第15話 これも立派な下心ですよ

 銭湯や温泉を別として、家のお風呂はある程度の年齢になれば一人で入る。

 そうなると誰かに身体を洗われる機会はまずない。

 あるとしても美容室とかで髪を洗ってもらうくらいだろう。


 だからこそ――この状況に違和感を覚えてしまうのは仕方のないことで。


「まずはちゃんと濡らしてから……ええと、シャンプーはどれでしょう」

「……これを使ってくれ」


 温かなシャワーで丹念に髪を濡らした早夜月に聞かれ、シャンプーをボトルごと手渡す。

 それを自然に受け取る早夜月……ほんとにどうなってるんだろうな、これ。


「シャンプーチェアがあればよかったのですが」

「美容室にある椅子?」

「どうしても片手はシャワーで塞がってしまうので、あったら楽かなと」


 ここで俺が賛同したら次の日には運び込まれていそうでちょっと怖い。

 早夜月にはものの数日で引っ越しを済ませた実績がある。


 そうこう話しながらも早夜月のシャンプーが始まった。


 頭に早夜月の指が触れる。

 揉み解すような手つきで、頭が次第に白い泡でまみれていく。


 自分でやるのとは明確に違う感覚に思わず息が漏れてしまう。


「髪、少し硬いですね。男性って感じがします」

「早夜月の髪に比べたらそうだろうな。触ってても楽しくないだろ?」

「そんなことありませんよ。新鮮で楽しいです。でも……今はちょっと伸びていますよね。短くしたらもっとかっこよくなりそうですが」

「……かっこよくなるかどうかはさておいて、髪を切るのは賛成だな」

「楽しみにしていますね。美容室を紹介するくらいは出来ますよ」


 美容室って……そこまで協力してもらわなくても、いつもの床屋でじゅうぶんじゃないだろうか。

 早夜月の紹介ってだけで俺には勿体ないレベルの場所だと思うし。


「かゆいところはありませんか?」

「大丈夫だ」

「心地よさそうなのはなんとなくわかります。でも、本当にかゆいところがあっても言いにくいですよね」

「気持ちはわかるけど……本当にかゆいところはないぞ」


 念押しすれば「そうですか」と目元を僅かに緩める。

 それからも洗髪は続くのだが、心地よさに反して一つだけ悩ましいことがあった。


 それは鏡に映る早夜月……の胸元。

 髪を洗う動きにつられて、体操着という比較的緩い恰好でもわかる大きさのそれが揺れていた。


 つい注目してしまうとしても、まじまじと見るのは褒められた行いではない。

 そうわかっていても見てしまうあたり、自分の意志薄弱さを痛感する。


「私の胸、そんなに気になりますか?」


 瞬間、思考を読んだかのように早夜月の声が差し込まれた。


 気まずさで表情が固まってしまう。

 けれどもどうにか「ごめん」とだけ絞り出す。


 しかし、早夜月は「いいんですよ」と微笑むばかりで、俺を責めようとしない。


「むしろ安心したくらいですよ。遠坂さんもちゃんと男の子なんだなあ、と」

「……下心はない方がいいんじゃないか?」

「興味のない相手ならそうですけど、遠坂さんは別です。今の視線も下心より単に動いていたから見てしまった、という雰囲気を感じました」

「信用しすぎだ。無意識にそういう目で見ていてもおかしくない」

「なら、意識していただいた方がいいのでしょうか」


 なんでそうなる? と思ったのも束の間、背中に柔らかいなにかが押し当てられた。


 鏡を見れば俺の真後ろにぴったりとくっついている早夜月。

 となれば、なにかの正体も推察が出来るわけで。


「一応聞くけど、なにしてるんだ?」

「見ての通り胸を背中に押し当てています」

「……どういう意図があってのことでしょうか」

「意識していただくにはこれが一番手っ取り早そうだなと」


 内心頭を抱えつつ考え――たいのに、押し付けられた感触が容赦なく邪魔をする。


「お嫌いですか? サイズ的にはそこまで大きいとは言えませんけど……柔らかさや形には自信がありますし」

「そういう問題じゃなくてだな」

「下着を着けたままだから柔らかさがいまいち伝わりませんよね。脱ぎます?」

「脱ぐな」

「残念です」


 残念ってなに?

 止めなかったら脱いでたの?

 てか下着ついたままでこんなに柔らかいのか。


 ……全然惜しいとか思ってないからな。


「――私、下心にも色々種類があると思うんですよ。遠坂さんが上げたような性欲を由来とするものは最たる例ですが、私のこれも見方によっては下心と捉えられます」

「下心ってより痴女的な振る舞いの方が近しい気が……」

「……むっつりなのは認めますけど、痴女は心外です」


 不満を示すように、さらに押し付けられる胸。

 こうも密着されては強引に振りほどくのも危ない。


 吐息が甘く、耳にかかって。


「遠坂さんに好意を抱いてもらい、今後も血に困らないような関係の構築を目論むことはじゅうぶん下心と呼んでいいでしょう。あなたがいなければ、文字通り日常生活もままなりませんので」

「……生きる上で必要不可欠なことを下心とは呼ばないだろ」

「これも立派な下心ですよ」


 くすりと笑んで、やっと離れていく。


 立派な下心とはこれ如何に。


 ……まあ、早夜月の理屈にも納得できる部分はある。

 全く隠す気のないそれを下心と呼べるのかは微妙だけど。


 などと考えながら鏡を見れば、背中にくっついたせいで早夜月の胸元が濡れていることに気づく。

 見てはだめだと思いながらも一瞬目にしただけで黒だとわかり、勝手に気まずさを感じてしまう。


 その気まずさを払拭するべく咳払いと共に視線を逸らし、


「……だからっていきなり胸を押し付ける必要があるとは思えない」

「口では遠ざけようとしていますが、まんざらでもなさそうに見えましたけどね。今も……濡れた胸元を見ていたでしょう?」

「…………悪い」

「謝るほど粗末で見るに堪えないものでしたか?」

「そんなわけ――」

「だったら胸の感触と透けていた下着姿の感想を聞きたいですね。今後の参考にしたいので」


 蠱惑的な笑みで求められるのはある種の羞恥プレイ。


 早夜月に髪を洗われているだけで意味が分からない状況なのに、濡れて透けた下着姿の感想を教えろとは。


 しかも今後の参考に?

 今後があるってこと?

 それは遠慮……したいけど、少し期待してしまう自分が恨めしい。


 恋愛をする気がなくても女性のあれこれに対する興味はあるわけで。


「……柔らかかった、です。下着は、なんていうか、意外と大人っぽい色だなと」


 包み隠さず正直に伝えれば、早夜月が一瞬間を置いてから意味深気な笑みを浮かべ、


「遠坂さんも結構むっつりさんですよね」

「……こんな迫られ方したら誰でもこうなるだろ」


 間違っても俺のせいだけじゃないと抗弁だけはしておく。

 むっつりと呼ばれても仕方ない……けど、男なんてほとんどこんなもんだと思う。


 それで終わりだと思っていたのに、緊張が緩んだ瞬間を狙って再び早夜月が耳元に顔を寄せていて。


「それはそれとして――触りたかったり、見たくなったときはいつでも教えてくださいね?」


 揶揄っているだけ……ではない。

 これまでの言動から嘘ではないのだろう。


 否応なく心臓の鼓動が早まり、熱を持った顔が恨めしい。


「長話しすぎましたね。そろそろ泡を流しましょうか」


―――

お風呂回は何度やってもいいとされている(諸説あり)

もうストックないので時間通りに更新できなかったらごめんなさい。朝更新できなかったらお昼です。お昼更新無かったらないものと思っていただいて……

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