第41話 しばしの冷却期間を経て
* *
九月下旬の休日。この時季にしては陽射しがきつく、気温も高い日の昼前だった。
「お待たせしてもうたみたいやな」
耳に馴染んだ関西弁の声が届く。キャンパス内に設置されたカフェテラスの席に座ったまま振り返ると、同じ推理研所属だった上岡の他にもう一人、若い男性が斜め後ろに付いてきているのが見えた。
若いと言っても、一般的な大学生よりは上で、三十代前半と言ったところか。第一印象はすらっとした、身体も頭もスマートそうな人。やや頬骨が出ていて鋭角なイメージを醸しているが、表情は柔和だ。
テーブルのそばまで来て、立ち止まった上岡が口を開く。
「こちらが電話で言った、探偵さんや」
上岡が身体を少し開き、後ろにいた男性を紹介した。遮るものがなくなったおかげで、その男性が丈の長いメンズのサマーコートを手にしていると分かった。いくらお洒落用とは言え、この気温では着ていられなくなったのだろうか。最前の“頭もスマートそう”というのは外れかもしれない。
「どうも、初めまして。
知っている。今日の待ち合わせのために、上岡から電話があり、そのときにざっと聞かされた。関西への帰省目的で、友人とふたり新幹線に乗っていた上岡はお喋りに興じる内に、あの事件について少し話題にした。それを聞き咎めた男性がこの人だった。探偵を称し、刑事事件の解決に貢献した実績があるそうだ。
その電話口で続けて、「興味深い話をしてくれるから、会ってみいひんか」と誘われた。別に断ってもよかったのだけれども、好奇心が勝り、応じることに決めた。何せ、現実に名探偵に会えるなんてチャンス、そうそう巡っては来まい。
「初めまして」
こちらも簡単に自己紹介する。終わった頃、店員がやって来た。あとから来た二人が注文を済ませ、そのオーダー品が届くまではしばらく雑談する。
他の大学いくつかと同様に、B大学でも長期休暇が明けようかという頃合い。だからなのか、カフェテラスのお客は、ぱらぱらと数えるくらいにはいる。見た目で判断してはいけないかもしれないが、学生ではない利用者の方が多いように思えた。
飲み物が来た。上岡が立ち去るウェイターを見送ってから、言った。
「さて、そろそろ本題に入ろか」
本題とは無論、十鶴館での出来事についてだ。
世間ではいわく付きの建築物として知られていた十鶴館。新たな事件が起きてから、ひと月半ほどが過ぎていた。探偵が、過去の件も含めて興味関心を抱いても、何ら不思議ではない。
口火を切るのは、もちろん地天馬探偵だった。
「記者の田島さんを始め、松田さんや笠原さん、それに館で事件に遭遇した加藤さん達からも、ことのあらましを伺いました。その上で、僕がまず妙だなと引っ掛かりを覚えたのは、藤峰男君が松田君に電話を掛けている事実です」
「それが何か」
「通話内容は、合宿中にサプライズを仕掛ける習慣が、推理研にあるかどうかというものだった。これから皆にサプライズを仕掛けようという藤君は、どうしてそんなことを気にしたのか。わざわざ先輩の松田さんに電話で問い合わせるほどのことか?」
「もしも合宿中にサプライズを仕掛ける伝統があるのだとしたら、自分達のやろうとしているサプライズも看破される恐れがあるんじゃないかと、気になったのでは」
「そいつはちょっと変だなぁ。知りたいのなら、一緒にサプライズを企てた実光さんに聞けばいいんじゃないかなと」
「……持ち込んだ電話の機械をテストしておきたかった、とか」
「なるほど、その見方は簡単にないと片付けられません。でも、試しに掛けるダイアル先に先輩の家を選ぶのは、ちょっとどうかと思いますけれどね。
ここで、藤君は元々、王子谷君を殺害するつもりでいたとの仮定を立ててみます。だとすれば、松田さん宅へ電話した意味が変わってくると思いませんか」
「……」
「アリバイ作りですよ。みんなが合宿に行っている間、自分は別の場所にいて電話をしてましたというね。無論、館の方の電話を使えなくしたのも、アリバイ作りのためだ」
「ユニークな推論だと思います。ですが、事件の様相に及ぼす影響は小さいんじゃありません? 王子谷君の死が事故であろうと計画殺人であろうと、そのあと海岸で足を滑らせた藤君は死んでしまった、というだけ」
「いえいえ、計画殺人だとすると、様相はかなり変わってくる。館の外に寝泊まりすることを前提に、王子谷君殺害を企図するなら、凶器は予め準備しておくものではないか。館内の包丁を使うなんて、違和感しかありませんよ。館の台所の包丁が手に入りやすく、自分が購入した物じゃないから足がつかない、第三者に濡れ衣を着せられる、とでも言うのであれば予定変更して館内の包丁を使うのもありかもしれない。しかし、何と言っても巨大な関門が立ち塞がる。ご記憶しているでしょう、十鶴館は夜、戸締まりをするため、建物自体が大きな密室になっていました。簡単には出入りできない館に、いかにして忍び込んで凶器を持ち出したのか。そのようなリスクを冒すくらいなら、用意した凶器を使う方が理にかなっているではないか。疑問だらけです」
「すべての人が、行動するに当たって最善の選択肢を採るとは限りません」
「その見方には同意します。けれども、推理研のメンバーだとどうか? 計画的犯行を期したのなら、凶器を用意しないなんてことがあるのか、これもまた甚だ疑問だ」
「……」
「王子谷君の死がアクシデントによるものだとすれば、藤君の電話がおかしい。藤君の計画的犯行だとすると、凶器に関して疑問が生じる。では藤君が、アクシデントやハプニングではなく、凶器の刺身包丁を入手できる方法はあるか? これはあると言っていいでしょう。合宿に参加した推理研の皆さんの間でも幾度となく論じられた、内部の共犯者の存在を想定すればいい。極端な場合を考えてみると、たとえば死亡した王子谷君自身が、藤君に窓越しに渡したなんてのはどうか。この仮説では、藤君は王子谷君とも事前に通じており、包丁の持ち出しを頼んでいたことになる。王子谷君は何も知らないまま、犯人に協力していた形になります。恐らく手渡すとき、王子谷君は刃先を自分自身に向ける。藤君は受け取るや否や、相手に向けて包丁を突き出すだけで、目的を達成する可能性が高い」
「それで理屈が通るのなら、きっとそうなんでしょう」
「凶器の受け渡しだけなら、ですね。そもそも外にいる藤君が、王子谷君を狙うのであれば、絶対に満たさねばならない条件があるのが分かるでしょう。優秀なあなたなら気付けるはずです」
「……王子谷君の部屋が一階でなければならない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます