十二 二月二十五日 記憶

 二月二十五日になった。卒業式の予行練習は午前十時に学校に集合、十二時に解散だ。


 午前九時。

 朝食をすませてルルといっしょに家を出た。晴れているのにやけに冷える。三月も間近なのに気温が上がらない。例年並み以下だ。

「寒くないか?もっと着込んでくればいいのに」

「うん。そんなに寒くないよ。それにアッキとこうしていれば暖かいよ!」

 ルルは俺の腕を抱くようにして歩いている。妙な感じだ。そう思ってアーケードの商店街を五分ほど歩く。

「おはようございま~す」

 ルルは気軽に商店街の人たちとあいさつをかわしている。俺は笑顔でおじぎするだけだ。


 ルルによれば、商店街の人たちはみな、ルルと俺が幼いときから知っているとのこと。だから、こうして歩いていても、みな、大事な身内を見送るようにあいさつしているのだと。

 そう言われても、中学以降の記憶ははっきりしてきたが、それ以前の記憶は斑だ。


 道行く人はみなルルと俺を追い越してゆく。駅は近い。そんなに急いで歩く必要はない。なぜそんなに急ぐのか思わず訊きたくなる。

「みんな、日頃の習慣が抜けないんだね。日本人の勤勉さだね・・・」

 世界で一番勤勉なのは日本人だとルルは言う。日本人の考え方の基礎は武家社会に似た社会にあるみたいだと言うのだ。

「あたしたちの親みたいなのは珍しいのよね。たいていの親は、家が、仕事が、会社がと言って個人の事を後まわしにするでしょう。

 でも、あたしたちの親も、この街の人たちも、あたしたちを大切にしてくれたよ。

 だから、この街の人たちと親しくなれたし、みんながアッキとともにいるあたしを見守ってくれてる・・・」

 そう言って、ルルは商店街の人たちにあいさつしている。ルルって商店街の人気者だったのか。


「人気者はあたしがじゃないよ。アッキとあたしだよ。

 夏はいつも、あの酒屋さんの縁台に座って、自販機で買ったジュースのプルトップをあけてくれたでしょ。そして、みんなで花火して・・・」

 ルルが俺の腕を抱きしめた。何か、大切な想い出があるらしい。

 ルルは言う。

「人は独りで生きているようなことを言うけど、そうじゃないよね。アッキとあたしだって、いろんな人に守られてるし、逆に守ってる気がするよ。

 想い出にはたくさんの人がいるでしょう。あたしたちが守られてる証拠だよ。

 逆に、想い出の中の人にも、あたしたちの想い出があって、その人たちを支えてる。記憶って人の生きてる証かな。

 あたしの生きてる証はアッキだよ。小さいときから、ずっと憶えてる・・・」

 そう言ってルルがうつむいた。

 今日のルルは、昨日までのルルとちがう、こんなことを話すルルを俺は記憶していない。ルルに何かあったのだろう・・・。

「ああっ!気にしないでね!」

 ルルが驚いたときの顔で俺を見た。そして、やや、うつむいた。

「いつも商店街の人たちにあいさつするとき感じてたんだ・・・。

 この人たちがいたから今がある。アッキとあたしの両親がいたから、家族がいたから今があるって・・・。

 家族やまわりの人たちが変な人でなくって良かった・・・」

 そう言いながら、安堵するようにルルは俺の腕を抱きしめている。

 確かにそうだ。異質な人間が一人でもいたら、その集団は崩壊する。崩壊しなくても、崩壊の危機に立たされるのは事実だ・・・。


 駅に着いた。改札口を抜けてホームに立った。俺は腕を抱きしめるルルの手を握って電車に乗った。

 ルルの志望学科は俺と同じ化学工学系だ。しかし、今日のルルは文学的と言うか、哲学的と言うか、なんだかいつもとちがう・・・。

「どうかしたの?」

 ルルは相向いの席に座って俺の顔をのぞきこむように見ている。

「ルルが話したことを考えてた」

 今日も俺の記憶はあいまいだ。記憶は風景だけの物が多い。その中でルルに関するものだけが登場人物の多い極彩色な映像で現れている。そして、それが俺の中のどこにあるかと思い、気持ちを頭の方へむけると記憶から色彩と形が消えてゆく。


「想い出って頭の中じゃないよね。風景を見ようとしたら目の前に浮んでくるし、心暖まることは身体のなか、ここら辺にあるよね」

 ルルはお腹に手を触れた。

 俺は、気持ちをお腹へむけた。すると何かが形になってゆくのがわかる。

 これって!なんだっ?!

 記憶に現れたのは白と黒の縞模様だった。

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