第6話 愛妾

 オリンピアとは別の女性の案内で謁見の間の扉が開けられると、マルコは思わず息を呑んだ。イタリアーナの宮殿が丸ごと入りそうな広い空間にシャンデリアが天井からつるされ、文官と武官が二列に整列している。


 マルコを値踏みするような視線に、刺すような視線。小競り合いで幾たびか剣を交えた相手も混じっていた。


 居心地の悪さを覚えるが動じたりはしない。この程度でビビっていては一軍の将など到底務まらない。ストレスでお腹の奥がぐるぐると鳴り出すが、下痢止めも服用済みだ。


 いざとなれば括約筋を締めてやり過ごすしかない。


 入口から玉座までは高価な絨毯が敷かれ、階段状に高くなった奥の場に国王が腰掛ける玉座があった。


「あ、ぁ……」


赤を基調とした衣装には、金糸で精緻な刺繍がほどこされている。頭に戴いた黄金の冠の下の顔は彫りが深く、目は鷲のように鋭く鼻は高い。


衣装からのぞく手は筋張っていてたくましく、戦場で武器を握る者の手であることは一目で読み取れた。


 相手が一国の王であるので、目の前に進み出たマルコは片膝を折って頭を下げた。


「イタリアーナ国使、マルコ・イタリアーナ。お目にかかれて光栄に存じます」


「遠路はるばる、大儀であった。面を上げよ」


 足先、腰、胸元。ゆっくりと視線を上げたマルコは再びシュパーニエン国王、カルロスと目が合った。先ほどまでの鷲のような鋭い視線とは打って変わって、長年来の友人を見るような親しげなものだ。


 人の上に立つものは緊張と親しみを同時に感じさせる必要があるとは言うが、彼もその例に漏れないらしい。


「ン……」


王と名乗るに申し分ない威厳の持ち主だ。


その手で乳房をわしづかみにする女性の存在さえなければ、の話だが。


「カルロス陛下…… 一国の使者と話をしようというのですから、女と戯れるのは如何なものかと」


 マルコが部屋に入ってきてからずっと、カルロスはオリンピアをもてあそんでいた。


 正装に着替えてから案内が別の女に変わったのは、こういうことだったらしい。

だがシュパーニエン国王は悪びれた様子もない。


「許せ。俺は女が側にいないと頭が働かんのでな。女の尻にしかれる哀れな男よ」


「王様あ……」


だが体の線があらわになる薄手の服を乱されたオリンピアは、熱っぽい視線をシュパーニエン国王に向けたまま。人前で体をまさぐられているにもかかわらずうっとりとしている。


 居並ぶ文官も武官も、咎めるどころか奇異の視線を向けるものすらいない。


 マルコは自分の感性の方がおかしいような、そんな妙な気分になってくる。

 いや。


 自分を強く持て。これから話す内容は、愛妾とまぐわいながらするような話ではない。


 だがマルコが口を開こうとすると、カルロスはオリンピアに口づけをして退室するように命じた。


「戯れはここまでにしようか。イタリアーナの国使よ」


武官たちが一斉に、剣の柄に手を掛けた。



 オリンピアもいつの間にか姿を消している。


 刺すような雰囲気が一斉にマルコの周囲から伝わってきた。


 だがマルコは膝立ちの姿勢のまま微動だにしない。


 万一に備えて尻を踵から浮かせ、膝のばねをためているものの腰の剣に手をかけることもない。


 数十の足音が、マルコの左側から響く。


 向かって左手に並ぶ武官たちがゆっくりと間合いを詰めてきた。礼装に似つかわしい宝石や金銀の細工が施された剣がその輝きを増していく。


 カルロスは表情一つ変えず、マルコを玉座から見下ろしていた。


 天井からつるされたシャンデリア、チリ一つない床、カルロスの王冠の輝き。宮殿は我関せずと言わんばかりの輝きを今も放ち続けている。


 マルコの脳裏に故郷の光景が思い浮かんだ。春の青い海、夏の日の輝き、船が出せないほどに荒れる黒に近い冬の海。


 クリスティーナとよくかくれんぼをして遊んだ、イタリアーナの宮殿。


 だが剣を抜けばあと一歩で届く距離にまで武官が近づいたとき、マルコの口から静かな呟きがもれた。


「皆さま。くだらない余興はやめにしませんか」


 その言葉と共に武官たちは剣の柄から手を放し、マルコが入室してきたときの位置まで戻る。


 肩を震わせはじめたカルロスに至っては、大笑いを始めた。


「くくく…… ははは! わーはっはっは!」


 様子を見守っていた右手に並ぶ文官たちは、つられて笑うもの、顔が青ざめているもの、マルコを興味深そうに見守るものなど様々だ。


「さすがの胆力だな、イタリアーナの使者よ。男子たるものそうでなくては」


 カルロスがマルコを見る目に敬意が混じったのはマルコの気のせいではないだろう。


「話を聞こうか」

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