第11話 一年生女子部員からの疑問
「も、もちろんです」
皆で食堂へ向かう最中、上岡が加藤に話し掛けた。後ろには実光がついている。
「さっき副部長から提案されたんやが、森島さんの遺体をあのままにしとくんはどうやろな? 外からの救援や警察の介入が期待できん今、安置することを考えた方がええやろと僕も思う」
「確かに。ただ、安置となると部屋とは別の、陽射しがなくて少しでも涼しいところに移す必要がありそうだが、さすがに動かすのはまずくないかな」
「だったら」
今度は実光が話す。
「せめてシーツは取り除けて、床に寝させてあげられないかしら。遺体の姿勢や凶器がどう密着していたかは、写真に収めれば」
「……分かった。やむを得まい」
ではそれを誰がやる? 休憩後という訳にはいくまいと論点が移り、親しい者か同性がいいだろうという結論になる。
「でも、力沢君はあの様子だと精神的にきつそう。柳沢君は元々、根が怖がりみたいだし」
「精神的にきついのは誰もが一緒だよ。比較的ましかどうか、だ。すまないが副部長として実光さん、君がやってくれるかな。サポートがいるのなら、好きに選んでくれてかまわない」
「分かったわ、そうさせてもらう。カメラは私じゃ心許ないし、誰も見ていない状況で遺体に触れるのは後々、問題が起こりかねないし。それじゃあ――」
食堂に着いたところで、実光は指名した。
「和但馬君と王子谷君。ちょっときて。頼みがあるの」
その“作業”は、必要最小限の会話の中行われた。カメラ担当は王子谷。遺体に触れるのは実光。そしてそういった様子を傍から見て、おかしなことがないよう監視するのが和但馬と役目が割り振られた。
当初考えていた通り、首からシーツを取って、森島の身体を仰向けに横たえ、姿勢を整える。表情には苦悶が残っていた。
「直してあげるべき?」
実光のつぶやきのような問い掛けに、和但馬と王子谷は顔を見合わせた。しばらくして王子谷が答える。
「そのままでいいんじゃないですか。捜査するには、できる限り変化が少ない方がいいでしょうから」
「そうね。じゃ」
予め用意してきた白いタオルを顔に掛ける。館の備品で、未使用の物である。
最後にカーテンを閉め、日光を遮る(この日は曇りがちだが)。これで終わった、戻ろうかというタイミングで、和但馬が言った。
「……できればブルーシートか何か、敷きたいところじゃないですか」
話す相手は、実光。
「この真下、実光先輩の部屋ですよね。大丈夫ですか? その、腐敗どうこうはまだ先でしょうけど、精神的に」
「気遣ってくれて嬉しいわ。けれども、大丈夫」
気丈にというのではなく、普段と変わらぬ口調で述べると、実光は別のことを言い出した。
「ドアと鍵、それに窓、どうすればいいと思う?」
「え?」
「風通しを考えれば開けておくのがよさそうだけれど、出入り自由の状態だと、犯人が入り込んで何か物証を消し去ったり、逆に証拠を偽造したりするかも。遺体が廊下から覗けるというのも、あまりよくない気がするし、窓を開けておくと虫が入って来て、腐敗を早めてしまうんじゃないかしら」
「……閉めましょう」
三人が食堂に戻ると、六人は缶飲料を手に、ぽつりぽつりと会話を交わしていた。
「加藤君、終わった」
「ありがとう。ほんと、すまなかった」
「ううん。それよりも」
これこれこういう理由で窓もドアも施錠したけれど、よかったかと最終判断を仰ぐ。
「うん、それでいいんじゃないか」
「よかった。それと、あの部屋の鍵」
右手人差し指と親指とで摘まみ持った鍵を示す実光。
「誰かが保管する必要があるけれども、あなたでいい?」
「そっか、それがあったな。僕一人が鍵を預かるというのは、避けたくなってきたよ。玄関と勝手口だけで充分だ」
「じゃあ、誰が。まさか私?」
「いや、犯人が証拠隠滅もしくはねつ造を期して、森島君の部屋に入ろうとするかもしれない。その場合、女性よりも男性が鍵を持っている方がいい」
「納得の理屈ね。だったら……上岡君でいいかしら」
「そうだね」
呼ぶ前に上岡が近付いてきた。会話に自分の名前が出たのを、聞き咎めたようだ。
「呼んだか」
「呼ぶところだった。森島君の部屋の鍵を、君が保管してほしい」
状況と理由を簡単に伝える。上岡は小さく首肯し、「引き受けた」と言った。
「これでもしあの部屋で何か起きたら、僕が一番の容疑者ってか。責任重大や」
「よろしく頼む。ああ、実光さんも飲み物、選んで来なよ。缶なら細工がしてあったとしても、気付けるだろう」
「分かった、いただくわ」
そうして実光がキッチンに向かったのを機に、今度は多家良が入れ替わる形で加藤の元へやって来た。
「全員揃いましたし、そろそろよろしいでしょうか」
「そうだね。何を言いたいのか知らないが、始めてくれ。――みんあ、多家良君から話があるそうだ。注目」
加藤が手を一つ打つと、食堂にいる全員が多家良の方を向いた。そこへ隣のキッチンから戻ってきた実光が加わり、十六の眼が一年生女子を見つめる。
多家良に臆した様子はなく、咳払いをしてから始めた。
「えー、単刀直入に言います。皆さん、特に加藤部長は事件が森島先輩のみで終わらず、このあとも事件が続くとの前提で動いているように見受けられます。そうだとしたら、根拠を聞かせてください」
「そ、そんなの明らかだろ」
ほとんど間を置かずに反応したのは、柳沢。喉を潤して人心地つけたおかげか、声に張りがある。
「電話が使えなくされてたんだぜ? このあとも犯人が何かやらかそうと考えている証拠じゃないか」
「かもしれませんし、そうじゃないかもしれない。たとえば、犯人が電話線を切ったのは、警察への通報を遅らせたいだけなのかも。捜査開始が遅くなればなるほど、真相究明は難しくなると踏んで」
「いや、しかし……だったら自殺を装うなんて手間、掛けないだろ?」
「分かりませんよ。犯人は二段階で対策したのかもしれません。自殺で通ればそれでよし、通らなくても捜査が遅れればばれない自身があった、とか」
「自殺に見せ掛けゆと本気で思ってたなら、犯人は舐めてる」
不意にやり取りに入ってきたのは、力沢。彼もまた休憩を経て、元気を多少は取り戻せたようだ。
「推理研の中に犯人がいると仮定して、話す。俺達の中で、あの程度の偽装で警察の眼をごまかせると考える奴がいるか? いないだろ。――ですよね、部長?」
言葉遣いが荒くなっているのを自覚したのだろうか、途中で切り替え、加藤に確認をする。
「ああ、いないだろうね。一年生とはまだせいぜい四ヶ月の付き合いだけれども、みんなミステリの基本的な知識を有していると分かったし」
そう答えた加藤は、今度は多家良の顔を見た。
「話がこんがらがらない内に答えよう。他のみんなはどうか知らないが、僕が事件は一つで終わらない、連続するものとして振る舞っている理由は単純だ。最悪のケースを想定しているまでさ」
「……可能性の高低は無視して、ですか」
ちょっぴりしかめ面になって、多家良が質問を重ねる。
「ああ。君が言ったように、現時点で分かっている事柄から、次に何が起きるか、決定打に乏しい。色々なケースを想定し、最悪に備える。これが最善の策だと思ったんだが、間違っているかな」
「い、いえ」
「分かってくれたなら、それでいいんだ。ただ、ちょっと気になるのは、多家良君。この四ヶ月近く、主に部活の時だけだけど君という人間に接してきて、君はもっと思慮深いと見込んでいたんだがな。僕が最悪の場合を念頭に動いていることくらい、考えが及びそうなものだ」
「……買いかぶりです、と言いたいんですけど」
「――何かあったのか?」
言い淀む多家良を前に、何かを察したか、加藤の表情が一段と引き締まる。
「はい……実は、中谷さんからこれを拾ったと見せられて」
多家良は同学年の中谷を横目で一瞥したあと、ポロシャツの胸ポケットから何か取り出す仕種をする。
中谷の方は未だ遺体発見時のショックが残っているようで、言葉数が極めて少なく、自身の名が出ても少し目線を上げたくらいでまた俯いてしまった。
「これです」
多家良が、取り出した物を加藤に差し出す。紙を思わせる薄っぺらい何か。受け取る前に加藤が言った。
「先に聞くけど、指紋どうこうは気にしなくていいのかな」
「ええ。中谷さんや私が触ったあとですから」
「ふむ。まあ、念のため」
加藤は自前のハンカチを手の上に広げて、そこに置くように指示した。
「さて、これは何だ?」
白地に青で、模様めいた物が印刷された紙だった。形状は円で、サイズは大人の男の手のひらほど。ポケットに入れるためか、二つ折りの痕が付いている。
印刷の模様から浄衣を判断するのは難しかったが、ある方向から見るとその青く描かれた物は鳥、首の長い鳥が翼を開いた姿に見えた。そして一旦そう見えると、恐らく多くの日本人が某航空会社のシンボルマークを連想するだろう。色違いのあれだ、と。
ただし、大きく異なる点が一つある。首の長い鳥――鶴の首が途中で不自然に折れているのだ。
さらに注意深く見ると、鶴の胴体に該当する部分に、縦に一本線が入っている。単なる線ではなく、数字の1のようだ。
「これをどこで」
加藤の質問が、多家良と中谷の両方に向けられる。
多家良は中谷を見やって、どちらが答えるかを推し量る様子を見せた。その“待ち”は十五秒と保たずに切り上げられる。
「私が中谷さんからこれを見せられ、預かったのは、森島先輩が亡くなっているのが分かったあと、全員で電話の具合を見に行く途中でした。そのとき彼女が言ったのは、森島先輩の部屋で拾ったんだと」
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