第6話 通い妻みたいだな

 部屋に上がった早夜月は部屋を見回して「意外と綺麗にしているんですね」と感心したように呟いた。

 掃除、ちゃんとしててよかったな。


 しかし、すぐにキッチンへ向かった早夜月が冷蔵庫の中身を確認して、凍り付く。


「どうして中身がミネラルウォーターと残り物のお惣菜だけなのでしょう」

「……そういうこともあるだろ」

「…………一年以上もこんな食生活を?」

「滅多に料理しないだけでパスタとかうどんとかそうめんとかは作れるぞ?」

「色々言いたいことはありますが、好都合と捉えることにしましょう。私の料理で胃袋を掴みやすいわけですから」


 少しだけ呆れた風にため息をつく早夜月。

 そんなわけで、まずは食材の買い出しへ出ることになった。


 俺も荷物持ちとしてついて行くことになり、スーパーまでの道を並んで歩く。


「……ところで、どうやって俺の部屋の隣に?」

「あまり褒められたことではありませんけれど学園長の父へ話を通し、遠坂さんの住所を把握しました。そして元々住んでいた隣部屋の方にも交渉をして住居を紹介する代わりに立ち退いてもらい、入れ替わりで私が入居したんです」

「個人情報の保護とは一体。ていうか、早夜月家の権力ってそこまでなのか」

「お気を悪くしてしまったら申し訳ありません。ですが、私としても、人ならざる者を抱える早夜月家としても早急に解決したい問題でして。後程父からも謝罪とご説明があると思います」


 父って学園長のことだよな?

 何度か見たことはあるけど、直接話したことはない。


 記憶にあるのは穏やかながら堂々と講演をする姿だけど……流石に緊張する。


「ともかく、これで血の摂取に関する障害はほとんどなくなりました。お隣ならいつでも都合をつけられますし、私も遠坂さんの家事をしに行けます」

「……マジで?」

「ダメ、でしょうか。遠坂さんが何一つとして要望を言わないものですから、これくらいしか出来そうなことがなくて」


 俺が要望を伝えなかったのは本当に思い浮かばなかったからだけど……それだと早夜月的には納得できないのだろう。

 だから隣に引っ越してきたのを利用して家事をしてしまおう、という考えか。


 吸血は人目につかないようにどちらかの部屋でするはずだから、部屋に上がる理由もある。

 それは基本的に俺の部屋になると思う。

 早夜月の部屋に上がるのはちょっと心理的ハードルが高いし。


「いくらなんでも無警戒だって指摘は、多分必要ないんだよな」

「遠坂さんを警戒する理由がありません。私の立場は与えられる側ですし、遠坂さんの協力なしに日常生活が送れませんので」

「……なんで俺なんだか」

「あの時に偶然でも助けてくれたのが遠坂さんだったからですよ。迷惑をかけている身で何を言っているのかと思いますが」


 偶然でも助けたのが俺だった……ねえ。

 吸血衝動で意識がないまま吸った血の味を覚えてしまったとか?


 それはもう一種の刷り込みじゃないだろうか。


 雑談もそこそこにスーパーへ到着した俺たちは、カゴを取って食材を選ぶ。


「ちなみに何を作るつもりで?」

「リクエストがあればお応えしますよ。家庭料理なら大体大丈夫だと思います」


 事もなげに早夜月が答える。

 料理まで得意とはな……完璧美少女は伊達じゃない。


「俺も好き嫌いはない……あ、パセリとかパクチーは得意じゃないかも。とりあえず今日は早夜月におまかせで頼む」

「わかりました。では、ホワイトシチューにしましょう」


 メニューも決まったところで必要な食材がカゴに入れられていく。


「材料費は払うぞ。流石に申し訳ない」

「気にしなくていいですよ。この程度の額で遠坂さんへの恩を返せるはずがありませんし、謝礼の一部とでも思っていただければ」


 納得は、やはりできない。

 ……できないものの、どちらかが折れなければ進まない話で、早夜月は絶対に折れてくれないのがわかりきっている。


「……わかった。そういうことならありがたく甘えることにするけど、俺なんかの血にそこまでの価値があるのかは疑問だ」

「値段は付けられそうにありませんね。もちろん計り知れない、という意味です」

「生命維持装置としては破格の値段なのか? 家事全般で賄えるわけだし」

「たったそれだけで満足させる気はありませんけどね」


 すまし顔で放たれた言葉の裏は容易に察せられた。


「……都合のいい女扱いされてもいいと言ってるように聞こえるぞ」

「そう言ったつもりですよ? ちゃんと愛してくれた方が嬉しいですが、こういう身の上ですからまともな人生なんて期待していません。なので、遠坂さんに私を好きになってもらう努力をする方が建設的かと」


 口にする早夜月の表情は変わらず……けれど、声音は寂しそうに聞こえた。


 吸血鬼。

 誰かから血を貰わなければ社会生活を送れない、一般的な人間の範疇を超えた存在。


 禁忌とされる食人には及ばないまでも人間の血を摂取して生きる存在を、人によっては認めないだろう。

 場合によっては排斥、処分しようと試みるかもしれない。

 だからこそ、吸血鬼をはじめとした人ならざる者は世間に存在を隠されている訳で。


「……本当に俺なんかで悪いな。もっといい男が良かっただろ?」

「私は人を見た目だけで判断しないように心がけていますが、遠坂さんは真面目でいい人だと思っていますよ。いい人過ぎて、心配にもなりますけど」

「俺は早夜月が評価するほど真面目でいい人間じゃないと思うぞ」

「そうでしょうか。普通の男性……男子高校生であれば遠坂さんから初めて頂いた日に、欲求に任せて私と身体を重ねていたと思います。そうしなかったのは遠坂さんが真面目でいい人だから、ということになりませんか?」

「本能に任せて女性を襲うのはあり得ないだろ」

「ですが、理性で本能を封殺できる人間は貴重です。だから私は遠坂さんを信用できますし、もしそうなっても不当な扱いは受けないだろうという打算もあります」


 早夜月が理性を重んじるのは、自身が吸血衝動というどうしようもない本能が発露してしまうからだろうか。


「……俺を信じることで自分を否定しているのか?」

「その側面もあります。どうか遠坂さんも胸の内に留めていてください。私は本能に抗えません。吸血衝動が起こったが最後、遠坂さんがどれだけ抵抗しても血を啜るために牙を立てるでしょう」

「…………」

「そうならないように最大限の努力はします。私を理解しようとしてくれた遠坂さんを傷つけたくありません。ですが、もしもそうなってしまい、遠坂さんが私を拒絶したいというのであれば、私に是非はありません。直ちに遠坂さんの前から消えるとお約束します」


 早夜月の横顔。

 辛うじて窺えた眼差しは誰も寄せ付けない冷たさを帯びていながら、孤独に怯えているようにも見えて。


「無責任に投げ出したりはしないから安心してくれ」

「……本当に、ありがとうございます」


 言葉と共に浮かべた微笑みを、どこまで信用していいものか。


「話が変わりますが、遠坂さんのお家に調味料はありますか? 冷蔵庫の中身だけしか確認しなかったので」

「……賞味期限が怪しいかもしれない」

「であれば買っていきましょうか。今後も遠坂さんの家で作るつもりですし」


 まるで通い妻みたいだな、と思ったものの、胸の内に秘めておくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る