第参章 流浪の身・弐

 一益様は、遊佐家を出奔してから、複数の大名に仕官を懇願なされたが、色々な事情で仕官を拒否されていた。そうして仕官を認めてもらうために一益様は新しい技の習得することを決めた。そうして彼は、堺の商人でありとても遠い親戚であるたか道治どうはる殿の屋敷に向かった。高谷部殿は堺の会合衆の中でもせんの宗易そうえき殿や今井いまい宗久そうきゅう殿と同じ程に力のあった商人であり、齢は三十三であった。一益様が新しい技について相談すると高谷部殿は「其方は六角氏に仕えていた際に鉄砲に触れたことがあるそうな。折角ならば鉄砲を極めてみてはどうであろうか。資金や人材はこちらが提供を支援しまする。」

そう言われた一益様は以前から鉄砲への興味があった為、鉄砲の特訓をなさるようになられた。彼の特訓は一ヶ月程続いた。雑賀から鉄砲の名手の伝林坊でんりんぼう藤亮ふじすけ殿を呼び、鉄砲のいろはを学んだ。この時の特訓の成果が一益様の生涯に関わり続けることになる。そして高屋部殿や伝林坊殿に鉄砲の腕前を見せる時が来た。彼は三十間程離れた五寸程の的に当て、堺の市民をざわつかせた。

その鬼才に驚いた二人は、一益様は今後鉄砲の未来を担うと感じ、限られた人しか知らない鉄砲の作り方を一益様に半月程かけて教えた。そして彼は彼自身で鉄砲を作り、つきむしなりづつと名付けた。この鉄砲は月夜に虫の鳴き声が聞こえるほどに本来の銃よりもとても小音の爆発音で済むという物であった。この銃は滝川家の家宝の一つであり、以降当主の身内等が所有し保管し続けた。そして当時岸和田城やおおとり、堺の周辺地帯を支配している松浦まつらまもる殿に才を認められ、600石を与えられた。


しかし、この勢いを脅威として感じていた一族があった。それは松浦守殿の重臣である、高安たかやす乗季のりすえ義季よしすえ親子である。彼らは戦功が過去に多くかつ鉄砲の名手になったことにより、領内での松浦殿の権威が脅かされると思い、一益様の討伐を水面下で遂行しようとした。


そして一族郎党を率いて一益様の堺の外れにある屋敷に討ち入った。数で大きく劣っていた一益様であったが討ち入りに来ることを予め知っており、高安軍を屋敷の比較的中央部まで通らせて戸棚の奥等から鉄砲を斉射され、奇襲した。油断していた高安軍は大混乱に陥り、乗季•義季親子諸共銃撃を受けて討死した。


しかし松浦殿の重臣を討ってしまったことにより松浦家内の一益様の名声は地に落ちてしまい、遂には重臣の讒言により守殿に追放処分を受けてしまわれた。


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伊予守大記 何処の歴史ファン @11851192

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