第30話 知らなければよかった

 俺は大きな勘違いをしていたのだろう。


 才色兼備の美少女、早夜月乃蒼。

 吸血鬼という秘密を抱えながら一般社会に馴染む存在。


 学校での素っ気ない姿とは裏腹に、二人だけの時間は素で過ごしていた。

 歳相応に笑い、突飛な言動をするも基本は常識的で、甲斐甲斐しく世話まで焼いてくれる一面もある。

 それが対価を支払うための行動だとしても、ああはならない。


 およそ週に一度の吸血を求められるも、慣れてしまえば容易いもの。

 指づてに溢れた血を舐め取るだけ。

 吸血衝動の時みたいに噛みつかれるわけではないそれの負担は、ないに等しい。


 度々、乃蒼は俺に自分を好きにしていいという趣旨の発言を並べていた。

 大元の対価が乃蒼という存在の一切を俺へ委ねることであり、流石にそれはどうなんだと断った結果こそが日常の世話である。

 だが、それでも乃蒼は言い聞かせるように何度も俺へ告げている。


 冗談ではないのはわかっていたつもりだ。

 それでも求めなかったのは俺なりのエゴ。

 単に恋愛感情を持たない相手と関係を持つことへの忌避感があったのと、週一の吸血程度で乃蒼の将来を縛りたくなかったから。


 そうして引いた境界線。

 乃蒼は誘いはするも、踏み越えてはこない。

 あくまで自分が下、選択する権利は俺にしかないと思っていたからだろう。


 だからこそ、俺たちは穏やかな日常を享受できて――そんな日々に、騙されていた。


 乃蒼は安定なんてしていなかった。

 過去に及んだ吸血の罪悪感は未だ晴れず、胸の内で燻らせていた。

 そこに真実なんて火種を投げ入れれば、燃え広がるのは自明の理。


 つまるところ――


「乃蒼は、自分自身が許せないんだな」

「……当たり前じゃないですか。獣同然の衝動で大切な人を傷つけておきながら忘れ、碌な贖罪もせずにのうのうと生きてきた自分を許せるわけがないでしょう? まして、大切だった人・・・・・・大切な人・・・・が同じだったら、なおさらです」


 感情を押し殺しながらの回答。


 乃蒼の気持ちを完全に推し量ることはできない。

 立場も考え方も違い過ぎる。

 それは便宜上、加害者と被害者と呼ばれる関係故に。


「灯里さん、教えてください。私は何が足りませんか? どうしたら灯里さんに求めていただけますか?」

「今でもじゅうぶん過ぎるくらい対価は貰ってる」

「こんなの、全く足りません。食事の用意や掃除洗濯なんて家政婦でも事足ります。私である必要性が一切ありません」

「甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる美少女の価値をわかってるか?」

「びしょ……っ、いえ、そんな言葉には騙されませんよ。だって灯里さん、私がどれだけ誘っても全然手を出してくれる素振りがありませんでした」


 顔を上げた乃蒼。

 不安と不満が混じり合った表情を、ほのかな赤みが彩っている。


 青の眼差しは真っすぐ、逃しませんと告げるように俺へ注がれていた。


「俺と乃蒼は恋人じゃないからな。そういうのはちゃんと前提を踏まえた関係でするべきだろ?」

「世の中にはセフレという身体だけの関係もあります」

「そんな風に雑な扱いをする気はなかった」

「私の方から雑に扱っていいと宣言していても?」

「乃蒼の都合に俺の意思を合わせる必要はないだろ?」


 最終的な決定権は俺にある。

 だから乃蒼の都合に振り回される必要はどこにもない。

 他ならぬ乃蒼が定めた関係性を利用した結果には口出しできまい。


「……どうして、そんなにも拒むのですか?」

「乃蒼に手を出した後の責任が取れない。まだ高校生の、世間知らずなガキ。自力で稼ぐことも出来ないし、親父に養われるだけの立場だ」

「そんなの私が……早夜月がどうにでも出来ます」

「かもしれない」

「だったら――」

「それに、俺はまだ乃蒼に向いている感情がよくわからない」


 俺もまた、乃蒼を見返す。


「率直に言って、可愛いし綺麗だと思ってる。毎日作ってくれる食事はめちゃくちゃ美味いし、いつも色んな事に気を回してくれて頭が上がらない」

「…………」

「学校では完璧みたいに振る舞ってるけど、ちょっと抜けてるところもあって意外と親しみやすい。たまに暴走するけど……それもまあ、愛嬌ってことで」

「……なんの、話を」

「俺が知ってる乃蒼の話。……で、そんな乃蒼と過ごす日々を、俺は心地よく感じてる。出来ることなら死ぬまで続いて欲しいな、と思うくらいには」

「――――っ」


 乃蒼が息を呑む。


 これはただの感想。

 そう自分に言い聞かせながらじゃないと、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。


「でも、それと乃蒼のことが恋愛感情的に好きかどうかはイコールで繋がらない。人間としての好感を抱いているのは認めるけど」

「……私の期待を返してください」

「期待?」

「プロポーズされたのかと思いました」


 ……死ぬまで続いて欲しい、はそういう意味で捉えられてもおかしくないか。


「そんなつもりはなかった」

「わかっています。……それより、灯里さんは恋をしたことがないんですか?」

「少なくとも自覚はない」

「世間一般では好きな人といるとドキドキするとか、逆に落ち着くとか聞きますが、そういった経験は?」


 なんでこんな質問をされているのかわからなかったが、記憶を探ってみる。

 すると、該当する相手が一人だけいた。


「……その理論だと乃蒼がそうなるけど」

「私も灯里さんになりますね」


 ……。

 …………。

 ………………。


「……すまん、ちょっと考える時間をくれ。想定外の情報に戸惑って――」

「――待てません」


 悲鳴を上げるベッドの金具。


 直後、ぎゅっと乃蒼に抱きしめられた。


 密着し、押し当てられる柔らかな肢体。

 肩に乃蒼の顔が乗っているせいで、表情が窺えない。


「私、知らないふりをしていました。見ないふりをしていました。考えないようにしていました。これが恋だとしたら、悲恋で終わるのだとわかっていたので」

「……乃蒼?」

「私は身を捧げるだけの立場。なのに対等な関係を望むのは分不相応でしょう?」

「そんなこと――」

「だから、二つだけ言わせてください」


 どこか悲しげな気配を伴った呟きが、耳朶で溶けて。


「私は……早夜月乃蒼は灯里さんのことを愛しています。ですが・・・――」


 不穏な気配。


 だめだ。

 その先は、言わせたくない。


 なのに、俺はどうすることも出来なかった。


 僅かに離れた乃蒼の身体。


 間近に据えた彼女の眼は、涙に濡れていて。


「――あなたの気持ちを、知らなければよかった」


 泣き笑いにも似た表情で告げ、ゆっくりと離れる。


 そして、くるりと身を翻した。


「……身勝手で、自己中心的で、自己満足なのはわかっています。ですが、少しだけ時間をください。どんな顔をしていいのか、わからないので」


 初めての一方的な拒絶に返す言葉もなく、部屋を出ていく乃蒼を見送ることしか出来なかった。


 ――そして翌日も、月曜の朝も、乃蒼が部屋を訪れることはなかった。

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