第17話 愛がない関係性
「――乃蒼、俺と付き合ってくれ」
午前の授業を終えての昼休み。
乃蒼は告白の定番スポットである体育館裏で、別クラスの男子に想いを伝えられていた。
その男子は乃蒼にとってはほぼ初対面かつ、話した記憶も名前も知らない相手。
そんな異性から好意を向けられる機会は、幸か不幸か数えきれないほどにある。
慣れていても「またですか」と辟易してしまうのも無理はない。
しかも、馴れ馴れしく名前呼びまでされていた。
接点がほとんどない相手からの告白をどうして受けると思っているのかが、乃蒼には理解できていない。
その証拠に、過去にされた告白のほとんどが中身を伴っていなかった。
仮にある程度の交流があったとしても、返答は決まっている。
これまでは誰とも付き合う気がなかったとして追い返してきた。
しかし――乃蒼の状況も、色々と変わっている。
「申し訳ありません。あなたとお付き合いすることはできません」
他人行儀とも取られかねないほど丁寧に、乃蒼は彼からの告白を断わった。
なんてことはない、いつも通りの結果。
けれど、いつもの断わり文句とは意味合いが違うのを、彼は聞き逃さなかった。
「……俺とは付き合えないってことは、他の人ならいいのか?」
確かめるような声音と視線。
いつものように答えればよかったと思いつつも、誤魔化すよりはっきり明言しておいた方がいいかと乃蒼は結論を下す。
灯里を引き合いに出すのは申し訳なく思うけど、その方が面倒事を少なくできそうだと考えてのこと。
平均して週に一、二度も呼び出されるのは時間の無駄だ。
そんな時間があるのなら少しでも灯里と――などと考えたあたりで、脱線した思考を現実へ引き戻す。
「そのように捉えていただいて構いません。もちろん、その対象は一人だけです。何人にも好意を寄せるほど節操のない女とは思われたくないので、念のため」
誤解を招かぬようにはっきり告げると、その男子は乃蒼の言葉を噛み締めながら俯いて――舌打ちを一つ。
ゆっくり顔を上げた彼は、もう乃蒼のことを見ていなかった。
「デキてんなら先に言えよ。とんだ無駄足じゃねーか」
「――――」
「折角俺から告ってやってんのに、これじゃあ俺が馬鹿みたいだろ?」
途端に態度を変えて傲慢な物言いを繰り返す彼に、乃蒼は口を閉ざした。
これまでも断った途端に態度を変える人は少なからずいた。
でも、ここまで露骨かつ悪びれもないのは珍しい。
「顔が良くても男を見る目はないんだな。バスケ部キャプテンでめちゃくちゃモテる俺を振るくらいだし」
普通の女子なら黄色い声を上げるような笑みを浮かべて彼が言う。
……が、肝心の乃蒼の目は、絶対零度もかくやというほど凍えている。
乃蒼にしては珍しく怒りで感情が熱されていたものの、それをそのまま言葉にしないだけの冷静さは持ち合わせていた。
改めて彼を視界に捉え、考える。
自分でモテると言っているだけあって、顔立ちは整っているように見えた。
バスケ部キャプテンなら運動神経もいいのだろう。
だが、どちらも乃蒼の判断基準にはならないし、短いやり取りで致命的に合わない側の人間だと理解した。
ならば、感情を露わにするほどの価値もない。
――自分だけのことなら、それでよかったのだが。
「男を見る目がない、ですか。随分な自信ですね。あなたに他者を見下せるほどの魅力があるとは到底思えませんが」
「……んだと?」
灯里のことまで貶められては乃蒼も堪えられなかった。
冷たい声音で告げると、今度は彼の顔が怪訝に曇る。
まさか乃蒼に言い返されるとは思っていなかったのだろう。
その上、自分の魅力を否定されたとあれば、自尊心の高い彼は黙っていない。
「優しくしてりゃ偉そうに。状況わかってんのか? いざとなれば力でどうにでも出来るんだぞ」
彼は脅しをかけるようにパキパキと指を鳴らすが、乃蒼は呆れ果てていた。
男としてだけでなく、人間として下の下。
こんな人でもキャプテンとして部員を率いていることに頭が痛くなる。
しかも、脅迫紛いの言動までされたとなれば気分は最悪。
やっぱり告白は一律で無視するべきだろうか。
こんな面倒事に巻き込まれるくらいなら、告白を無視する冷たい女と評判が立つ方がよっぽど精神衛生上いい。
「これ以上のお話がないのであれば、私はこれで」
まともな話は出来なさそうだと判断した乃蒼が踵を返し、教室へ帰ろうとして。
「……っ! 待てよ!」
後ろ手を、彼が強引に掴んで引き留める。
部活で鍛えられた彼の握力は相当なもの。
肉体のスペックが人間よりも秀でた吸血鬼だから無事なだけで、不快感を示すように乃蒼は眉をひそめていた。
「離してください」
「だったら俺の話を――」
「話す意味がありません。告白の返事はノーですし、私の価値観と認識はあなたの言葉では変わらない。お互い無益な時間にしかなりませんよ」
「……っ!」
「もう一度だけ言います。手を離してください。三秒以内に」
交錯する視線。
乃蒼が「さん、に、いち」と淡泊に数えれば怖気づいた彼は手を離し、恨みがましい視線を最後に浴びせてから体育館裏を去っていった。
「……はあ。今日は散々でしたね」
乃蒼は彼の背中が見えなくなったところでため息をつき、愚痴をこぼしながら掴まれた腕を確かめる。
痛みは感じない。
袖を捲ってみると、素肌も無事だった。
「これで痕が残っていたら本当に恨んでいましたよ、全く。素肌を直接掴まれていたら……あの握力だとわかりませんでしたね」
自分の身体が常人より頑丈なのはわかっているけど、それとこれとは話が別。
彼も加減したのかもしれないが、そもそも強引に腕を掴む時点であり得ない。
「私が一人からの告白しか受け付けないという話はそのうち広まりそうですね。本当のところは想い人ですらないのに」
とはいえ、乃蒼が灯里のことを人として好ましく思っているのは事実。
命の恩人であることを差し置いても、灯里が善良な人間であることは短い付き合いの中で乃蒼も理解していた。
でなければあんなことはしないし、言わない。
「遠坂さんが直接告白してくれたら楽なんですけどね。晴れて恋人となり、冷やかし同然の告白に応じる必要もなくなります。問題は公言した際の反応ですが……私はどうにでもなるでしょう。女子生徒からは自分の想い人を取られないかと目の敵にされていますし。遠坂さんはしばらく大変かもしれませんが、どうにでもします」
けれど――仮に、灯里と恋人になったとして。
「……男女としての愛がない関係性を、果たして恋人と呼んでいいのでしょうか」
乃蒼は自分が灯里へ向ける感情を、愛とは認識していない。
義務ほど強制的ではないにしても、奉仕の精神のように自分を下に置く関係性だ。
「灯里様、なんて呼んだら、驚かれてしまいますかね」
ほんの遊び心で呟いた彼の名前。
それが妙にしっくりきて、口元に笑みを刻む。
「灯里様、灯里さん、灯里くん――どれが一番好きなのでしょう」
帰ったら直接聞いてみようと心に決め、乃蒼もその場を立ち去った。
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