第3話 帰ってしまうんですか?

 ――とりあえず、場所を移しましょうか。


 早夜月に言われるがままに保健室へ移動したところで無意識の間に張り詰めていた緊張の糸が緩んだのか、ベッドに身体を預けると動けなくなってしまった。

 身体に力が入らない……というか、重い。


 例えるなら酷い風邪をひいたときの怠さに似ているだろうか。

 こんなに体調が悪いのは数年ぶりだ。


「……にしても、吸血鬼なんて空想上の生き物が現代に存在していたとは驚きだ」

「一般社会からは秘匿されていますから」

「自分は一般人じゃないって言ってるように聞こえるな」

「一般的な人間の範疇に収まらない存在であることは認めますよ。遺伝的にかなり薄まっているとはいえ、私は吸血鬼。なので血を吸わなくても生き永らえられます。代わりに酷く体調が悪化しますが」

「その結果がアレ?」

「……本当に、遠坂さんには許されざることをしたと考えています」


 救急箱を探し当てた早夜月がベッドの空いているスペースに腰かける。

 二人分の体重に、ベッドの金具が軽く軋む。


「ひとまず手当てをしましょう。私の唾液には吸血をスムーズに行うため軽い麻酔と止血、鎮痛作用があるので悪化することはないと思いますが」

「…………」


 真実かどうかはさておいても、唾液にそんな効果まであると知らされれば微妙な気分になってしまう。


 そんな俺の心境を置き去りにして早夜月が俺の首をまじまじと見つめる。


「……血は止まっているので、念のため消毒をして絆創膏を貼るだけにしておきましょうか。大袈裟に手当てをすると目立ってしまいますし。少し沁みるかもしれませんが、我慢していただけると」

「悪いな。一思いにやってくれ」


 気にする必要はないと伝えれば、早夜月の手当てが始まる。


 消毒液をしみ込ませたガーゼはちょっと……ちょっとだけ沁みたけど、声を上げるのは堪えた。

 その後は絆創膏が貼られて終わりだから手際も何もない。

 でも、とても丁寧に処置してくれたことは真剣な表情や手つきから伝わった。


「さて……処置も済んだところで、私のことをお話しましょう」


 処置に使った道具を仕舞い、隣り合ったまま早夜月が一呼吸。


「まず、私は普通の人間ではなく、吸血鬼の血を引いています。先祖の一人に吸血鬼がいました。ですが、早夜月家の人間が全員吸血鬼かと聞かれれば、違うという答えになります」

「……正直まだ吸血鬼が現代社会にいるなんて信じ切れてないけど、早夜月は先祖返りって言ってたよな」

「そうですね。そのせいか髪は白銀色ですし、瞳も青……今は吸血後なので赤くなっていますけれど」


 早夜月が指さす瞳は確かに赤い。

 しかし、全体が充血しているような雰囲気ではなく、ちゃんと白目が存在する。

 虹彩だけ色が変わるなんて普通の人間じゃあり得ないことだ。


「話を戻しますが、吸血鬼の血を引く私は定期的に人間の血液を摂取しないと体調が著しく悪化します。主に貧血に似た症状ですね。なので普段は姉から血を頂いているのですが……色々あって頂き損ねてしまい、あんなことに」


 色々あっての部分が気になるところだけど、聞かない方がいいんだろう。

 家族の問題にまで首を突っ込む気はない。


「もうお察しかもしれませんが、血を摂取しない期間が長くなると、本能的に血を求める吸血衝動が引き起こされます。吸血衝動の間は血への異様な飢えにより理性を失ってしまうので、気を付けてきたのですが……」

「俺を襲ってしまった、と」

「……面目次第もございません」


 早夜月が言わなかった続きを代弁すると、申し訳なさそうに顔を伏せていた。


 本当に反省しているのが雰囲気から伝わってくる。

 あの早夜月がこんな嘘をつくとは思えない。


 でも、本当に襲ったと認めるんだな。

 そこは俺も否定しないし、かなり驚いた。


 ただ……反省している早夜月に追い打ちをするのは違う、とも思う。


「それと、これもお気づきかと思いますが、吸血の際には相手へ性的快楽を感じさせる成分が送り込まれます。これは吸血を拒絶されないための機能だったのでしょう。遠坂さんがそういう気分・・・・・・になるのは当然のことなので、気に病む必要はありません」


 早夜月の説明で俺が感じていた疑問点が一つ解消される。


 やはりあの時の急激な性欲の高まりは、吸血を起点としたものだったらしい。

 その手の性癖が知らない間に開拓されていた可能性も捨てきれていなかっただけに、内心安堵の息を零す。


 しかし、浮かない顔をしていた早夜月が「すみません」と唐突に謝った。


「急に謝ってどうしたんだ」

「その……恥ずかしくて、不都合な真実を隠そうとしました」

「真実?」

「正しくは直接牙を突き立てて吸血した場合は両者に、指を切るなどして血だけを摂取した場合は私だけが性的快楽を感じる対象になります」


 最後になるにつれて声量が尻すぼみになり、白い頬をほんのり赤く染めていた。


 ……それはつまり、俺だけでなく早夜月もそういう気分になっていたという自供に他ならなくて。


 早夜月が伏せがちにしていた赤い瞳と視線が交わる。

 瞬間、空気が変わったのを肌で感じた。


 放課後、二人きりの保健室。

 一つのベッドで並ぶ俺と早夜月。


 その気になればどうにでも出来るほどの距離感で――


「……妙なことをする気はない」


 両手を上げ、先んじて降参の意を示せば早夜月がきょとんと眼を丸くし、口元に手を当ててくすりと笑む。


「すみません。遠坂さんの反応があまりにも素直だったので、つい」

「笑って貰えるだけマシだ。でも、教えなくてもよかったんじゃないか? 俺が都合のいいように解釈して襲っていた可能性もあったはずだ」

「その程度のことで許されるのであれば構いませんよ」

「……冗談でもやめてくれ」

「冗談ではありません。遠坂さんへの対価を支払えていないのですから」

「対価なんて大袈裟な。俺は見ての通り生きてるし、謝罪も誠意も受け取った」

「大袈裟ではなく、絶対に必要なことなのです」


 首を振って早夜月は断言する。


「対価が必要な理由ですが、一つは私を含めた吸血鬼のような人間が現代社会に存在していることを外部に漏らさないための口封じです」

「……確かに世間一般に知れたら大事か」


 吸血鬼のような人間、と言ったことから、他にも似たような存在がいるのだろう。

 現代社会は知らないだけで意外とファンタジーだったらしい。


 それを守り続けてきたから、俺は吸血鬼の存在を知らなかった。


「二つ目は私たちのような存在は国家権力によってある程度は保護、ないし秘匿されているため、罰則らしい罰則を与えるのが難しいからです」

「国家権力の保護?」

「私のように他者を傷つけなければ生きていけない人ならざる者へ、その度に罰則を与えていたらきりがないのです。だからこそ外部へ迷惑をかけないように身内で問題を解決してきたのですが――」

「偶然にも巻き込まれたってわけだ」

「偶然ではなく不運が正しいとは思いますが、私が言えたことではありませんね」


 自嘲気味に笑んで、早夜月が息をつく。

 憂いを含んだ表情すら絵になるのだから恐ろしい。


「ですので、遠坂さんには対価を受け取っていただきます。これは絶対です」

「対価って言われてもな……」

「私と早夜月家に叶えられる範囲で、全力で対応させていただきます。お金、卒業後の進路、有名人との繋がり、夢の支援――それから、遠坂さんが望むなら私の人生でも喜んで捧げましょう」


 思わず耳を疑って見た早夜月の表情は真剣そのもの。

 冗談の雰囲気はこれっぽっちもない。


「……本気でたった一度の吸血が早夜月の人生と吊り合うなんて思ってるのか?」

「むしろ、そうでもしなければ吊り合わないんですよ。本来こちら側には関わらないはずだった遠坂さんを、私の身勝手な事情で引きずり込んでしまったのですから」


 少なくとも冗談の類いではないらしい、とは理解した。

 それはそれで冗談じゃないけど。


「遠坂さんが正式に対価の内容を決めるまで、私を好きなように扱っていただいて構いません。それこそ吸血で生じた性欲の処理を命じてもいいんですよ?」


 性欲の処理なんて言葉が早夜月の口から出るとは思わなくて、動揺を隠せない。

 しかも忌避や抵抗感が欠片も感じないあたり、本気度が伝わってくる。


 こんな機会、今後の人生では一度もないだろう。


「とはいえ、無理強いする気はありません。自分に危害を加えた私に身体を許したくないと思うのは自然なことですから」

「……普通、そういう考えを持つのは早夜月じゃないか?」

「生憎と普通の人間ではありませんので」


 皮肉交じりに告げる早夜月の表情は、どうしてか寂しそうで。


 早夜月がクラスメイト達を寄せ付けようとしなかった理由はこれか。

 根本的に自分を危険なものとして認識している。

 吸血衝動なんて厄介な爆弾を抱えていれば当然なのかもしれない。


 でも、その在り方には、同情を禁じ得ない。


「……ともかく、以上が私の事情です。もしも今後一切関わるなと言われれば、関わりません。ですが、どうか吸血鬼云々のことは内密にしていただくことは出来ないでしょうか。虫のいい話だとは理解していますが――」

「話す気なんてないさ。話したところで信じてもらえないのがオチだし。まあ、今後も変わらず現状維持ってことでどうだ?」

「……それはあまりにも人が良すぎて、逆に裏を疑ってしまうくらいなのですが。男子高校生なら都合よく性欲処理できるセフレが一人くらいは欲しいと思うものではないのですか?」

「セフレって……そんな扱いをされてもよかったのかよ」

「私に選択権はありませんし、初めての相手が遠坂さんなら悪くはないかなと思っただけです」


 平然と言ってのける早夜月に、俺は言葉を失った。


 学校一可愛いと噂される早夜月をセフレにするなんて、どれだけの金を支払っても叶わないだろう。

 その早夜月に初めての相手でも悪くないと言われるのは、本当に現実感がない。


 俺も男子の端くれとして性欲はある。

 だから吸血されていた間はあんなになっていたわけだし。


「それに……この際はっきり言わせていただきますが、吸血によって高まる性欲の度合は恐らく私の方が遥かに上です」

「……そうなの?」

「過去の記録では吸血鬼側が上らしく……というか、もう限界で」


 消え入りそうな声で呟く早夜月。

 揃えていた脚の内側を擦り合わせる様は、何かを堪えているようにも見える。


「……先に帰ってもいいか」

「……帰ってしまうんですか?」


 すぐさま立ち上がって保健室を立ち去ろうとしたが、早夜月はすかさず制服の裾を摘まんで俺を引き留めた。


 少しだけ潤んでいる赤い瞳から注がれる視線。

 どことなく物欲しそうな雰囲気を滲ませるそれは、なるべく意識しない。


「居座る方がまずいだろ」

「でも、遠坂さんも辛そうです」


 早夜月の視線はやや下、俺の下腹部へ。


 その意味は、自分が一番よくわかっている。


「だからこそだよ。わかってくれ」

「……そう、ですね。すみません、引き留めてしまって」


 残念そうに口にする早夜月が手を離す。


 ……それに心の底から安心している自分がいた。

 もしここで強引に押し倒されたら抵抗できなかっただろうし。


 でも、惜しいと思ってしまう自分もいるわけで。


「そうだ、忘れるところでした。連絡先を交換しておきましょう」

「……それはいいけど、なんで?」

「問題が起こった際に対応するためです。些細なことでも違和感があれば連絡してください」


 要はアフターサービスってわけか。

 それならいいかと連絡先を交換し、数少ないリストに早夜月の名前が追加される。


「これでいいですね。では、遠坂さんはお気をつけて」

「……ああ。早夜月も気をつけてな」


 保健室を去った俺は、廊下に出てから深いため息をつく。


 きっと今頃、保健室で早夜月は――


「……考えるな、俺」


 頭を振って不埒な妄想を排し、さっさと俺も帰ろうと教室へ戻るのだった。


 ―――


 Q.むっつりですか?

 A.当然!(どちらを指しているのかはあえて明記しないものとする)


 ここまで読んでいただきありがとうございます!

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