第39話 捜索の果てに

「王子谷君がキッチンから包丁を密かに持ち出し、自分の部屋に持って行ったと言うのかい?」

「ええ、部長。一人で部屋に籠もっている間、包丁を握りしめて備えていたのかもしれません」

「……まさか……そんな不安で凝り固まった状態の王子谷へ、窓の外から声が掛かったとしたら」

 その先を口にするのは憚れるとばかりに、語尾を濁す加藤。

「しかも声の主は、合宿に着ていないはずの人物。恐慌を来しても不思議じゃありません。窓を開けると同時に先手必勝、包丁を突き出した。相手を追い払いたいだけで、刺す気があったのかどうかは分かりません。換言すると、どの程度の力を込めていたか分からないということです。一方、いきなり包丁をぬっと突き出された相手――藤君はおおいに焦り、手に持っていた傘で払いのけようとする」

「傘?」

「これも想像です。昨夜は途中まで雨が降っていました。王子谷君が死んだ時間帯は多分、雨は上がっていたでしょう。とは言え、いつまた降り出すか判断がつかないから、藤君は閉じた状態の傘を持っていたんじゃないかと思います」

「ふむ。まあ、ありそうな気はする」

「それで――傘で払いのける動作をしたところ、非常に希な出来事が起きてしまった。予想外の素早い反撃に、王子谷君は包丁を手放してしまう。それどころか、格子をかいくぐって彼自身の方に飛んできた。切っ先を向けて」

「……そしてその刃が、王子谷君の首元を切り裂いた……」

 唖然とした口調で言葉を継いだ加藤。これに対し、上岡が反論を唱える。

「それやとおかしい点が、少なくとも一つある。凶器の包丁は、室内に残るはずや。実際にはなかったで」

「想像に想像を積み重ねるのはよくないと思いますが、仕方がないので続けます。多分、瀕死の王子谷君が包丁を抜き、握りしめて再反撃を試みたんじゃないかと」

「何やて? てことは、その反撃の最中、力尽きて、包丁は外に落ちたっちゅうんか」

「はい。包丁は藤君が持ち去り、どこかに隠すなり処分するなりしたんだと思います。そう考えれば、状況を説明できるというだけですが」

 喋り終えた和但馬が、実光を見る。副部長は「私の仮説と同じ」とだけ答えた。

「やれやれ、だな」

 加藤部長がぼやき調で呟く。

「そんな滅多に起こりそうにない状況が起きたんなら、まともに推理を重ねていっても太刀打ちできないね。今はとにもかくにも、包丁の有無をチェックしに行こうか」

 力沢の見張りとして上岡と柳沢が残り、他の四名で台所へ移動する。

 立場がまだ微妙な実光は少し離れた位置から見守るだけになったが、手分けしなければならないほどのことでもなかった。流し台の下のキャビネットを見ると、扉に備わった包丁差しの一つが空になっていたのだ。

「そこには、刺身包丁っぽい、細身で長いのが入っていた気がするわ」

 実光が近付いてきて証言し、多家良も記憶と一致すると認めた。

「これまでの推測が当たっているとして、なおかつ、あんな刃物を藤君が持ち歩いているとしたら」

 額に手をやり、加藤は苦々しげに声を絞り出す。

「二つの意味で危険かもしれないな。刃が向くのは僕らなのか、彼自身なのか」


 小さないたずら心に端を発した計画が、予期せぬ方向に転がっていき、事故とはいえ不幸にも親しい知り合いの命を奪ってしまった――この説が真実を射抜いているのであれば、責任を感じた藤峰男が自ら死を選ぶ可能性はゼロではない。そういった判断から、急ぎ、周辺の捜索が開始される運びとなった。

 もちろん力沢を外に出す訳には行かないため、上岡を監視役に、館にとどめると決まった。さらに、多家良は依然として身に危険が及ぶのを危惧しており、迷った上ではあったが、十鶴館に残る道を選んだ。

 こうして朝昼兼用の食事を摂ったあと、藤峰男を探しに出たのは加藤、実光、柳沢、和但馬だった。四人がばらけて捜索するのは避けねばならない。安全確保のためもあるし、立場が微妙な実光に単独行動をさせる余地を与えないようにするためでもある。それ故に効率が比較的悪くなり、時間を要してしまうのはやむを得まい――との方針だったのだが。

「なんてことだ」

 呟いた加藤はしばらく無言になった。代わりに、ぎりっ、という歯ぎしりの音が短く漏れ聞こえた。

 藤峰男は海辺の岩場の間に、俯せに倒れていた。息はなく、蘇生措置を施しても無駄だろうと思えるくらい、肌からは赤みが退き、白くなっていた。姿は動きやすさを優先したらしく、上下ともジャージ着用で、これは船に乗っていたときとは違う格好だった。そのときの服やキャンプ道具などは、辺りに見当たらない。どこか別の場所を“本拠地”にしていたと想像されたが、どこなのかはまだ発見に至っていない。

「……これは」

 遺体を海から引っ張り上げ、仰向けにしてみると、腹の辺りの服が赤く染まっていた。たくし上げて確認すると、刺し傷があった。かなり深いようで、これが致命傷になったものと推測される。

「刺身包丁が落ちています」

 藤が倒れていた辺りの海を覗き込んでいた和但馬が、下を指差しながら伝える。そこに横たわっていたのは、紛れもなく十鶴館のキッチンにあった包丁だった。

「自殺? それとも、包丁を持ったまま岩場を歩いていたら、足を滑らせるか何かして、誤って刺した事故?」

 加藤が状況を想像し、口にした。それ以上先に進む術を、彼らは持っていなかった。

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