第7話 臆病者
「虫が良すぎんか、イタリアーナの使者よ」
話を聞き終えたカルロスの第一声はそれだった。
「確かにトルティーア帝国は我が国にとって宿敵。数年前、長く占領されていた国土をやっと奪還し、我が領土の大半を占める半島から彼らを駆逐した」
「それなら、同盟を結ぶことに問題はないのでは。トルティーアはお互いにとって領土を侵略してきた敵国。さらにエルサレムを守っていた騎士団は各国連合であり我が国からも貴国からも参加しております」
「だが、貴様らイタリアーナは我が国に協力してきたとはいいがたい。我らの再三の呼びかけにも応じず国境沿いで小競り合いを繰り返してきた」
「現場の兵同士の衝突など、よくあることでしょう。そもそも国境近くの街を一つよこせなど、独立国家に対する要求ではありません」
「トルティーアと最前線で戦い続けた我々にとっては、安い報酬だがな……」
カルロスはいったん言葉を切る。
続けて発言したのは、マルコの向かって右手に並ぶ文官の一人だった。
「そればかりでない。あまつさえイタリアーナ王国は、敵であるトルティーア帝国と長年交易をおこなっていたではないか」
分厚い紙の束を取り出した文官は、トルティーア帝国にもたらした利益をはじめとする詳細なデータと共にイタリアーナをあげつらっていく。
だがマルコは、ひるむ様子もなく反論する。くせのある金髪の下の切れ長の瞳が鋭く細められた。
「商売は商売。戦争は戦争です。それに情報収集には敵国と親しい人間が不可欠。事実、トルティーア帝国の兵数や将軍たちの特徴、切り崩し工作はわれらがおこなってきました」
「血と汗を流さない者たちを信頼しろと?」
マルコの必死の発言に対しカルロスは鼻を鳴らした。
「笑わせる。信頼に足る相手とは金や情報を差し出す者ではなく、背中を預け共に戦った相手を差す」
そう言ってカルロスは謁見の間に居並ぶ将軍たちに目を向けた。
年老いた者、若い者。顔に傷を負った者、すべてがカルロスに対し敬礼する。
彼らの間に流れる空気だけで、深い信頼が感じられた。
「何よりも百年前、コンスタンティノーブルが落とされたときお前たちが真っ先にトルティーアと和平を結んだことを、我々は忘れてはいない」
百年前のコンスタンティノーブル陥落の報は、ディオス教国家を混乱に陥れた。
イタリアーナとトルティーアの間に位置した都市、コンスタンティノーブル。
イタリアーナからは船でひと月ほど。トルティーアからはごく狭い海峡の向こう岸にある、ディオス教の東の都と言われた都市。
トルティーアに周囲の領土を次々と奪われながらも、三重の城壁に囲まれた都は幾度となく十万の大軍を追い返してきた。
数百年の歴史を持つ聖堂と、十万の大軍を追い返したこの世の奇跡はディオス教の権威を高め続けてきた。
だが百年前、奇跡にも終わりが訪れる。
十万を超える大軍によりついにコンスタンティノーブルも陥落したのだ。
その事件がディオス教各国にもたらした衝撃は大きかった。
預言者ディオスの威光を疑う者、黙示録の世がやってきたと先んじて命を絶とうとする者。
多くのディオス教各国がコンスタンティノーブル奪還のために連合軍の結成を申し出たが、トルティーアに最も近かったイタリアーナだけは違った。
軍備を整えつつも講和を申し出、トルティーアとの間に和平条約を結んだのだ。
だがシュパーニエンはじめ、和戦両方の案で紛糾していた他国からは反発をかった。
「一度負けただけで腰が引ける臆病者どもだ、お前らは」
居並ぶ武官の一人がそう言って声を荒げる。
「……確かに」
マルコはシニカルな笑みを浮かべてうなずいた。
「仇も打たず、賠償金も請求せず、こびへつらって和解を申し出る。勇者のやることではないでしょうね」
「しかしあなた方も、山脈を隔てた大陸の北側の国家も、結局は和平案に乗った。臆病者というレッテルをイタリアーナだけに押し付けて」
声を荒げた武官が言葉に詰まる。
機を逃さずマルコは続けた。
「各国の軍人は理解していたからです。大軍を擁し、勢いに乗ったトルティーア相手に勝ちの目はないと。しかしその後指導者のスルタンは急死。あなた方は半島からトルティーア軍を駆逐し、この豪奢なアルハンブラ宮殿をも占領した」
「我々は百年を超える交易でトルティーア近海の航路を知り尽くし、造船技術を向上させ、船の扱いにより長けた」
周囲の視線と感心が集まってきたことを確認し、マルコは天に向かって拳を突き上げた。
「時は、来たのです」
謁見の間にどよめきが走った。
「そうかもしれん……」
「陸戦ではトルティーアは強い。だが海戦では経験も浅い」
「それは我がシュパーニエンも…… まず船の数が足りん」
「民間からも徴用し、船をかき集めれば足りるか」
視線がマルコの方へ集まった。
「シュパーニエンに対し、百隻の軍船を提供すること。王女殿下と議会の承認を得ております」
王族の印が記された誓約書を見ながら、カルロスはあごに手を当てていた。
だが彼だけは、承諾するのか拒否するのか未だにマルコの目には読めなかった。
「コンスタンティノーブル陥落の際も、奴隷となった人々を買い戻し、各国へ輸送するための船を手配したのは我々イタリアーナ。エルサレムを落とされた今回も同じことをする予定ですが」
「同盟が成れば、万事円滑にいきましょう」
異教徒に限って奴隷を認めるトルティーアにとって、奴隷の売買は一大産業だ。
船の漕ぎ手から屋敷の使用人まで奴隷が占める数は多く、買い付けも戦争をはじめとして様々な手段で行っている。
ゆえに高額の身代金を支払えば、奴隷となった者たちは高確率で家族の下へ帰れる。
文官・武官の一部からどよめきが生じた。
騎士団は領地を継げなかった貴族の次男や三男から構成されることが多いため、彼らの子供も多く捕らわれたのだろう。
「トルティーアとの交易で得た金ですから。彼らが使用している金貨を使えば、交渉も早い」
「まさか……?」
「はい。同盟が成れば、身代金を一部肩代わりいたしましょう」
場の流れが一斉に同盟締結へと傾く中、カルロスだけは首を横に振った。
「何を言おうが詭弁だ。イタリアーナとトルティーアがつぶし合ってくれた後で弱った両国をまとめていただいてもいいのだぞ」
その案は、マルコやイタリアーナの重臣が最も恐れていたこと。
文官武官たちはいさめようとするが、王カルロスは聞く耳を持つ様子がない。シュパーニエンは議会の決定よりも王の一言が重視される国なのだ。
何とか説得するべくマルコは頭をフル回転させるが、カルロスが先に口を開いた。
「だが聖地エルサレムを守っていた騎士団には我らの国の騎士も多く所属していたのも確か。彼らの敵討ちもしないでは、王としての沽券にかかわる」
「なら」
「だが、イタリアーナが背中を預けるに値するか迷う将兵も多い」
カルロスはいやらしく口元をゆがめた。
「ゆえに、シュパーニエンとイタリアーナの絆を示す確固たる証が必要だ」
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