第5話 アルハンブラ宮殿 

 イタリアーナ首都から船と馬を乗り継いで十日ほど。オリーブと葡萄畑に囲まれた地とは比べ物にならない暑さに、マルコの額からは既に滝のような汗が流れていた。


「ここが、会談の場所か……」


 聞いてはいたが、改めて見上げるとその巨大さにはがく然とする。イタリアーナでこれほどの宮殿が存在するだろうか。


シュパーニエン屈指の港湾都市に建てられた、このアルハンブラ宮殿が今回の会談の舞台となる。宮殿といっても官庁や厩舎、礼拝所まで内包するこの宮殿は数千人が住まうことができるという。


城門前に立つマルコは足をパタパタと打ちならす。


周囲を緑に囲まれた小高い丘の上という立地もあって、夏は酷暑となるここグラナダ一帯では珍しく涼しい。


「まだか……」


マルコは剣の柄に手をかけそうになり、慌てて自重した。下手をすると外交問題に発展しかねない。


無理もない。


先触れを出したのが朝早く。一国の使者に出迎えも寄越さずにこうして待たされて、既に半日が経過していた。


宿を出たときは東の海を赤く染めていた太陽は、今は肌を焼く熱を空高くからマルコに浴びせている。


軽装なのに滝のように流れる汗は止まらず、携帯してきた水もすでに底をつきかけていた。


「一旦、宿に戻るか?」


足を城門から反対の方へと向けたとき、華々しいラッパの音が響く。門備え付けの鎖を引くことで軋みを上げながら開かれていく城門の中には、武骨な城壁には似合わないたおやかな存在がたたずんでいた。


「お待ちしておりました、マルコ殿」





「先ほどまでは大変失礼しました。もてなしの準備に時間がかかりましたゆえ……」


そう言いながらマルコを案内するのは、女。それも肌にぴっちりと張り付くような白い衣服をまとった美女だ。


だが物腰や身に付けた宝石の数々からするに、それなりに身分は高いのだろう。シュパーニエン王カルロスの愛妾の一人、といったところか。


だがマルコは美女に見とれることなく、宮殿の内部を隅々まで観察する。


ここを攻めることになった場合、内部の構造を熟知しておくのは必要不可欠だ。


どこか武骨な印象のあるイタリアーナのものと違い、アルハンブラ宮殿のそれは優雅という言葉が何よりもふさわしかった。


波や鳥が彫られた柱は全て輝くような白で統一され、精緻な模様の絨緞が敷き詰められている。


内庭には水が引かれ、青々とした流れが色とりどりの花をいっそう鮮やかに見せていた。


建物の内部にまで花や水を持ち込むのはトルティーアと同じだが、無理もない。


イタリアーナやシュパーニエンの宮殿とは、数百年前までは夏暑く冬寒い石造りの城壁と石造りの通路、防寒用に申し訳程度に毛皮が敷いているにすぎなかった。


ここアルハンブラ宮殿は、トルティーアに国土を征服されていた頃に建てられたものなのだから。





「こちらでお待ちください」


 オリンピアと名乗った先ほどの女性に通された別室で、マルコは革帯に剣を差し、日よけのための白い外套という軽装から正装に着替える。肩口から編み上げた紐を垂らし、胸にクリスティーナから賜った勲章を飾ったものだ。


 勲章や飾り紐が映えるように上下ともに白で統一され、裾はマルコ用に詰められている。


「こちらをどうぞ」


 そう言いながらオリンピアは表面に雫の浮いた果実入りの飲み物を差し出してきた。鉱山から切り出してくるしかない貴重な氷を入れてある。


 酷暑の中を待たされた身には最適のもてなしだ。


 だがマルコは口を付けて飲むふりをしただけにとどめた。


「緊張で腹具合がよろしくありませんので」


 ここは敵地だ。いつ毒を盛られるかもしれない。


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