第10話 もしもこれが恋だとしたら
「――本当に、私はどうしてしまったのでしょうか」
乃蒼が灯里の隣部屋に引っ越してきた日の夜。
諸々を済ませて入浴中の乃蒼が、温かなお湯を手で掬い上げながらふと呟く。
「私は吸血鬼で、これまで家族の血しか受け付けなくて、なのに吸血衝動で遠坂さんの血を頂いてしまって、普通の吸血でも吐き出さなかった」
事実だけを羅列する乃蒼の声音には色んな感情が混ぜこぜになっていた。
今回の件は乃蒼にとって異常事態で、自分だけの感覚では判別がつけられない。
なぜ灯里だけが特別なのか。
疑問に対する答えを出すには、情報が不足している。
「決して文句をつけられる立場ではないことくらいわかっていますし、文句を言うつもりもありません。協力していただいているだけで感謝しなければ。私みたいな人ならざる者と関わるリスクはそれなりです」
世間一般に知れ渡っていないだけで、人ならざる者は現代社会に溶け込んでいる。
普通の人はかかわらずに……または、そうだと知らないまま一生を終えることが大半だ。
だが、彼らは事情を知る者同士で集まり、相互に協力して暮らしている。
そこへ外様が紛れ込むのは稀で、乃蒼もあまり他人を巻き込まないようにと言いつけられていた――のだが。
「……遠坂灯里さん。隣の席で今は部屋も隣の、男子高校生としてはしっかりしている印象の男の子。私を意識しようとしないのは意図してのことでしょう。元からそうだったのに、吸血の副作用を知ってからはその傾向を顕著に感じますし」
入浴中、リラックスした頭に浮かんでくるのは灯里のことばかり。
容姿自体は地味な方だけど気遣いが出来て、秘密を知っても軽蔑することなく手を差し伸べてくれるお人好しで、今後も長い付き合いにならざるを得ない相手。
灯里以外の血を受け付けなくなってしまった今、乃蒼は灯里に頼らなければ現代社会を生きていけない。
「私が悪いのは百も承知ですが、遠坂さんでよかったと思ってしまいますね。普段の様子から信用も出来ますし、苦手なタイプではありません」
学校に友達らしい友達……どころか普通に話す相手すらいない乃蒼ではあるが、学校生活の中でクラスメイトの性格くらいはある程度把握している。
隣の席の灯里であれば内容はともかく話す機会がそれなりにあった。
「……だからってお人好し過ぎるとは思いますけどね。普通、あんなに強引な吸血をしたら顔を合わせることすら拒絶されてもおかしくないです。なのに、血を今後もくれるなんて――」
そこまで口にして、言葉を留める。
脳裏に浮かぶ、灯里の血を吸っている自分の姿。
吸血衝動のときは、朧気ながら抱き寄せて首筋に噛みついたことは覚えている。
喫茶店と、先ほど部屋で行った吸血については言わずもがな。
首へ噛みつくのも、指を舐めるのも吸血のためとはいえ、何も知らない人が見れば勘違いしてしまう行為だ。
そして、灯里は普通の男子高校生で、乃蒼にも人並みの羞恥心はある。
灯里に自分の全てを捧げても構わないなんて言っていたのは、自分の命を救ってもらう対価として差し出せるのがそれくらいだったというだけ。
だとしても、その言葉に嘘はなく。
「……遠坂さんも必要なことだとわかっているはずです。仮にそれが原因で私を邪な目で見ていたとしても一切問題ありません。その先についても……恥ずかしいですが、求められれば応じますし」
言い切るものの、最後になるにつれて声量は萎んでいく。
だが、浴室は声が反響しやすく、自分の言葉が返ってきて顔が熱くなる。
「でも、これは血を頂く上での正当な対価です。体型維持も怠っていませんし、人に見られて恥ずかしい体つきでもない……はず、です」
またしても声量を尻すぼみにさせながら俯けば、湯に浮かぶ二つの膨らみが目に入る。
その拍子に、ふと考える。
「……そもそも、遠坂さんは私に興味があるのでしょうか」
改めて乃蒼は自分のスペックを脳内で羅列してみる。
学園長の娘であり、これまで一度も成績一位の座を渡したことがない。
運動神経も申し分なく、容姿もそれなり以上に整っている自覚があり、毎週のように別の男子から告白されるくらいにはモテる。
誰にも見せたことがない体つきも、男子高校生なら釘付けになることだろう。
その上、吸血後の副作用で蕩けた姿を見せていたり、誘惑と取られてもおかしくない言動も何度かしている。
「私が近づいたり吸血をすると相応の反応をしますが、手を出してくる素振りは一切ありません。となると、単に理性が硬いのでしょう。それ自体は喜ばしい反面、好意を抱いていただくには……少々ガードが固すぎます」
むむ、と眉間にしわを寄せる乃蒼。
乃蒼が灯里の隣部屋に引っ越してきた目的を考えると、真剣に考えなければならない問題だった。
現状、灯里の血しか受け付けない乃蒼だが、これがいつまで続くのかがわからない。
すぐに終わればいいものの……数年、数十年と続いた場合、灯里の人生を拘束することになってしまう。
もしも灯里に愛する人が出来てしまったら、乃蒼は完全に邪魔者になってしまう。
吸血という命に係わる事情があったとしても、普通の人には関係のないこと。
灯里の性格的に乃蒼を見捨てることがないだろうと思っても、その厚意に寄りかかる自分を乃蒼は許せなくなる。
だから、乃蒼は灯里からの好意を得ようとしていた。
打算的な考えながら乃蒼としても灯里に対する印象は悪くなく……むしろ吸血に伴う接触のせいか、いい方向に傾きつつあるのを自覚している。
そして、事実かどうかわからない吸血鬼の性質のこともある。
「――吸血鬼は恋をするとその人の血しか飲めなくなる……なんて、流石に迷信ですよね。遠坂さんへ向ける感情は、恋じゃない。私のことが好きになって欲しいのは吸血に際する罪悪感を少しでも減らすため。身勝手な目的のための行動は、恋じゃなくても成立します」
否定しつつも、頭の片隅で考えてしまう。
「もしもこれが恋だとしたら……きっと、悲恋で終わるのでしょうね」
不相応な恋の結末を想像して零した呟きは、湯船から立ち上がった水音で掻き消された。
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