第9話 理由の一つであることは否定しませんよ
「荷解きはこんなものでしょう。お手伝いいただきありがとうございます。あとは自分で出来ますので」
およそ二時間ほどかけて、早夜月は無事に収納スペースへ荷物を仕舞い終える。
中身の整理は早夜月が行い、俺は不要になった段ボールの処理などをしていた。
でなければ二次災害が発生しかねないなと考えてのこと。
折角馴染んできたのに、気まずい空気に戻るのは避けたい。
「大したことはしてないけどな。後半は話し相手になってただけだし」
「おかげで遠坂さんのことを色々知れましたから」
ポジティブな思考は俺も見習うべきだろうな。
「ところで、これからどうする? 話があるなら残るし、なければ戻ろうかと思ってたけど」
「まだすることがあるので残っていただければ。先にお茶を入れてきますね。インスタントですけど緑茶と紅茶ならどちらがいいですか?」
少し迷って「緑茶で」と答えると、早夜月がキッチンへ消えていく。
下手に動くのも良くないなと考えて、座ったまま帰りを待つ。
すると、緑茶が注がれた二つのコップとバタークッキーが運ばれてくる。
「お茶だけよりはと思ってクッキーも持ってきました。しっとり系のバタークッキーです。好きで常備しているんですよ。紅茶の方が合うかもしれませんけど、緑茶でも美味しいかと」
どうぞと目線で促してくるので、先にクッキーを一つ貰う。
「……舌触りがいいし、バターの風味がいいな」
「そうでしょう?」
満足げに頷いていた早夜月もクッキーを摘まみ、頬を緩める。
緑茶も落ち着く味わいで、二人揃ってほっと息をついた。
「……改めて、今日はありがとうございました」
「大したことはしてないし、こっちのセリフでもあるぞ。昼にあんなに美味しいホワイトシチューを作ってもらったわけだし」
「あれは然るべき対価の一つで、荷解きを手伝っていただいたのは別の話です。夜もシチューのつもりですが、そのままだと面白みがないので一工夫しましょうか」
「一工夫?」
「そうですね……バターライスを半熟の玉子で包んでシチューをかける、オムライス風なんてどうですか?」
「店で見るようなあれ?」
「あれです」
……それは期待大だ。
まだ夕食の時間には遠いのに、腹が空いてくる気がする。
「話が少し逸れましたが、遠坂さんに残って頂いたのは念のための確認をしたかったからです」
「……本当に俺の血を受け付けるのか、とか?」
「そうです。一度ならず二度受け付けたとはいえ、三度目も同じとは限りません。大丈夫そうならひとまず安心できますし、ダメなら原因を探る必要が出てきます」
「もしダメだったら早夜月は」
「この部屋はそのままで、一旦元の家に戻ろうかと。吸血衝動なんて爆弾を抱えたまま日常生活を送れると思うほど自分の理性を信用できません」
やっぱりそうなるよな。
隣に一人で引っ越してきたのは、俺の血しか受け付けなくなってしまったから。
その前提が崩れれば、隣に残る意味はない。
「なので……少しだけ、いただいてもいいですか?」
早夜月のお願いは俺に断れるはずのないもの。
後のことはなるべく考えないことにして頷けば、喫茶店の時とは逆に早夜月が俺の隣へやってくる。
膝に乗せていた手がそっと取られ、テーブルの上へ。
緊張のせいか口の中に湧き出た唾を飲み込む音は、聞こえなかっただろうか。
早夜月の顔色を窺うも、注意は全て俺の指先へ向いている。
青く澄んだ瞳は、早くも蕩けてしまっていて。
「……いただきます」
口元へ運ばれていく手。
一切の抵抗をしないまま、早夜月の口が指を咥えた。
二度目でもまるで慣れる気がしない感触にえも言えない感情が込み上げてくる。
指先にチクリと走る軽い痛み。
歯の硬さと舌の柔らかさが指の上下を挟み込む。
どうなっているかなんて見なくてもわかるし、それを見るのは気恥ずかしさが勝つため、視線は早夜月から逸らしておく。
「――やっぱり、大丈夫みたいですね」
いつの間にか指から口を離していた早夜月の呟きが耳に届く。
どこか艶めいた表情を浮かべているのは、吸血の副作用のせいか。
わかっていても魅力的に感じてしまうのは俺に女性への免疫がないからだろう。
ぺろりと唇を舐めた赤い舌。
それがさっきまで俺の指を舐っていたなんて、とても信じられない。
「私の顔、なにか変なものでもついていますか?」
「いや、そうじゃないんだけど。血って美味しいのかなって」
誤魔化しに聞こえる質問だったけど、これは知りたいことの一つだ。
唇を切ったときに感じるのは鉄臭い味。
決して美味しいとは言えないそれを早夜月は美味しそうに吸うから気になっていた。
「……難しい質問ですね。というのも、人と体調次第で味が若干変わります。健康的ならサッパリとしていて、不健康だと雑味が混じる……みたいなたとえで伝わりますか?」
「てことは、俺の血って不味い?」
「不味いとまでは言いませんが、絶賛するほど美味しいとも言えません。血というだけでそれなり以上の味には感じます。受け付ける血なら、の話ですけど」
それを聞いて安心半分、懸念が半分。
今後も早夜月が俺の血を吸うのであれば、品質改善に取り組まないと申し訳なく感じてしまう。
「……だから俺の食事の世話を?」
「理由の一つであることは否定しませんよ」
そりゃそうか。
人間誰しも美味しいものを食べたいよな。
でもま、吸血鬼なのに血を美味しく感じなかったらそれこそ問題だ。
人間で言うところの呼吸が苦痛とかやってられないだろうし。
そっちもなるべく頑張ろうと思っていたところで咳払いが聞こえ、
「遅れましたが、今日もありがとうございました」
「満足したなら何よりだ。今後もこんな感じ、だよな」
「そうなりますね。ところで――お茶が済んだら夕飯時まで一人にしていただいてもいいですか? 理由は……お察しの通りですので」
頬を染めての正直な深刻に俺は頭を抱えるほかなく、さっさと残りのお茶とクッキーを頂いて部屋に戻るのだった。
夜、夕食の準備のために再び部屋を訪れた早夜月と、まともに顔を合わせられなかったのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます