された鹿餅を食べながら、自分の縁談の話に入った。

 聞き終えた英之助は眉をしかめた。そして、思いのほか真剣に聞いてきた。


「縁談? 相手は誰だ」

「知らないな」

「聞かなかったのか……」


 脱力したように云って、彼はふうと息を吐いた。

 小三郎は、まさか英之助がここまで真剣に聞いてくれるとは思わず、かえって驚かせてしまい、申し訳ないと思った。


「すまぬ。聞かなかったのは、興味がなかったからだ」

「そうか……。もうそんな話が出ているのか」

「俺は結婚なんてしないよ」


 英之助にそう云ったが、彼は怖い顔でなにか思っているようだった。


「英之助、聞いているのか?」

「え? ああ……」

「お前はどうなのだ、結婚したい相手がいるのか?」


 なにげなく聞いてみると、英之助はぎくりとした顔をして目を逸らした。その反応を見て胸がざわりとした。


「誰か……いるのか」


 自分の声が震えていた。

 どうしたのだろう、心がざわつく。

 いつもそばにいた友だちに、想い人がいたなんて気づきもしなかった。


「小三郎」


 はっとするほど低い声で英之助が云った。


「あ、うん」

「ちょっと外に出ないか。散歩でもしよう」

「ああ……」


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