第20話 胃袋を掴む作戦は大成功ですね
「……すごい雨だな、これ」
珍しく目覚ましの前に起きた朝。
何やら外からざあざあと絶え間ない雨音がしていたので窓から外を覗いてみれば、バケツをひっくり返したような勢いの雨が降っていた。
例年であれば梅雨であることを考えると打倒な気候ではあるのだが……それにしたっていきなり降り過ぎだと思う。
さて、普段ならそろそろ乃蒼が来るころあいだけど――
「……噂をすれば、か」
ピンポーン、と響くチャイムの音。
この時間に聞くのも慣れたそれに呼ばれてドアを開ければ、いつも通り制服姿の乃蒼が立っていて。
「……おはようございます、灯里さん」
やけに覇気のない表情と声音の乃蒼に、思わず眉根を寄せてしまう。
「おはよう、乃蒼。それより……体調悪かったりするか? いつもより元気がない気がするけど」
「……ただでさえ低血圧なのに、気圧の変化に弱くて」
「無理しなくてよかったのに。とりあえず中に入って休んでくれ」
「ですが、それだと朝食が」
「それくらいどうにでもする。体調が悪いのに無理させられるわけないだろ」
俺は確かに料理下手だけど、朝食に簡単なものを用意するくらいならなんとかできる……はず、だと思う。
なにより、こんな状態の乃蒼に世話をされて黙っていられるほど怠惰ではない。
乃蒼も俺が引かないことを雰囲気から察したのだろう。
「……では、少しだけ休ませてもらいますね」
どこか安心したような緩い笑みを浮かべて、部屋に上がってくる。
とりあえず乃蒼はリビングで休んでもらうことにして、俺はキッチンへ。
やるのはもちろん朝食の用意である。
材料自体はあるので、後は俺の腕次第。
難しいものを作る気がなくても、俺に備わっている料理の技能は必要最低限である。
冷蔵庫の中身を探り、メニューを頭の中で考える。
トーストとスクランブルエッグ、ベーコンをこんがり焼くくらいなら俺でも出来そうか。
「さて、たまには頑張らないとな。乃蒼に下手なものは食べさせられないし」
気を引き締めて調理に入る。
トースターに食パンを入れてタイマーをセットし、フライパンを熱しておく。
その傍らで卵を数個ボウルに割ってかき混ぜ、軽く調味料で味付け。
熱したフライパンに油をさっとひいてから溶き卵を流し、だまにならない程度にかき混ぜる。
この加減がまた難しい。
思っているよりすぐに焦げるし、かき混ぜすぎてもボロボロになる。
料理をしない俺が加減を身に着けているわけもなく、雰囲気でやるしかない。
焦がさないよう集中しながら卵と向き合い――
「……及第点ってところか」
ちょっと焦げ目がつくだけに留めたスクランブルエッグの出来に一人頷く。
あとはベーコンをこんがり焼くだけ。
これは流石に失敗しないだろうと気持ちも楽になったところで、近づいてくる足音。
「乃蒼? 体調は大丈夫なのか?」
「少し休んだので、なんとか。灯里さんのことが心配で、様子を見に来ました」
「そこまで子どもじゃないけどな。見ての通りだよ。言うほど酷くはないだろ?」
出来上がったスクランブルエッグを見せれば、薄っすら笑んで「上手く作れていますよ」と褒めてくれる。
……やっぱり子ども扱いじゃないか?
「今からベーコンも焼くから、もうちょっとかかる」
「そうですか。では、このまま見守らせていただきますね」
「……そんなに心配か?」
「灯里さんが私のために作ってくれていると考えたら、眺めていたくなったので」
見られているのは落ち着かないけど、追い出すのも気が引ける。
それくらいならいいだろうと思い、ベーコンを焼き始める。
薄切りのそれに塩コショウを振りかけ、油がバチバチと弾ける音が響く。
食欲をそそる匂い。
思わず緩む頬は乃蒼に見られまいと逸らして隠す。
そうしてベーコンとトーストが焼けたところで盛りつけて完成だ。
乃蒼が来てから食卓に馴染みつつある牛乳も運んで、朝の一時が始まる。
「乃蒼ほど上手く作れてる自信はないけど、致命的な失敗はしていないと思う」
「成否はさほど問題ではありません。完全に炭みたいなものを錬成していたら別ですが……見た目はとても美味しそうですよ?」
そう言ってもらえると気分的には楽だ。
肝心なのは味って点にも大賛成。
「私から先に頂いてもいいですか? 灯里さんの料理は初めて食べるので」
「良いけど……緊張するな」
「大丈夫ですよ。これで美味しくない、なんてことはまずありえないはずです」
いただきますと手を合わせ、まずはスクランブルエッグを一口。
ゆっくりと味わう姿を眺めるのはあまり良くないかなと思いつつも、作った手前反応が気になってしまうわけで。
ここまで緊張するのはいつ以来か。
乃蒼の感想を待っていると「なるほど」と一言呟いて。
「美味しいですよ。ちゃんとスクランブルエッグとして作れています。硬くなるほど焦げてもいませんし」
「そぼろになってなくてよかった。でも、綺麗に半熟にはならなかったな」
「慣れないと難しいですからね。もしそぼろになっていたとしても、あまり変わりませんし。ベーコンもいい具合です」
「トーストだけは乃蒼と同じ出来栄えだな」
小麦色のそれにマーガリンを塗り、一口頬張って頷く。
これくらいの朝食なら作れるようになった……というか、一人だと面倒がって作らなかったが正しいのかもしれない。
朝食を食べなくても昼間では保つし、手間もかかる。
その意識が変わった理由の一端は間違いなく乃蒼にあるわけで。
「いつも美味しい飯を作ってくれてありがとな、乃蒼」
「……何ですか、急に。そんなに褒められても夕飯のリクエストを聞くくらいしか出来ませんよ」
「それっていつも通りだよな。……久々に自分で作った飯を食べたら、乃蒼の料理のおいしさを改めて実感したというか、さ。正直、もう乃蒼の料理を食べれない生活に戻れない」
「胃袋を掴む作戦は大成功ですね」
嬉しそうに笑う乃蒼だが、その通りなので否定はできない。
これが今の、日常。
偶然から始まった日常には、乃蒼なりの思惑があるのも理解している。
でも、それでいい。
人命を助けるための協力関係であるならば、俺も自分に言い訳が出来る。
だけど、その先を望むなら――
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「こちらこそお粗末様でした。片付けはしておくから休んでてくれ」
「……いくら何でも過保護すぎますよ」
「いいから。それでまた倒れられたらこっちが困る」
「…………それを言われては退くしかありませんね」
苦い記憶が蘇ったのだろう。
どちらかといえば、吸血の後のことが比重として大きそうだけど。
―――
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