第7話 もしかしなくても
「すみません、運ぶのを手伝っていただいて」
「荷物持ちくらいはするし、早夜月にだけ持たせるのも格好悪いだろ?」
買い物から帰宅した俺たちは、冷蔵庫へすぐに使わない食材を手分けして仕舞う。
長らくまともに使われていなかった冷蔵庫を食材が埋める光景は感慨深い。
それもこれも、俺がまともに料理をしなかったのが悪いけど。
「さて、と。それでは、早速ですが調理に入りましょう」
ポケットから取り出したヘアゴムで長い銀髪を束ね、調理台に立つ早夜月。
露わになった白いうなじ。
なんとなく、見てはいけない気がして、さっと目を逸らす。
「遠坂さんは……一応聞きますが、料理の腕前は?」
「斬る、焼く、茹でるくらいならなんとか」
「申し訳ないですが戦力外ですね。出来るまで待っていていただけると」
「……全部任せて悪い」
「あ、戻る前に調理器具の場所だけ教えていただいてもいいですか?」
「この棚に全部入ってた気がするけど……あった」
流し台の下の引き戸を探ると包丁をはじめとして、まな板やら鍋が並んでいた。
どれもほとんど使った形跡がなく、料理をしないのがバレバレだ。
「ここのやつは好きに使ってくれて構わない。皿もそっちに」
「なるほど、わかりました。ありがとうございます」
料理で使いそうなものの場所を教えてから、大人しくリビングで待つことに。
すると、調理の音がキッチンから聞こえてくる。
包丁が食材を切る音、クッキングヒーターが鳴らす電子音、そして――なぜか、早夜月が奏でる鼻歌まで。
何の曲なのかわからないけど、めちゃくちゃ上手い。
でもこれ、本人的には無意識なのでは。
早夜月が人前とわかっていながら鼻歌を歌うようには思えない。
それか……俺の前だから気を抜いているのか?
学校では人を寄せ付けないまでも線を引いた対応の早夜月が、俺の家で昼食を作りながら鼻歌を歌っているなんて、俺の手には余る状況だ。
「……どうしたもんかなぁ、これ」
でも、早夜月の話によると今後もこれが続くらしい。
俺が早夜月へ血を与える代わりに、毎日早夜月が家事をする。
それ自体は助かるのだから断りにくく、吸血のことを考えても俺の部屋に招くのがベストだと理解しているつもりだ。
だけど、吸血にはそれなりのリスクが付き纏うわけで。
「俺が変な気を起こさなきゃいいだけの話、か」
求められることは単純だけど、早夜月相手にどれだけ理性が保つのかの疑問は残る。
恋愛対象としての興味はなくとも、早夜月の容姿が優れているのは疑う余地がない。
おまけに吸血の対価として身体でもなんでも捧げようとしてくる始末だ。
そんな早夜月を相手に、健全範疇の男子高校生が抗えるだろうか。
俺も早夜月も一人暮らしなのが非常に都合がよく、見方を変えれば悪い。
親の目を気にせず、その気になればそういうことを出来る環境が整っている訳で。
「……本当に、気を付けないとな」
などと考えながら待つことしばらく。
キッチンから漂ってきたいい匂いに気づくと、早夜月も顔を見せてくる。
「もうそろそろできますよ。ルーも溶かしたので少し煮込むだけです」
「ありがとう。食器運ぶくらいは手伝わせてくれ」
「では、お願いします」
器に盛りつけ、リビングへ二人分の昼食を運ぶ。
メニューとしてはホワイトシチューとサラダという、これまでの食生活から比べるとかなり健康的なもの。
「ルーで作っているので味は大丈夫かと思いますが、もしもお口に合わなかったら教えてください。今後の参考にしますので」
「……大丈夫じゃないか? これで美味しくないわけがない」
期待を寄せつつ、手を合わせてからスプーンでシチューを掬い、口へ。
出来立てのシチューは暖かく、優しい味をしていた。
まろやかで、野菜の甘味が溶けだしたそれが、どこか懐かしく感じる。
「……美味しい」
「であればよかったです」
思ったことを繕うことなく言葉にすれば、安心した風に早夜月が微笑む。
そして、早夜月も静かに食事を始めた。
「自信ありそうだったから疑ってなかったけど、料理も出来るんだな」
「将来のために一通り身につけましたので。お話していた通り、今後も家事全般は任せていただいて結構ですよ」
「正直このレベルの手料理を毎日食べられるのも、家事の手間が減るのもありがたいけど、本当にいいのか?」
「一人分も二人分も手間はあまり変わりませんし、私は遠坂さんに吸血でご迷惑をかける側ですから」
本当にそうだろうか。
血を与えるだけなら大した手間はかからない。
指先を切って、あとは早夜月にお任せだからだ。
……まあ、その状況自体が健全な男子高校生として問題なのはその通りだけど。
でも、別に直接牙を埋めて吸血させて欲しい、という話ではない。
だったら俺が考えることは血を吸った後の早夜月をどうするか、くらいなもの。
流石に理性が残ったままなら、早夜月に迫られても襲うことはない……はず。
微妙に自分の理性を信じられないのは許して欲しい。
「でも、お洗濯は遠坂さんにお任せした方がいいですか? 下着は見られたくないとか、あるかなと思いまして」
「あー……そうだな。洗濯は俺がやるよ」
「わかりました。私の当番は料理とお掃除……後者の心配なさそうですが」
まめに掃除をしていて本当に良かった。
大惨事のところに早夜月を招くとか考えたくもない。
それでも軽蔑とかしないで、仕方なさそうに「片付けましょうか」とか言い出すんだろうけど。
「というか、俺の心配ばかりしていていいのか? 引っ越してきたばかりなら荷解きとかあるだろ」
「午前中の内に最低限必要なものは業者の方と一緒に整理しました。すぐに使わない荷物が入った段ボールはありますが、そのうち片付くかと」
「人手がいるなら手伝うぞ? 昼食も作ってもらったし、休みの日は基本暇だから。……ああでも、部屋に入るのはあんまりよくないか」
「何もない部屋に入られて困ることはありませんよ。手伝っていただければありがたいです。食後、少し休んだらお願いしてもいいですか?」
「了解だ」
なんて言ってる間にシチューの皿が空になっていた。
こんなに美味しい飯は久しぶりだった。
「もうお腹いっぱいですか? おかわりもありますよ」
「……じゃあ、少しだけ」
「盛ってきます。待っていてくださいね」
皿を持っていく早夜月の背を見送り、再度思う。
これ、もしかしなくても通い妻だよな……と。
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