第31話 メッセージ

「ああ。硬直が始まっているようなら、無理はするな。それと手で直接やる訳にも行くまい。気が咎めるが……これを使うといい」

 加藤は室内をぐるりと見、中谷の持ち込んだ筆入れから、ボールペン二本を取り出した。タオルでよく拭いたあと、力沢に渡す。

 だが、力沢が不器用なのか、それともそもそもボールペンで亡くなった人の口を開けるのが無理なのか、手間取って進まない。

「やむを得ないな」

 加藤は両手にタオルと自らのハンカチをあてがうと、中谷の顎を直に掴んで開けた。

「どうだ?」

「何かあります。小さく折り畳んだ紙、ですかね」

 その発言に呼応する形で、和但馬がいい位置に回り込む。写真に収めるためだ。

「撮りました!」

「よし。じゃあ、力沢君。君が取り出してくれるか。必要ならハンカチを貸そう」

「いえ、ボールペンでどうにか」

 最前とは打って変わって、起用にボールペンを操り、口の中にあった物体を外へとはじき出す。床に落ちたそのあめ玉サイズの物を、今度は二本のボールペンでお骨を扱うかのように拾い上げた。

「それで全部だな?」

 確かめてから中谷の口を元の状態にする加藤。それからタオルを掛け直し、続いて少しだけ考える様子を見せてから、自前のハンカチを床に広げた。

「ここに置いて、広げてみよう。和但馬君はまたカメラを頼む」

 そうして加藤は新たにポケットティッシュを二枚取り出し、幾重かに畳まれた紙を広げていった。

 完全に広げるとそれは十センチ×五センチほどの大きさがあり、片面にだけ文字が書かれていると分かった。筆記用具は黒のボールペンらしい。定規か何かを添えて書いたような、非常に直線的な字で、すべて片仮名とあって多少読み取りづらかった。


<コレハ ケイコク ナリ  イッコクモ ハヤク コノシマカラ サレ

 サモナクバ マタ アラタナ シ ガ クダル モノ ナリ>


「まさしく、犯人からのメッセージのようだ……」

 加藤は呻くように言うと、その文面から目を上げ、力沢の顔を見つめた。和但馬も同じようにして、「お手柄ですよ、力沢先輩」と賞賛の言葉を口にする。

「いや、たまたまだ、たまたま」

 後頭部に片手をやり、謙遜の弁を述べる力沢。

「手掛かりには違いないけれども、このメッセージから誰が犯人か分かるもんじゃなさそうだし……ねえ、加藤部長?」

 力沢の声に、加藤はすぐには反応しなかった。

「部長? 加藤さん?」

「――ああ、何だって?」

「犯人特定は無理でも、何らかの手掛かりにはなりますよねって聞いたんです。その、具体的な返事を今すぐ期待してた訳じゃないんですが」

「いや。なかなか興味深いものだと思うよ。さあ、約束した休憩時間はもうじき終わる。写真をあと数枚撮ったら、引き返すとしよう」

 加藤は時刻を確かめる前に言い切った。


「和但馬君の証言の続きを聞く前に、皆に見て欲しい物がある」

 食堂に戻り、全員を前にそう切り出した加藤は、続いて、休憩中に中谷政美の部屋を三人で再度調べてみたことを告げた。

「新発見があったっちゅうことやな。しかも重大な」

 上岡が合いの手のように口を挟む。加藤は大きな動作で頷いた。

「見付けたのは力沢君だ。やっぱり、違う視点を入れるというのは大切だと痛感したよ」

「いえ、ほんとただの偶然、幸運だっただけで」

 ここでも謙遜する力沢に、加藤は微笑を返し、それから本題へ入った。

「中谷君の口中から、こういう物が見付かった。十中八九、犯人が押し込んだ物と見て間違いない」

 そして先ほど見付けたばかりの紙を、みんなに見えるよう肩の高さに両手で掲げる。食堂で休憩を取っていた面々は誰もが身を乗り出し、何と書いてあるのかを読もうとする。

「……あら」

 そんな中、実光がつぶやきを漏らした。すかさず、加藤が聞く。

「何か気付いたことでもあるのかな?」

「――ううん、大したことじゃないわ。折り目があるからどの程度小さくなるのかなと思って、頭の中で想像してみたのよ。案外、大きかったみたいね」

「ああ。大人の男の親指ぐらいはあったかな。――みんな、読めたか? 読めたなら、意見を聞かせてほしい。まずは」

 問題の紙を開いた状態のまま、テーブルに置きながら皆を見渡す加藤。やがて一点で視線を止めた。

「第一発見者の功績を称えて、力沢君に尋ねるとしよう」

「え、自分ですか。えっと、見付けたときは多少興奮していた気付かなかったけれども、ちょっと不自然かもしれないなと。早く退去しろと迫りながら、一方で電話を使えなくしているのだから。でもこれも、外部犯一人に内部犯一人の共犯だとしたら、連携ミスとみなしていいのかもしれません。もしくは、我々が『むざむざ殺されるくらいなら、危険を冒してでも海に飛び込もう!』となるのを犯人が期待している可能性も、ないとは言い切れないかな」

「うん。なかなか面白い。で、それだけ?」

 加藤は力沢の意見に一定の評価を与えつつ、“上乗せ”を求めた。

「い、いやあ、現時点ではこれが精一杯ですよ。他のみんなの意見を聞きたいです」

「そうか、そうだよな。教師が生徒一人を個人攻撃するみたいになって、悪かった。では次、誰がいいかな」

「――俺、言っていいっすか」

 柳沢が真っ直ぐに挙手した。気の弱さのせいか、最初の死者が出て以降、口数が極端に減っていた彼が、今は眼をらんらんとさせている。気負っているようなところすら、見受けられた。

「無論、構わない。ただし、冷静に」

「分かってますって。こんななりをしていながら、腕っ節には自信がまるでないので。使うのは頭脳一択」

 言いながら落ち着こうと努めているのが、傍目にもよく分かった。鼻孔が一度膨らみ、深呼吸のあとまた戻る。

「頭脳とか言ったけれども、ここにいる全員が気付いたかいずれ気付いたことだと思う。それぐらい明白な、おかしな点がその脅しの文にはある」

 犯人からのメッセージを指差した柳沢。

「言うまでもないが、電話を不通にしたこと以外にだ。文章そのものにおかしな言い回しがある。――なあ、俺が話を引っ張ろうとしているの、分からないか? 勿体ぶってるんじゃないぞ、本人の口から、本人の意思で言い出すのを待ってるんだ」

 柳沢は途中で口調を少し変え、場に呼び掛けるように話す。十秒ほどの間を置いて、加藤が口を開く。

「犯人に対して呼び掛けているのなら、無駄かもしれない。当人は現時点でも、まったく気付いていないのかもしれないからね。自ら名乗り出るのを期待するのは、やめようじゃないか」

「……分かりました。それなら俺の口からは……言いにくいです」

 目を閉じ、すとんと腰を落とす。柳沢は続きを辞退した。

「それもそうだろうな。他に役目を引き受けようという者はいるかな? 嫌な役目だ」

「柳沢君が言えないというのであれば、私が」

 実光が立候補した。彼女以外に希望者もなく、すんなりと認められる。

「私にも責任の一端があることでしょうから」

 立ち上がった実光はやや謎めかした前置きをしたあと、部員の一人に身体ごと向き直った。

「あなたは思い違いをして、つゆとも疑っていなかったようだけれども、のよ」

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