第弍章 流浪の身・壱

 村から追い出され、飯道山はんどうやまに隠れていた一益様の生活は、一食に漬物数切れ程食えるかも怪しい程に困窮した。一益様はこのままでは死んでしまうと思い、仕官先を探すことにした。


 一益様は、甲賀に遠くない大和国で勢力を誇っている筒井つつい順昭じゅんあき殿に仕えられた。そして一益様は細川晴元ほそかわはるもと殿との合戦で相手方の足軽を何人も討ち取るという大功を上げられた。その功により順昭殿に実力を認められ、一益様は報酬として銭を受けとり、その上侍大将に出世し、小泉城主になった。しかし、天文十九年順昭殿は数名の供のみを連れて比叡山に入り、生まれたばかりの嫡男の藤勝ふじかつ殿へと家督を譲ってしまった。筒井家に先がないことを悟った一益様は、同年十一月に筒井家を抜け出し、再び浪人となった。


 そして一益様は、河内国の守護代である遊佐ゆざ長教ながのり殿に仕えた。

 長教殿は天文十八年に江口の地にて三好みよし長慶ながよしと共に細川晴元を破った智将である。長教殿は一益様が筒井家に仕えていた時の勇猛さを知っていたため一益様の仕官を許可し、せん大将の有力候補として取り立てた。そして一益様は八木やぎ城に入った。そして領民と深く交流し、名君と称えられました。

 そして政務能力も長教殿に認められ、たか城内で賞状を受け取られた。そして知行の加増を約束された。しかし、論功行賞の終了を長教殿が立ち上がり伝えようとしたところに……


 先程から部屋の横側にいた僧が突然長教殿に刀で斬りかかった。僧は萱振賢継かやふりかたつぐ殿の重臣を名乗り、萱振殿の安全を守ると言って入城した者であった。僧は一益様含む家臣に取り押さえた。しかし、傷が深かった為に薬師が到着する前に息を引き取ってしまった。長教殿を斬りつけた僧は細川晴元の刺客であり京都六条道場の法師であった。急なことであったため長教殿の死は三ヵ月程隠され、遊佐ゆざ太藤ふとふじ殿が家督を継いだ。


しかし太藤殿はやす宗房みねふさ殿が擁立された身であり、萱振賢継殿が擁立した根来寺におられた長教殿の弟の松坊殿と対立していた。一触即発の状況であった。このような状況では他勢力に滅ぼされると感じ、遊佐家からも出奔した。

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