第31話 嘘でも言って欲しかったですね

「――お父さん。灯里さんから聞きました。私が幼いころに吸血した少年が、灯里さんだったことを」


 灯里さんの部屋を飛び出した私は部屋に帰るなり、玄関の扉に背を預けたままお父さんに電話をかけた。

 過去を知った報せと、今後の相談をするために。


「……そうか。それで、乃蒼はどうしたい?」

「しばらく家に戻りたいです。灯里さんと、顔を合わせないように」

「乃蒼がそれでいいならそうしよう。すぐ車を回す」

「お願いします」


 短い会話で互いに用件を伝えあい、切ってすぐに漏れたため息。


「……これで、いいんです」


 自分に言い聞かせるべく呟いた声が一人だけの玄関に響いて、溶ける。


 さっきまで灯里さんといたせいか、変に孤独感を覚えてしまう。

 ついこの前までは一人でいるのが普通だったのに。


 それもこれも灯里さんと過ごすようになってからだ。


 全部、ぜんぶ、灯里さんがいたから――


「……こんな恋なら、知らない方が良かったです。叶えてはいけない恋なんて、辛くて苦しくて満たされないだけじゃないですか」


 目の奥がじわりと熱くなる。

 立ち続ける気力も失い、ずるずると背をドアに引きずりながらその場にしゃがんだ。


「なんで、よりにもよって、同じ人なんですか。どうして私を責めないんですか。どうやっても傷つけるのは私で、傷つくのは灯里さんなのに」


 私の喉を出てくるのは芯を失った情けない声。


 灯里さんが優しい人なのはわかっていた。

 普通の人なら私の事情なんて一蹴し、二度と関わるなと遠ざけただろうから。


 それでも贖罪を求めたのは、私が今後も灯里さんといるために必要不可欠な禊だと思っていたからです。


 灯里さんと過ごす間に意図せずとも積み上がってしまった想いの正体に気づきながらも目を逸らし続けるのは限界があります。

 それに、私にはそれを伝える資格がない――そう、考えていたのに。


「……言葉にしたら、戻れないとわかっていたはずなのに」


 我ながら堪え性がなさすぎます。


 確かに私は灯里さんの好意を引き出すために色々なことをしました。

 その過程で得た感情を否定する気はありません。


 想定外は私が思っていたより単純だったことと、灯里さんが魅力的だったこと。

 もっと言えば吸血鬼などという現実離れした存在である私にも理解を示してくれたことこそが、私の予定を狂わせてしまった。


 吸血鬼の本能を自覚してから、私は世界に馴染めないのだと諦めていた。


 誰かと親しい仲になるのも吸血衝動を警戒して避け続けた。

 友達は一人もいなくて、恋人なんてもってのほか。

 触れられるのは吸血鬼の秘密を知る家族だけ。


 寂しい人生だと思っていたけれど、大切な友達だった男の子を傷つけてしまった過去があるために、孤独な方が幸せなのだと思い込もうとしていた。


 なのに。


 私の瑕疵で巻き込んでしまった灯里さんは私を拒絶しなくて。

 しかも、灯里さんの血しか受け付けなくなってしまって。

 家族同然の近い距離で接するうちに、凝り固まっていた価値観が解されて。


 好きになるのは時間の問題なんてわかりきった話。


「――でも、寄りかかるだけの関係は、嫌なんです。あなたから貰う分くらいは、あなたに還元したい。私が差し出せるのはこの身体くらいしかないのに」


 全然貰ってくれる気配がなくて、わからなくなってしまったんです。


 大切で、好きだからこそ、押し付けたくない。

 大切で、好きだからこそ、押し付けてでも貰ってほしい。


 二律背反の思考に耐えられず泣いて、問い詰めて、誘導尋問的に灯里さんの想いを引きずり出して――迷惑にしかならないとわかっていたはずなのに。


「雀の涙ほどの対価すらまともに差し出せない私に、一体何の価値があるんでしょうか」


 あんなことを一方的に告げてしまった手前、合わせる顔がありません。


 数日は冷静になる時間が欲しいです。

 約束すら守れなくてごめんなさい。


 そんな私が望んでいいことではないとわかっているけれど。


「――愛してる、と嘘でも言って欲しかったですね」


 ついでに口づけも、なんてさっきまでの楽しい時間を思い返して。


 いつの間にか、溢れた涙が頬を伝っていた。

 輪郭を沿って流れたそれが顎の先から滴り、濃い色のスカートの生地を濡らす。


 ……泣いたのなんて、いつ以来でしょうか。

 記憶すら曖昧なほど昔だった気がします。


 それこそ、幼き日の灯里さんを傷つけた日かもしれません。


「……『吸血鬼は恋をするとその人の血しか飲めなくなる』なんて言い出した方も、私と同じ気持ちだったのでしょうか」


 少なくとも、今の私は灯里さん以外から血を頂くことは考えたくない。


 けれど、吸血問題を克服しない限り、灯里さんとの離別にも限界がある。


「次に吸血が必要になるのは四日ほど後、でしょうか。それまでに何とかなればいいのですが――」


 望み薄と知りながら口にして、ため息を零す。


 もしも。

 吸血問題がどうにもならず、また吸血衝動を起こしたら。


「……きっと、灯里さんは手を差し伸べてしまうのでしょうね」


 簡単に思い描けてしまう未来の光景に辟易しながら、お父さんが呼んでくれた迎えの車を待ち続けた。


 ―――

 ちょっとだけ短め。

 もうちょい続くよ。

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