三 記憶が無い

「実は・・・、どこかで頭を打ったみたいなんだ。

 記憶があいまいで、なんと言ったらいいか・・・」

 俺はそこまでで言い淀んだ。話してどうにかなることじゃない。

「ああ、未来の夫のことね。ママとパパがアッキの両親に話したんだよ。

 そしたら、アッキの両親が、アッキとあたしがよければふたりの意志にまかせるって。だから正直に、あたしはいいよって話したよ。抱きしめてもらってチュウしてもらって、とってもうれしかったと話したよ」

 ルルは、ルルのママが居るのに平気で話している。


「この際だから、アッキさんの気持ちを聞かせてね。ルルをどう思う。お嫁さんにしたい?」

「はい。ぜひとも」

 この場はこう言うしかない。ルルについて記憶がない俺が、ママの言い分を中断しても記憶がもどるわけじゃない。

「御両親が話すとおりね。アッキさんはルルが大好きだと話してたわ。

 そしたら、じゃましないから、勉強してね。

 ルルがアッキさんと同じ大学に行けたら、いつもいっしょに居られるわ。

 この意味がわかるわね。がんばりなさいね」

 そう言ってママは部屋から出ていった。

「ママの言うとおりだ。家庭教師にきたんだ・・・。勉強しよう」

 俺は抱きしめている腕を解いた。


 ふたりで炬燵に入った。俺の左側にルルが座っている。

「さあ、はじめようね。教えてほしいのはベクトルだよ・・・」

 ルルは平面ベクトルの垂直条件を示した。

「ああ、これは、与えられたベクトルの成分(x,y)を利用するんだ。

 求めるベクトルは元のベクトル成分を使うと二つ考えられるて、その成分は

(-y,x)(y,-x)となるよ。

 実際はそれらの実数倍のベクトルが存在するから、mとnを実数とすれば、求めるベクトルは

m(-y,x),n(y,-x)

 となるよ。

 証明は元のベクトルと新たに考えたベクトルの内積を考えて、

 x✕(-my)+y✕mx=0

 となり、直交しているのがわかる。

 どうした?」


 ルルは、ノートに書いたベクトルの計算式を見ていない。じっと俺を見ている。

「ねえ、あたし・・・、市立大学も受験する。こっちの方がアッキの国立より合格しやすいよ・・・」

「うん。今は勉強だけを考えようね・・・」

 今は、合否を考えるより、最後の詰めだ。過程がなければ結果はない。とはいうもののルルは気もそぞろだ。気持ちはわかる。俺だってこの童顔でかわいいルルを抱きしめたいし、抱きつかれたい。だけど、もっと重要な事があったはずだ・・・・。


「ギューッとしてチュウして。そしたら、勉強する・・・」

 ルルはじっと俺を見ている。

「わかった。おいで・・・」

 ルルを引きよせてダッコするように抱きしめ、唇を重ねた。

「強く抱いて、いっぱいチュウして・・・」

 顔を離すと前髪があがっておでこが現れている。ルルは笑顔だ。こんな笑顔、今まで一度も見たことがない・・・その瞬間、笑顔のルルが記憶に現れた。

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