第23話 第二、そして第三の異変
* *
午前三時五十五分。腕時計でその時刻になったのを確認した力沢は、窓の外に目を凝らす上岡に、小さな音量の声で「先輩」と話し掛けた。
「ん?」
振り返った上岡に、力沢は自身の右手首にはめた時計を指差しながら、「呼んできます」と言った。
「そうか、もうそんな時間かいな。短かったな。じゃ呼んできてくれるか。といっても、一人はすぐそこだが」
上岡は笑いを堪えるような表情をなし、王子谷の入る一号室の方へ顎を振る。
力沢は控えめにノックした。返事はない。すっかり寝入ってしまったのか。念のため、ドアノブを掴んで回そうとするが、やはり動かない。
「しゃあない。強めにノックし。一階で他に人がおるんは実光さんのとこだけや。他の人もろくに寝付けとらん可能性が高い。多家良さんが言っとったように、防音はしっかりしとるしな」
「はい。しかしこの状況でぐっすり寝付ける王子谷って……」
続く言葉を濁す力沢。
(犯人だとは夢にも思わないが、神経がよほど図太いのか鈍感なのか、あるいは起きようにも起きられない……死んでたりして。はは、まさかな)
緊張状態が長く続いたせいか、思考がおかしな方向に走りがちだ。そう自覚した力沢は深呼吸をした。それから大きな音が出るよう、一号室の扉をノックをする。
「……」
応答なし。三度目、がんがんがんとこれまでになく激しく叩いたが、それでもなお中からは物音一つしなかった。
「上岡先輩、これって……どうしましょう?」
「合鍵はないんやったな。しゃあない。外に回って、窓から覗いてみるか。カーテンを引かれとったら、いよいよ割らなあかんかもしれん」
「外に出るんですか。一人だと危険では……」
「そうか。かというてこの場を二人で離れる訳にもいかへん。そや、君は部長を呼んできてくれ。元々起こすタイミングやったしな、玄関から出るとしたらあいつの鍵がないと話にならん。何にせよ、部長の判断を仰ぐんや。それまでここは僕一人で見とる」
「呼ぶのはいいですけど、上岡さん一人でいいんですね?」
「怖いさかい、できる限り早う呼んできてくれ」
力沢は二階の六号室、加藤の部屋へ急いだ。
「分かってる。今行く」
さすが部長と言うべきなのか、一度軽くノックしただけで、声が返ってきた。新たな異変をまだ伝えていないため、単なる交代だと思っているのは確かだった。
「結構ぎりぎりに来るんだな。気にせずに、早めに起こしてくれてよかったんだが」
「そ、それどころじゃなくって」
「――何かあったんだな?」
一階の一号室へ向かう道すがら、力沢は王子谷の部屋から何の反応もないことを話した。「さっきみたいなおしとやかなノックじゃなく、どんどん叩いてもか?」
「は、はい。名前を呼んでも同じで」
「うう、何なんだこれは。何がおきている? ――上岡、王子谷君の返事は?」
短く呻いた加藤は、廊下奥に立つ上岡に聞いた。
「ない。何度やっても一緒や」
「そうか……外に出て、窓から中を見るしかないな。できればもう一人、人手がほしいところだが」
この場に二人残し、外へ出るのも二人という態勢を取りたいのだろう、口元に片手を当てて、迷う素振りの加藤。
と、そのとき、二号室のドアから解錠される音がした。
「何かあったの? さっきからざわついた雰囲気が否応なしに伝わってきたのだけれど」
ジャージ姿の実光が出て来た。眠れていないのか、目の周辺が若干腫れぼったくなっている。さすがの素肌美人も、このあと化粧をしたくなるだろう。
「あったかもしれない。王子谷君の部屋から応答がないんだ」
「え……今、何時?」
質問を発しておいて、自身の時計で確かめる実光。
「えっと、交代どきよね。熟睡してしまって、起きられないだけじゃないの」
「この状況下で、そこまで熟睡できる人間はそうはおらんて」
上岡が激しくノックしたことを話すと、実光も納得したようだ。
「ちょうどよかった。窓から中を覗こうと思うんだが、安全のため二人で行きたい。君がついてきてくれるかな?」
副部長に求める加藤。
「もしも犯人が襲ってきたら、私、悲鳴を上げるくらいしかできそうにないけれど」
「充分。まともな思考回路の持ち主なら、二人を同時に相手するのは無理だと判断して襲わない。複数を襲って悲鳴を上げられたら、犯人だって普通は逃げるものさ」
「分かったわ。それでいいのなら」
加藤は肌身離さず持ち歩いてると思しき鍵の束を取り出すと、玄関の鍵を見付けた。
「気を付けてくださいよ」
力沢は自分でもびっくりするくらい細い声で、部長と副部長を送り出した。
それから三分と経たない内に、何やらがたがたと振動音がかすかに伝わってきた。防音設備のせいか、よく分からないが、ガラスの割れた音ではない。その後もしばらくがたがたと指導がしていたが、急に、ばきっという音がしっかりと聞こえた。
「格子を外したんかな。力仕事があるんやったら、実光さんに行かせるべきじゃなかったかもしれへん」
上岡がそんな後悔を口にした矢先、一号室のドアが開けられた。電灯が中を照らしている。開けたのは、加藤部長だった。力沢、上岡の順で入ろうとする。
「ストップ。すまないが、廊下に戻って。二人目の犠牲が出てしまった」
そういう部長の肩をかすめるようにして室内に向けた視線で、力沢はおおよその状況を理解した。
(お、王子谷……ほんとに死んでやがる? そんなまさか。どうしてこんなことに)
想像が現実に、いや、自分が想像したから現実になってしまった、という間違った錯覚に囚われそうになる。
部屋の窓際では、王子谷と見られる身体が、俯せにばったりと倒れている。頭の下辺りには、赤っぽい液体が広がっていた。
その後即座に、多家良、中谷、柳沢、和但馬の安否確認がなされたのだが……全員無事、とはならなかった。王子谷とは別にもう一人、犠牲が出ていたのだ。
パニックになり、暴発寸前のところを加藤部長が仕切ることでどうにか収める。そして新たに起きてしまった事件について、全員に伝えられた。
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