第14話 私がしたくてしていることですから
「……お父さんの心配も理解しているつもりですが、何も変な話はされませんでしたよね?」
学園長と話した日の夜。
今日も今日とて早夜月が作ってくれた夕食の冷製パスタを食べていると、早夜月からそんな話題が振られた。
変な話……された気もするけど、本人に話すのは気が引ける。
まさか早夜月とそういう関係になってもいい、なんて話をされたとは口が裂けても言えない。
「…………その顔、何かされたんですね?」
「いや、別に」
「誤魔化し方が下手過ぎます。既に恥ずかしいところは何度も見られている気がしますが、自分の知らない場所で話題に上げられるのは別問題なんです。ところで、何を話されたのでしょうか」
おかしいな。
表情全体で見れば微笑んでいる気がするのに、目だけが全く笑っていない。
「……早夜月とそういう関係になることについて、とか?」
「他には?」
「最近のことと、早夜月が小さい頃の話――」
前者に一切の関心を示さなかった早夜月が小さい頃の話を持ち出した途端に顔を覆い、深いため息をつく。
反応するところってそっちなの?
実の父に異性関係を勧められてる方が恥ずかしいと思うんだけど。
「……流石にアルバムとかは見ていませんよね」
「手元にないけど機会があれば今度見せるとは言われたな」
「絶対に見ないでください。恥ずかしいので」
「そんなに?」
「そんなにです」
早夜月がここまで明確に拒絶するのも珍しい。
そこまで言うなら見ないでおこうと思う反面、気になってしまうのも人間の性。
「何がそんなに恥ずかしいんだ? 小さい頃の写真なんてあんまり大差ないだろ」
「……多分、アルバムに残ってるのは吸血鬼の本能に目覚めて、付き合い方がわからず陰鬱としていた時期なので」
「あー……」
早夜月は生まれた時から吸血鬼ではなく、途中から吸血衝動に悩まされるようになったんだったか。
だとしたら、見られたくないのも頷ける。
「でも、アルバムにあの学園長が悪い印象の写真を残すかな。楽しい時が全くなかったってわけじゃないだろ?」
「……それはまあ、そうですけど」
「だったら心配しなくていいと思うけどな。それか、一旦一人で見てみるとか」
「当分は遠慮しておきます。まだ、過去に向き合う勇気までは湧いてこないので」
それを決めるのも早夜月だからと話題はそこで切り上げ、食事を済ませたら二人で食器を片付ける。
片付けも一人でやると早夜月は言っていたけど、これくらいの手伝いはしておくべきだろう。
「お手伝いありがとうございます。お風呂も溜めてあるので入ってきてもいいですよ」
「……じゃあ遠慮なく」
早夜月を部屋に残したまま風呂に入るのは変な感覚がしたものの、勧められるまま入浴も済ませることに。
無警戒過ぎるか? でも、早夜月が悪さを働くとは思えないし。
そう思いつつ、湯船に浸かる前に身体を洗おうとしていると、
「――遠坂さん、入りますよ」
「ん? …………はい?」
声がかかり、いきなり開く浴室の扉。
止める間もなかったそれを許した俺が咄嗟に出来たのは振り向くことだけ。
微笑みながら立っていたのは半袖ハーフパンツの体操着を着た早夜月。
「朝のお約束通り、お背中を流しに来ました」
「…………冗談じゃなかったのかよ。ていうか何で強引に入ってきた?」
「正直に背中を流させてください、って言っても断るじゃないですか」
「そりゃそうだろ。ここ風呂だぞ? 俺は見ての通りなんだが」
「わかっていますよ。なので正面を向いていてください。私の体操着姿をじっくり見たいなら……まあ、考えますけど」
遠坂さんも男の子なんですね、とか言いたげな視線をやめろ。
……体操着姿に視線を奪われたのは認めるけどさ。
「……そもそもなんで体操着なんだ? 部屋に来た時は普通の服だったよな」
「お風呂だと濡れてしまうかもしれないので着替えました。体操着なら濡れる分には問題ありませんし。どうせなら水着の方がいいかなとも考えたのですが、まだ時期的に手持ちがなくて」
「…………」
水着という単語に若干心を引かれたのは咳払いで隠しておく。
てか着替えた? どこで? 俺の部屋以外あり得ないよな??
……こんなに胸がむずむずするのはなぜだろう。
「細かいことはいいじゃないですか。さ、前を向いてください。どこまで洗いました?」
「……まだ何も」
「では髪からにしましょう」
退く意志を感じられない早夜月に押し切られ、浴室の姿見を向き合う。
すると、いつの間にか早夜月が耳元へ顔を寄せていて。
「……ちょっと強引でしたよね、ごめんなさい。でも、これで私の気持ちが本当だとわかっていただけたと思います。これくらいのご奉仕は喜んでしますよ。その先も望むなら、遠坂さんのご自由に」
囁かれたのは謝罪と、完全に俺へ身を委ねるという宣誓。
これでも早夜月の気持ちを疑ったことはないつもりだった。
謝罪も誠意も、吸血に伴う対価も、早夜月が言うならそうなんだろうと思っていた。
でも、心のどこかでは誇張表現だと感じていたのかもしれない。
それをこんな形で覆されて、少なからず驚いている自分がいる。
「……俺は早夜月を人として蔑ろにする気はない」
「お優しいですね。けれど、心配は無用です。私がしたくてしていることですから」
くすり、と笑む早夜月が耳たぶへと息を吹きかけ、甘い感覚に背が震えた。
「それとも、こういうのは嫌いですか?」
「俺も男だから嫌いとは言わないけどさ、ちょっと絵面がアレというか」
「……つまり、私も裸になれば解決ですかね?」
「絶対やめろ」
「流石に冗談ですよ。今はまだ、そこまでしても避けられてしまうでしょうし」
なにやら不穏な言葉が聞こえた気がしたけどとりあえず聞き流して考える。
俺の部屋の風呂で、体操着姿の早夜月と二人きり。
裸の俺は逃げようにも扉を塞がれているので出られない。
強引に押し倒して出るとかの選択肢はなしだ。
万が一にも怪我をさせるわけにはいかない。
平和的な解決策はただ一つ。
俺がここで大人しく早夜月に髪と身体を洗われることだけ。
デメリットは俺が恥ずかしいことくらいしかない。
「……なら、頼んでもいいか?」
「お任せください。まずは髪から洗いましょうか」
鏡に映るにこやかな表情に一抹の不安を覚えながらも頷いた。
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