第5話 勝手に尽くさせていただこうかと
「ここ、だよな」
放課後――事前に早夜月から送られていた喫茶店の場所へ到着した俺は、情報と実物を念入りに見比べる。
外観は高校生男子が一人では入りにくいお洒落な雰囲気。
中は見えないものの、恐らく外観の延長線上と考えていいだろう。
どうやら早夜月が席を予約しているため、名前を出せば案内してくれるとのこと。
ここまで来て帰ります、なんて出来るはずがない。
明日、早夜月に合わせる顔もないからな。
「緊張するけど……行くしかないか」
意を決して扉を開けると、ほんのりコーヒーのいい匂いが漂ってくる。
クラシックのような穏やかな曲調のBGMもかかっていて、内装も落ち着いた色味で飾り気の少なく、シンプルながらまとまりのあるものだ。
店員さんに早夜月の名前を伝えると、すぐさま席に通される。
そこは店の奥にある個室。
先に来ていた早夜月がぼんやりとメニュー表を眺めていた。
しかし、足音で気づいたのか、顔を上げてこちらを見る。
「遠坂さん、私の事情でお呼び立てして申し訳ありません」
「いや、気にしてない。急用だったんだろう?」
「……かなり切羽詰まった状況であることは確かです。ですが、とりあえず座ってください。お話の前になにか注文しましょう。お代は私が持ちますので」
「それは流石に悪いって」
「これくらいはさせてください。誘った手前、遠坂さんに負担を強いることはできませんし、頼みごとの内容に比べたら微々たるものです」
……俺、本当に何を頼まれるんだ?
でも、それなら厚意に甘えておくべきか。
俺も懐事情に余裕があるわけじゃない。
親父から留守を預かっているのだから、なるべく無駄遣いは避けたい。
ありがたく受け入れることにしてメニュー表を確認。
……え、ナニコレ。
コーヒー一杯で一番安くても五百円??
高いやつは千円くらいするし、ケーキセットも同じくらい。
完全に俺が知らない世界の話だ。
散々迷った挙句、俺はカフェオレを選び、早夜月はアールグレイとケーキセットを注文。
「注文も済ませたところで、早速ですが本題に入らせていただきます」
コホン、と挟む咳払い。
表情は真面目そのもので、眼差しからは必死さすら感じられる。
その早夜月が、おもむろに口を開いて。
「――遠坂さんの血を、また頂くことは出来ないでしょうか」
想定していたうちの一つを俺へ告げた。
俺の血を頂く……つまりは、また吸血させて欲しいという頼みだ。
でも、それは妙だとも思う。
早夜月はこれまで姉から血を貰っていたはず。
それが出来ない事態が発生したため、秘密を知る俺へ協力を持ち掛けてきたのか?
「……理由を教えてくれ。じゃないと決められそうにない」
「勿論です。まず、私は定期的に血を摂取しなければ体調が酷く悪化します。その血はこれまで家族……主に姉から頂いていました。昨日の夜もこれまで通りに頂いたのですが……どういうわけか姉の血を身体が受け付けず、吐いてしまって」
神妙な面持ちで語られる内容に、つい疑問が浮かんでしまう。
「誰の血でも摂取できるわけじゃないのか?」
「幼いころに色々あって、信頼できる相手の血でないと吐き出してしまうようになったんです。その後、姉だけでなく父と母の血も貰ったのですが、結果は同じで……」
「だったらあの時、俺の血を受け付けたのはおかしい気がするんだけど」
「遠坂さんの言う通り、今回の話の肝はそこです。吸血衝動の最中だから大丈夫だったのか、遠坂さんが特別なのかの判断が出来ていません。ですが、信頼できる家族の血を受け付けない現状、特例の遠坂さんに頼る他ないんです」
……軽い気持ちでの質問だったのに、思ってた何倍も重たい事案らしい。
というか、普通に死活問題では?
今の早夜月は頼みの綱だった家族の血を受け付けない。
そうなれば必然、体調は悪化の一途をたどる。
「……まさか今も体調が?」
「お世辞にもいいとは言えません。顔色の悪さは化粧でカバーしていますが、その様子だと上手く誤魔化せていたみたいですね」
体調不良を認める早夜月だが、俺としては気が気でない。
その先に起こることを実際に目の当たりにしているからだ。
「当然ですが、無報酬ではありません。相応の金銭のお支払いは約束いたしましょう。他にも私個人への頼み事があれば、なんなりと」
ここまでの好条件を提示されるのは、文字通り生命活動が脅かされているから。
となれば、早夜月の今後は俺の行動次第でどうにでもなるわけで。
「命に係わる話なら是非はない。血を与えるだけでいいなら協力する」
「……本当に、ありがとうございます」
協力を申し出ると、早夜月は座りながらも深々と腰を折る。
「もしも遠坂さんに断られたら、途方に暮れていたところでした。吸血衝動の関係で学校にも行けなくなっていたでしょうし、人との関りを完全に断つ軟禁生活に耐えかねて自殺していたかもしれません」
「大袈裟……ではないんだよな、多分」
「ええ。心の底から感謝しています」
「まだ喜ぶには早いと思うぞ。俺の血を受け付けると決まったわけじゃない」
話もまとまったところで頼んでいたカフェオレとケーキセットが到着し、店員さんが「ごゆっくり」と出ていく。
再び二人になったところでカフェオレを飲む……前に、早夜月から「すみません」と待ったがかかる。
「どうした?」
「ええと……その、出来ればお先に血を頂いてもよろしいですか」
「それはいいけど、ここで?」
「ここは早夜月と繋がりがあるお店の一つなので、秘密が漏れる心配もありません」
「……それならまあ、いいけど」
「であれば対面だと、少し遠いですね。私の隣に来て、指を一本貸してください。皮膚を噛み切りますが、どうか我慢していただけると助かります」
「わかった」
頷いて、早夜月の隣の席へ移動する。
距離感が近くて落ち着かないけど、それを隠して早夜月へ左手を差し出した。
その手を早夜月がそっと取り、確かめるかのように指先でなぞっていく。
「……私よりも一回り大きくて、骨ばっていて、男性の手という感じがします」
しみじみと呟かれる感想。
優しく触られる感触がこそばゆく、胸の内をざわつかせる。
そして、俺の人差し指へ唇を近づけ、
「それでは、いただきます」
伏せられる長い睫毛。
耳に髪をかける仕草が妙に艶っぽい。
小さく開いた赤い口に、人差し指が咥えられた。
「…………っ」
生暖かく唾液に濡れた舌が指先に触れた瞬間、ぞわりと背に震えが走る。
第二関節までが呑み込まれたそれを舐り、僅かな痛みを指の腹に感じた。
早夜月の八重歯が指を噛み切ったのだろう。
目で見えずとも溢れた血を早夜月が舐め取っているのが、指に当たる舌の動きで察せられた。
そして、白くなだらかな喉が上下し――
「……らいひょうぶ、みたいれす」
指を咥えたまま、ほっとした表情で口にする。
「それならよかった」
平静を装いつつ返答するも、内心は気が気でない。
興味がなくても、こんなに可愛い女の子に指を舐められながらというのは、なかなかに来るものがある。
あと、どうしても血を吸った際のあれこれが脳裏を過って、落ち着かない。
返答の後、指の傷を舌先がくすぐったかと思えば、満足したのか口を離した。
唾液にまみれた指が照明を反射し、怪しく光る。
その先端に刻まれた僅かな傷。
僅かに滲んだ血を、早夜月は勿体なさそうに見つめていた。
「……俺に遠慮して足りなかった、とかじゃないよな?」
「…………勿体ないなあ、とは思っていましたが、じゅうぶんです。それよりも血を受け入れられたことに安心したのか、力が入らなくて」
くしゃりと、今にも泣きそうな目をしながら呟く。
言葉通りに姿勢を崩した早夜月が、凭れかかってくる。
肩に乗る重みと、微かな体温。
細い髪が重心に沿って流れ、早夜月の顔を半分ほど白銀に染めた。
髪が覆わない顔の残りの半分。
前髪の隙間から、色を変えた紅い瞳が俺を映す。
瞳に滲むのは……安堵、だろうか。
「すみません。勝手に肩を借りてしまって」
「……それはいいけど、大丈夫なのか?」
「体調はじきに良くなります。
言葉を濁したものの、早夜月が言わんとすることは察せられた。
証拠によく見れば頬がほんのり赤く染まっているし、そわそわしている脚の間には耐えるかのように手が挟まれている。
「長居はしない方が良さそうだな」
「……ですね。それにしても、どうして遠坂さんの血は大丈夫なのでしょう」
信頼できる相手の血しか受け入れられない、という言葉を信用するなら、俺は早夜月に信頼されている――ということになる。
……なんて、あり得ない話だな。
あの一件までは関りがなかったわけだし、信頼関係を構築する出来事もなかった。
「でも、俺の血しか受け入れられないなら、早夜月は今後どうしたら……?」
「遠坂さんには定期的に協力していただく、ということになるでしょう。身勝手な頼みなのは理解していますが……そこをどうか」
「断れるわけないだろ。命がかかってるんだから」
「……ありがとうございます。であれば、私に考えがあります。なるべく遠坂さんの負担にならないよう最善の努力をさせていただきます」
最善の努力とは一体……? となったものの、その場は健全なお茶会としてひとまずお開きとなり――
週末、土曜日のお昼頃。
午前中から妙に隣の部屋が騒がしいなと思いながら昼食の準備でも始めようかとしたところ、ピンポーンとチャイムが鳴る。
新聞とか宗教の勧誘は間に合ってるんだけどな、と思いつつドアスコープから訪問者を確認し、
「……は?」
思いもよらない相手に、思わず声が上がる。
ドアを開けると、立っていたのは楚々とした私服姿の早夜月で。
「おはようございます……には少し遅い時間ですね。こんにちは、遠坂さん」
「……なんで早夜月が?」
「お隣に引っ越してきたので、ご挨拶をと思いまして」
そう言って、包装に粗品と書かれた包みを手渡される。
軽い、なんだろう、タオルか?
…………いや、そうじゃなくて。
お隣に引っ越し? 早夜月が??
「まさか、最善の努力って」
「お隣なら学校の時間に縛られることはありません。それに、これなら色々と遠坂さんのお世話も出来ますし」
「……俺の、世話?」
「結局遠坂さんから血の対価のことを言われていなかったので、勝手に尽くさせていただこうかと。料理洗濯掃除……必要なら、ちょっと恥ずかしいですが
照れくさそうに笑む早夜月を前に、俺は眉間を揉むしかなかった。
「とりあえず……手始めにお昼ご飯を作っていってもいいですか? 普段の様子を見るに、あまり料理が得意とは思えませんので」
いつも購買で買ったものを食べているのがバレていたのだろう。
気恥ずかしさを覚えながらも、その申し出を断ったら今度は何をしでかすのかわからなかったため、仕方なく部屋へ招くのだった。
―――
きちゃった❤(物理)
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