執筆の光

まさかミケ猫

執筆の光

――小説が、全く書けない。


 俺は味のしないレトルトカレーを無理やり口に運びながら、悩みに悩んでいた。


 務めていた企業のあまりのブラックっぷりに嫌気が差して、辞表を叩きつけてから三ヶ月。実績もないのに専業小説家として食っていきたいなどと甘い考えでWeb小説を書いてきたが、やはり現実は厳しい。

 貯金が尽きる前には仕事を探さないと、などと考えながら……SNSで見かけた小説企画に、フッと筆をとってみたのだ。


 第七回こむり川小説大賞。今回のお題は「光」ということだったので、それなら何か書けるだろうと思って、特に深く考えずにテキストエディタを立ち上げた。しかし、書き出したはいいが先の展開が全く思い浮かばない。


 俺の考えている小説のあらすじはこうだ。


 主人公は小説家に憧れる少女“カキコ”。Web小説が大好きであるカキコは、ある日SNSで見かけた「こむる川小説大賞」という企画に興味を持ち、自分も何か書いてみようと決意する。

 しかし企画のテーマは「光」である。どちらかというと鬱々とした作品を好むカキコは、色々と思い悩みながら作品を書いていく。そしてついに、自分にとっての「執筆の光」を見つけて――


 というところで、俺のメモは終わっている。


「どうすっかなぁ……カキコちゃんが見つける光が全く分からん……そもそも執筆の光って何だよ……」


 カキコちゃん、めっちゃいい子なんだけどな。


 幼くして母を亡くしたカキコちゃんは父子家庭で育ち、父親は仕事が忙しくて彼女を放置気味。色々と思い悩んでいた彼女を救ってくれたのは、スマホで簡単に読むことができる膨大なWeb小説だった。

 好きだった男の子に彼女ができた時には、失恋小説に共感してボロボロと泣いた。勉強に嫌気が差した時には、異世界に転生して大冒険をした。何もかも上手くいかない時には、画面の向こうのクールイケメン王子様が自分のことだけを甘やかしてくれた。

 今年から中学生になったカキコちゃんは、自分もいつか小説を書いて、同じような思いをしている誰かに作品を届けたいと夢想している。


「カキコちゃんめっちゃいい子……これは絶対世に出してあげなきゃダメだろぉ……でもなぁ、カキコちゃんがどんな風に執筆の光を見つけんのか、ぜんぜん分かんないんだよなぁ……」


 きゅうりの漬物をポリポリと齧りながら、俺はカキコちゃんのことを思って静かに泣いていた。

 もちろんカキコちゃんは俺の脳内にしかいない女の子なので、俺は完全に空想だけで泣いているのであるが。まぁ、文字書きなんてこんなものだろう。


「よし、ここはカキコちゃんの気持ちになって考えてみよう」


 そう決意して、俺はインスタント味噌汁をぐいっと飲み干してから目を閉じた。うーむ。


  ◇


「どうしよう……小説ってどう書いたらいいの?」


 わたしは途方に暮れていた。

 いつも読むばかりだった小説を、わたしも書いて応募してみたい。そう決意したのはいいけど、何をどう書けばいいのか、何も思い浮かばないのだ。


 第七回こむる川小説大賞。この企画を知ったのは、わたしの大好きな小説家先生のポストだった。

 初心者でも丁寧な講評をくれるからオススメだ――なんて言っているのを目にしたため、それならわたしも何か書いてみようと思ったのだ。


 中学も夏休みに入り、部活をやっていないわたしは、宿題も早々に終わらせて暇を持て余していた。せっかく時間もあるのだし、何かしら書いて投稿しようと思ったのだが……何をどう書けばいいのか。

 SNSを追っていると、主催者の方が「とりあえず書き始めれば思い浮かぶ」だなんて言っていたけれど、わたしがそれをやったら謎ポエムしか出来上がらなかった。あれは天才の戯言だと思って忘れることにしよう。


「はぁ……やっぱり人生経験がないと難しいのかな。でも高校生くらいで作家になる人とかもいるし……いや、わたしみたいな凡人が一握りの上澄みを参考にしたらダメかぁ……謎ポエム人間だからなぁ……」


 何も考えずにつらつら書くと純文学が出来上がる人とか、めちゃくちゃ羨ましいなと思うけど、あれは真似しようと思ってできるようなやつじゃない。


 以前、どこかの作家の先生がインタビューで言っていた。


――クリエイターに必要なのは、豊富な人生経験だ。学生のうちはとにかく様々な経験を積みなさい。それが引き出しになり、作品の奥行きになるのだから。


 わたしはそれに「陽キャじゃないと小説家になれないってこと?」とちょっと絶望感を覚えたのだけれど、SNSを見るとわたしと同類の陰キャな小説家の先生方が「異世界転生書いてます。経験談です」「美少女ハーレム書いてます。経験談です」「ミステリ作家です」「SF作家です」「平安時代の経験を作品にしてます」と大盛りあがりだったので、わたしはあまり気にしないことにしていた。


 ただ、こうして小説を書けないでいる自分を思うと、やっぱり色々と人生経験が足りないのかなと思ってしまう。


「言い訳だよね。このまま高校生になって、大学生になって、社会人になって……ズルズルと人生経験を積んだって、書けるようになるとは思えないし」


 それならば、今書くしかないのだ。

 たとえ完成度が低くたって、天才じゃなくたって、書いて書いて書きまくって、そうやって少しずつ書けるようになっていくしかないんだから。


 ずっと憧れていた光に、私もなりたい。

 まばゆい光に手を伸ばして――


 あーいけないいけない、また黒歴史ポエムを量産しちゃうところだった。危ない危ない。あれは自分だけが読むから良いのであって、人に見せるのは絶対にノーだ。超恥ずかしくてジタバタしちゃうもん。


 はぁ、私も天才小説家だったらなぁ。


「あ……そっか。主人公を天才小説家にしてみようかなぁ。めっちゃイケメンで、才能に溢れてて、ファンがいっぱいいて。くふふ、天才になりきって作品を書いてみれば、何か掴めるかもしれないし……」


 んー、主人公は天野 才之助あまの さいのすけ

 歳は三十くらいかな。売れっ子小説家で、大ヒット小説をバンバン出しちゃうすごい人。ただ、最近まんねりだなぁとか考えてたんだよね。

 そんな時、SNSでみかけた「こむれ川小説大賞」が気になって、参加してみようと決意する。で、お題の「光」に合わせて小説を書くうちに、自分が久しく忘れていた執筆の光を手に入れる――


 わぁ、これなら書けるかも。

 ちょっと深く考えてみよう。天才小説家ってどんな風に執筆するのかなぁ。なにせ天才だもんなぁ。しっかり想像しないと。うーん。


  ◇


――いつからだろう。自分の作品に心が踊らなくなってしまったのは。


 同業者に言えば嫌味にしか思われないだろうが、僕には才能があった。

 小説を書くという一点においては、僕はなかなかの上手くやれると自負していた。そして、面白い物語を作りたいという情熱もあり、少しずつ自分の腕を磨き上げる根気もあった。だから、自分なりに納得できる作品を生み出す「方程式」ができてくると、一定レベルのものをいくらでも書けるようになったのだ。


 若い頃は、ジャンルを問わずとにかく何でも書いた。


 僕のことをミステリ作家だと思っている読者は「恋愛小説も書けるんですか?」と驚くし、アニメ化したファンタジー小説でファンになってくれた人からは「ホラーも書けるとは思いませんでした」と手紙をもらった。

 コミカライズの原作を手掛けたり、映画の脚本を書いたり、何にでも手を出した。もちろん分野が違えば勝手も違うし、全てが上手くいったわけではないが、それもまた経験になって僕の創作の幅は広がっていく一方だった。


 そうして人気の絶頂期を迎えていた僕だけれど。とあるドラマの感想をSNSで眺めている時に、その一文が目に入った。


『また天野の脚本だよ。こいつワンパターンなんだよなぁ』


 カッとなったのは、図星だったからだ。


 一体いつからだろう。自分の作品にまったく心が踊らなくなってしまったのは。求められるジャンルに合わせて、ただ作業のように、似たような物語を書くだけになってしまったのは。

 改めて思い返せば、僕に仕事が集まるのも理解できる。目新しさはなくても、ある程度の品質の物語を安定供給してくれる。炎上するような地雷を踏まず、客受けがそこそこ良くて、ビジネスとして都合が良い作家。それが、今の僕に対する正当な評価だろう。


 それ自体が悪いとは言わない。

 金を稼げる物語を作れるのも才能だ。


「ただ……面白くは、ないよなぁ」


 同業者に言えば、嫌味だと思われるだろう。

 それでも僕は……昔のように、自分の書く物語に感動したかった。天野才之助の一番のファンは自分自身なのだと、そう胸を張って言いたかったのだ。


 そんな時、SNSでふと妙な企画を見つけた。


「こむれ川小説大賞。お題は光、か……なんとなく、どんな作品が集まるのか想像がつくけど。そうだな。いくつか読んでみるか」


 そうして軽い気持ちで作品を読み始めたのだが。

 僕は正直、驚愕した。


 てっきり、精神的な意味で闇と光の対比を描き出すような小説が多いと思っていたのだ。それが蓋を空けてみれば、わりと物理的に光ってるし、あんなものやこんなものまで光るし、めちゃくちゃ変な世界観なのに胸キュンしたり感動したりするものがあって、とにかく強い衝撃を受けたのだ。


「くくく……なるほど。こんな感覚、久しく忘れていた気がするな。よし、僕も何か一つ書いてみるか。馬鹿馬鹿しくてもいい、金にならなくてもいい」


――書くことを、ただ楽しむ。


 プロアマ入り混じった奇祭、とは良く言ったものだ。きっとこのお祭りは、アマチュアにとっても経験を積む良いチャンスで、プロにとっても初心を思い出す楽しい場なのだろう。

 この企画のために作品を書き上げれば、僕はまた、「光」を取り戻せるような気がする。


「どんな小説にしようか……ふふ。久しぶりに、気の向くままに楽しく書いてみようか」


 そうだな、主人公は小説家志望の男。

 務めていた企業のあまりのブラックっぷりに嫌気が差して、辞表を叩きつけてから三ヶ月。実績もないのに専業小説家として食っていきたいなどと甘い考えでWeb小説を書いてきたが、現実の厳しさに打ちのめされ、夢を諦めかけている。

 そんな時、SNSで「第七回こむり川小説大賞」を見つける。今回のお題は「光」ということだったので、それなら何か書けるだろうと筆をとる。


 彼は味のしないレトルトカレーでも食べながら、どんな小説を書こうかとうんうん悩んでいる――よし、とりあえずそんなシーンから書き始めてみようか。

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