第46話「告白:光」
ハクが帰還してから、およそ二十日後。決戦前日のこの日、各地に散らばっていた仲間たちはようやくアイアに集結した。もっとも、クロに修行をつけていたメアのみは現地での集合となっているが。
レマイオ宅の応接室にて明日の目的を再確認した後、食事や入浴を済ませ、後は寝床に入るだけ────そんな夜更けの時間帯に、ハクは玄関の扉を開いた。
「お待たせ」
その先にいたのは、クロだ。寒空の下にいたからか、彼の口からは白い息が漏れ出ている。
少し待たせすぎてしまったかと申し訳なく思いながら、ハクは用意しておいた上着を差し出した。
「今の時期でそれじゃ風邪引くよ」
「悪い、ありがとう」
「…… 少し歩こうか」
クロが上着に袖を通した後、二人は静寂に包まれた街の中を歩き始めた。
月光は曇天の空に隠れ、家屋から漏れ出る照明が次々と消えていく今、外灯が主な光源としての役割を担っている────そんな夜景を見るためだけに、外へ出たわけではない。
ある目的を果たすために、ハクはクロを呼び出したのだ。ただ、その前に確かめなければならないことがある。本題へと入る前に、昔と言うには新しすぎる過去を振り返ることにした。
「僕たちが初めて出会ったのは、マクアの屋敷だったね」
「…… そうだな」
僅かな間の後、相槌が打たれる。開口一番に込み入った話をするものと思っていたのかもしれない。
「次に訪れたヴィオーノでは、クロが誘拐されて、どうなることかと思ったよ」
「迷惑かけたな」
「いや、悪いのは僕…… って、このくだりは前にもやったっけ」
二人して短く笑う。白い息が二つ、冷たい空気に溶けていった。
「そして、この国で修行を積んだ。フィーマにも、ここで初めて出会ったんだよね」
「あのときは、まさか仲間になるなんて思いもしなかったよな」
「そうだね。でも、今じゃ頼りになる味方だよ」
もっとも、真の意味で彼とフランを仲間と認められるようになったのはつい先日のことだが────ハクは自身の不甲斐なさを思い出しながらも、言葉を続ける。
「修行を積んだはずなのに、マーコでは色々な苦難に苛まれたよね」
「試練は難しいわ、フランは無理が祟って倒れるわ、花火大会は台無しになるわで、災難続きだったな」
「クロだって無理してたじゃないか」
「…… そうでしたっけ」
視線を逸らすクロ。今更追及しても仕方がないため、ハクは話を先に進めることにした。
「そこからは、別行動になっちゃったね」
「ハクたちは、その後何事もなく証を集められたのか?」
「何事もなくはないけど…… 五体満足で旅を終えられたよ」
「聞かせてくれよ。何があったか」
「いいけど、一つ条件があるな」
「条件?」
クロが首を傾げる。
返答を意外に思ったのかもしれないが、ハクは何も無理難題を課そうとしているわけではない。
「僕たちと別れてからの、君のその後を聞かせてほしい」
クロが他三人の旅の詳細を知らないように、ハクもまた、クロのそれについて知らなかった。
メアとの修行に励んだ後、残りの試練を受けに世界を回ったとは聞いていたが、どんな困難が立ち塞がり、それらをどのようにして乗り越えたのか、彼の口から直接聞いてみたくなったのだ。
「いいぜ。じゃあ俺から話すか」
傾斜を上りながら、二人は自身の旅路について深く語った。
先にクロから。メアに修行をつけてもらったこと。海底王国で一暴れしたこと。一人で証集めの旅に出たこと。
次にハク。木の国、土の国へと試練を受けに行ったこと。その途中で、エンと名乗る
四死生霊絡みの件など、真剣な面持ちになることもあったが、大半は笑顔を浮かべながら互いに言葉を交わしていた。
やがて、坂の頂上へと辿り着く。そこはかつて、二人が一悶着あった場所だ。
「…… ここで喧嘩したこともあったね」
「喧嘩って言う程のもんでもなかったろ」
「あははっ。そうかもね」
寝静まっていく街並みを見下ろす。
時間が経てば、また日が昇るのだろう。だが、もし冥王が復活したら、どうなるか。天候を変動させる程の力があるかはわからない。それでも、次の朝に希望を抱くことは、なくなってしまうかもしれない。心地良い夜の静寂が、恐ろしくなってしまうかもしれない。
そんなこと、あってはならない。復活は阻止しなければならず、万が一復活を許してしまっても、討ち取らなければならない。
そのためには、明日、四死生霊との戦いに集中する必要がある。その他の考え事に意識を割く余裕はない。
「ハク」
暗闇の占める割合が大きい夜景を眺めていると、クロに名を呼ばれた。振り返り、彼から真剣な眼差しが向けられていることに気づく。
「…… うん、そうだね」
メアとの修行の成果か、クロの瞳に迷いはない。彼の心は既に確立されている。闇に、過去に、呑まれる心配はないだろう。
ハクは意を決し、口を開いた。
「話したいことがあるんだ」
互いの旅路について。その話は、あくまで前座に過ぎない。本題はここからだ。
乾いた風に吹かれた木の葉が、二人の間を駆け抜ける。
「君に、隠していたことがあってね」
「途中で別れたから、話せなくなっただけだろ」
「いや。たとえ一緒に旅を続けていたとしても、今日まで話すことはなかっただろう」
申し訳なさそうな顔を浮かべてしまったためか、クロから助け船が出されるが、それに甘えることはしない。
ハクは深呼吸をしてから、ゆっくりと瞬きをする。決心したつもりでも、そう簡単に緊張は拭えなかった。
「僕はね」
心臓の鼓動が聞こえる。自身の緊張が、風に乗ってクロへと運ばれてしまいそうな気がした。
「君と、同じだったんだ」
「…… 同じ?」
その言葉の意味を汲み取れないらしく、クロが復唱する。驚くにも、何に驚けばいいかわからない、といった様子だ。
「僕も、記憶喪失だったんだよ」
今までひた隠しにしてきた真実。やはり悟ることはできていなかったのか、クロは目を見開いていた。
「だった、というのは正しくないか。今もまだ、記憶は戻ってないからね」
「いつからだ?」
「クロと出会う一ヶ月前頃かな。目が覚めたら、見知らぬ老人に拾われてて…… まあ、それが今のお師匠様なんだけど」
与えられた温もりと、感じた安らぎを、今でも鮮明に思い出せる。
「目が覚めた僕は、読み書きができなかった。いや、僕の知っている言語が、通じなかったと言った方が正しいかな。お師匠様の指導のおかげで、今では不自由なく読み書きができてるけど…… 僕が元々使っていたものと同じ言語を扱う人間は、世界中どこを探してもいないらしい」
「そんなことが……」
あり得るのか。そう続くかと思われたが、クロは言葉を呑むかのように沈黙した。途中で、意味のある質問ではないと気がついたのかもしれない。
「統一される前の言語についても、お師匠様が文献を確認してくださったけど、それらしいものはなかった」
「なら、いったい……」
「…… 僕は、別の世界から来た、ということじゃないかな」
「確かなのか?」
「わからない。お師匠様も、別の世界を観測できたことはないらしいから。でも、そうとしか考えられないんだ」
「…… なるほどな」
ここではない、別の世界。飛躍した仮説にも思えるそれを聞いても、クロが一笑に付すようなことはなかった。
火の国を訪れた際に見た、ルカの研究資料に記されていた単語故か。あるいは、メアとの旅路で類似した言葉を耳にしたことがあったのか。
「そして、恐らくは、君も……」
その呟きを聞いた瞬間、クロの表情が強張った。文脈からして、続く言葉にはおおよその予想がついたのだろう。ただ、すぐに受け入れることはできなかったようで、彼が口を挟むことはなかった。
「…… お師匠様とクロが初めて顔を合わせた日のこと、覚えてるかい?」
「あ、ああ……」
覚悟を決めたはずだが、結論から述べることができない。
クロを混乱させないよう、順を追って話さなければ。心の中で自らにそう言い訳しながら、ハクは言葉を続けた。
「あの日、お師匠様に魔法をかけられただろう?」
「…… 上手く喋れなくなる魔法、だったっけか?」
「正確に言うなら、認識を阻害する魔法、だね」
その魔法は、確かに存在する。効果は若干違えど、天空王国の王子がそれを使用していた。
「だけど、あの日君にかけられたのは、そんな魔法じゃなかったんだ」
「…… どういうことだ?」
「君には、ある魔法が既にかけられていた。お師匠様は、それを一時的に解除しただけなんだよ」
「ある魔法……?」
「…… 言語を翻訳する魔法さ」
この世界の言語は統一されている。故に、そのような魔法は必要がない。
ただ一つの例外を除いて。
「すぐに魔法をかけ直したから、その後に支障はなかったはずだけど…… あの日、あの僅かな時間、君は君本来の言葉を紡いでいたんだ」
そして、とハクは続けた。
「その言葉を、僕ははっきりと聞き取れた」
再び、クロが目を見開く。
これまでの旅で、一瞬もよぎったことがない『可能性』だったのだろう。驚きのあまり、声も出せないようだった。
そのため、彼も辿り着いたらしい答えを、ハクが続けて口に出す。
「恐らく、僕とクロは、同じ世界から来たんだろう」
「…… そういうことか」
意外にも、クロの動揺が大きくなることはなかった。むしろ、落ち着きを取り戻しているようにも見える。
一度言語化されたことで、幾分か受け入れやすくなったのだろう。驚きこそすれど、目を背けたくなるような内容ではなかったことも、要因の一つかもしれない。
なんにせよ、再び口を開けるだけの余裕が彼の心に生まれたのは事実らしかった。
「でも、記憶喪失のことと、俺も別の世界から来たかもってこと、どうして教えてくれなかったんだ?」
記憶喪失の件はひけらかすように話すことではないが、わざわざ隠しておくようなことでもない。まして、同じ症状の人間がすぐ近くにいるのだ。打ち明け、苦悩を共有しようとする方が、思考としては自然だろう。
同郷の可能性があるなら、尚更。お互い、記憶の手掛かりを得られる可能性は大いにあったはずだ。そのことに、ハクもレマイオも、気づかないわけはない。
ならば、何故。
そんな、クロの至極当然な疑問に対する答えは、一つしかない。
「…… それは」
ハクは一旦言葉を区切り、大きく空気を吸い込む。速まる鼓動を落ち着かせ、そして今日何度目かもわからない覚悟を決めてから、再び口を開いた。
「君の記憶を、取り戻させないためにだよ」
「…… は?」
怒りを覚えたわけではなさそうだ。どうやら、予想外の返答に理解が追いついていないだけらしい。
冷たい夜風が、より一層強く吹きつける。
髪を押さえて視線を逸らすハクの姿を、クロは身動きせずにただ見つめていた。
「君は、闇属性の魔力を宿しているだろう?」
最早、周知の事実だ。そのせいで、クロは受ける必要のない試練を受けることになったり、某国の王子による企てで誘拐されたりした。
「君のことは信頼してる」
「いちいち言うな」
遮るように言うクロを見て、ハクは笑う。その破顔は一瞬で、再び険しい表情へと戻った。
「…… でも、記憶喪失になる前の君がどうかは、わからない」
「あ……」
記憶喪失になる前のクロ。
今のクロが知らない、過去の彼。
それが抱えているであろう、闇。
「君が記憶を取り戻すことで、『今』を『過去』に上書きされてしまうんじゃないかと、そう思った。だから、どんなに些細な刺激だとしても、与えたくはなかったんだ」
過去の積み重ねで、今がある。それが普通だ。
だが、クロは違う。
失ってしまった過去と、無から始まった今。二つがそれぞれ描き出す人物像が、同じとは限らない。
記憶を取り戻すことで闇に染まり、旅の障害となる恐れがあったのだと、彼自身も思い至ったらしい。クロは怒りも哀しみも見せずに、ただ事実を受け止めたかのような表情を浮かべていた。
「…… ごめん」
伏し目がちに、ハクはそう呟く。
「謝る必要ないだろ。俺がハクと同じ立場でも、きっとそうする」
闇に似つかわしくない、優しき心。クロのそれに触れたことで、ハクの表情は少し柔らかくなった。
「でも、どうしてこの話を、今?」
「今の君なら、過去に抗えると思った。それだけのことさ」
それは、半分本当で、半分嘘だ。
死地とも呼ぶべき場所へと赴く仲間に対して、これ以上秘密を抱えていることはできない。それこそが、真実を明かした最たる理由だった。そこまで説明する気には、さすがになれなかったが。
「…… 四死生霊は、何か言ってたか?」
自身の記憶喪失に関わっている四死生霊なら、あるいは。そう考えたのか、クロが尋ねてくる。
「僕の過去について知ってるような口ぶりだったよ。やけに含みのある言い方だったけど」
「そうか……」
クロの隣で、ハクもまた思考を巡らせる。
四死生霊が別の世界の観測に成功し、そこへ訪れて二人に干渉した。そこからなんらかの紆余曲折を経て、記憶喪失になったハクとクロがこの世界へと運ばれた、というのが現状予想できる真実だろうか。
飛躍しすぎているようにも思えるが、今まで得た手掛かりとは矛盾しない。
「…… ま、結局、四死生霊をとっちめてみないとわかんねえってことだな」
予想が正しかったとして、四死生霊から情報を引き出せないことにはどうしようもない。
やるべきことは、変わらないのだ。
「今の話、他の二人は知ってるのか?」
「いや、まだだよ。でも、これから話そうとは思ってる。最初に、君に伝えたかったんだ」
「そっか」
ふと、空を見上げる。星は雲に隠れてしまって見えない。いい天気ではないが、ハクはこれが嫌いではなかった。
「長くなっちゃったね。そろそろ帰ろうか」
「ああ」
すっかり暗くなり、寝静まった街。二人は外灯だけを頼りに、来た道を引き返す。
息遣い。歩行による衣服の擦れ。地を踏み締める足音。澄んだ空気には、彼らから発される音だけがよく響いた。
クロと黒歴史:補完篇 ムツナツキ @mutsunatsuki
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