第9話 十鶴館で起きつつある事件


「何でこんなことに」

 柳沢の口から、震えがちの声がこぼれる。

 館の外の柱まで延びた電話線の大元が、完膚なきまでに破壊されていた。

「今は『何故?』以上に、『誰がしたか?』がより重要だよ」

 部長の加藤が冷静に言った。もしかすると、努めて冷静でいようとしているのかもしれないが、ともかく表面上、動揺は欠片もない。

「直せるか否か、も重要やと思うぞ」

 後ろに立つ上岡からの指摘に、加藤は振り向き、細めた目でじろりと見やった。

「まあ、確かに。ただ、残念ながら見当するまでもないんじゃないかな。線が切られたとかじゃあない。この有様では」

「この中で機械が得意なん、誰かおらんか?」

 上岡は一年生達を見た。その仕種は、他の学年にはいないと承知している証でもある。

「僕は手先が器用なだけで、知識は全然」

 首を強く左右に振ったのは和但馬。続いて王子谷が「機械いじりは嫌いじゃないですけど、この壊れ具合は、道具と換えの部品なしではとても修理不可能でしょう」と、普段に比べればはっきりとした物言いで答えた。

「言ってもしょうがないことですが、藤君が機械いじりが得意で、よく知っているみたいでした。ミステリの機械的トリックの欠点とか、よく指摘していたし」

 和但馬が付け加えると、加藤は肩をすくめた。

「そういう特性は、参加者選びのときに言ってほしかった。改めて聞くが、携帯電話なんて洒落た物、持っている人はいないね?」

 部長の問い掛けに、その場に集まった全員の反応はノー。

「仮にあったとしても、ここは圏外じゃないかしら。本来、こういう場所でこそ必要性が高く、通じるようにしないといけないのにね」

 実光が言い添えると、加藤は弱冠不機嫌になった口調で、「念のために聞いただけさ」と言い捨てた。

「差し当たって、どう対処するかの方針を定めなくてはならないんだが……死亡者が出たことを警察などに伝えるのはいう間でもなく、我々はなるべく早くここを離れたい。殺人犯がいる可能性が高いのだから。でも自力で脱出するのは、相当困難だと思う。船を作る? まだ完全に検討しきった訳じゃないが、難しそうだ。裏の山を越えて別の港まで歩く? 途中の吊り橋が落ちていて、辿り着けない可能性が高い。そもそも方角が分からないと来た」

「の、狼煙を上げる、とか」

 柳沢の意見に対し、加藤は即座に首を左右に振った。

「意味がないだろうな。煙を立ち上らせても、それが救難信号だと気付いてもらえるかどうか。いっそ、大きな炎にでもなれば話は別だが、その規模の火を燃やすには、このスペースは狭い。自分達が焼け死ぬ恐れさえある」

「だめですか……」

「目の前の海を通る船に合図を送るのはどうでしょう?」

 和但馬が入り江の方を示しながら言った。

「数は少ないけれども、昨日半日くらいの間にも何隻か行き交うのが見えました。鏡を使って光を当てれば、もしかして察してもらえるかもしれません」

「どうだろう? SOSのモールス信号にしたとしても、質の悪いいたずらと見なされそうだが……何隻もしつこく繰り返す内に勘付いてくれる可能性はあるか。ただ、今日から天気は下り坂らしいじゃないか」

 結局このアイディアは、太陽の光が戻り、船が通り掛かるタイミングに合致すれば試してみるということになった。

の遺体を置いてきたままというのは気になる。戻るとしよう」

 そう。B大学推理研の夏合宿に、死者が出ていた。


 少し時間を巻き戻す。

 ――合宿二日目は、朝から大きな事件に見舞われ、予定が吹っ飛んでしまっていた。

 初日の疲れもあるだろうからと起床時刻を特に定めてはいなかった彼らだが、朝九時になっても音沙汰なしというのは、いくら何でも心配になるレベル。朝食は各自、勝手に食べるというルールとは言え、片付けや、皆揃って摂る昼食、それに予定しているイベントとの兼ね合いがあるため、起こすべきとの結論になった。

 午前九時を過ぎても、部屋を出て食堂に姿を見せなかったのは二人。男女一名ずつだった。

 まず男、王子谷の部屋へ和但馬が様子を見に行った。きつめのノックをするまで無反応だったため、何事かと心配を露わにした和但馬だったが、ドアを開けて顔を覗かせた王子谷は、眠たげな半眼のまま「どうした?」とぼそぼそ声でのんきに聞き返してきた。王子谷の言によれば昨晩は床に就いてからも目が冴えて、読書と考え事――十鶴館の事件の推理――に意を割いていたようだ。一旦眠ったが、朝六時半頃に目覚め、そこからまた読書に没頭していたという。反応がなかったのは、ヘッドホンをして音楽を聴いていたせい。

「音楽を積極的に聴くようなキャラクターとは知らなかったな」

 和但馬が率直な感想を述べ、これに王子谷が何か応えようとした刹那、悲鳴が二階から轟いた。

 悲鳴の源は、起きてこなかった女子の方、森島の部屋の辺りからだった。彼女を起こしに行ったのは実光と中谷。王子谷を起こしに行ったのが和但馬一人だったのに対し、女子へは二人が行ったのは、森島と同学年の女子がいないからというぼんやりとした理由に過ぎない。

「どうした?」

 食堂に残っていた顔ぶれの内、すぐさま行動に移したのは加藤部長。二番手に上岡、さらに二年生と一年生が続く。王子谷と和但馬も合流し、わらわらと二階の一番奥の個室を目指した。

 ドアが開いているのは分かった。そして中谷が真ん前にへたり込んでおり、部屋と廊下のちょうど境界線、戸口のところに実光が立ち尽くしている。

「どうした?」

 加藤が同じフレーズを繰り返す。中谷には返事が期待できそうにない。実光の名を呼びながら近付いた。

「あ、加藤君。いくら呼び掛けても返事がなくて、ドアノブに触れたら動いたから……」

 答えつつ、場所を空ける実光。喋り方そのものは落ち着いているようだが、声がからからに乾いた風になっている。二歩下がって廊下に出た。彼女と入れ替わる格好で、加藤が戸口に立つ。

「あれは……森島か?」

 窓のすぐ下の壁に背をもたせかけ、床に足を投げ出す姿勢でいる。俯いていて、髪が顔を隠しているせいで、誰なのか簡単には断言できない。

「まだ触れもしてないから分からないけれど……首を吊ったみたい。後ろの窓の格子に、何か紐状の物を結び付けて」

「刑務所での自殺に多いとされるやり方か」

 推理研のメンバーで、これを知らない者はいまい。だが、知っていることと実行することはもちろん違う。

「分からないな。仮に、どうしても首を吊って自死を図りたい理由があったとしても、格子を利して足を投げ出すなんてスタイルを選ぶ必要があるか? このもっと一般的な首吊りができるのではないか。館の中には所々に横木が渡されているし、外に出れば太い枝を持つ木がいっぱい生えているじゃないか」

「加藤、推理や疑問は後回しでええやろ」

 上岡の声がした。彼だけでなく、他の連中も室内を見ようとしてか、集まっていた。

「あそこにいるのがほんまに森島さんで、ほんまに亡くなっているかを確かめて、それから善後策を講じる。これやろ」

「すまない。わずかながら我を忘れていた。実際、これが質の悪いいたずらであってくれと念じていたんだ。今みたいに推理バカが推理を語り始めたら、死んだふりをした彼女が怒って起き出してくるんじゃないかと」

「気持ちは分からんでもない。さ、確認しよか」

 加藤と実光、そして森島と同じ二年生ということで力沢の三人で確認に取り掛かる。

「――間違いなく、亡くなっているわ」

 手首に指を当て、鼻孔の下に手の甲を寄せ、備え付けの緊急時用懐中電灯で眼球に光を当てる。いずれも“生”を示す兆候はなかった。

「僕ら三年だと見間違えや判断に悩むことがあるかもしれないと思ったが、これは間違いようがない。森島奈生子君だ」

 加藤が言い、力沢が首を縦に振った。

「何か書き遺した物はないんか?」

 “外野”から上岡が尋ねる。

「見える範囲にはない。どこかに仕舞ってあるとしたら話は別だが、探す前に検討したいことがある。自殺かどうかが怪しい」

「え、根拠は?」

 加藤が言い、実光が問う。

「道具として使ったのは見たところ、シーツを撚った物だ。だが、その下、首回りに残る痕跡とは相違があるように見えるんだ。他の人の意見も聞きたい。先に僕の見解を述べたのはまずかったかもしれないが、異論があれば遠慮なく言って欲しい」

「……」

 実光は恐る恐るを体現したかのような仕種で、ゆっくりと遺体のそばに寄ると、森島の首元に目を凝らした。

「そうね。言いたいことは分かる。首にある痕には、縄目があるように見えるわ」

「君もそう見えたか。シーツをよじったらたまたま似た具合の縄目になったとは、ちょっと考えづらい」

 それでも念のためと、力沢の他、推理研メンバーで希望者には遺体の首に残る痕跡を見せて、判断を聞いた。結果は全員一致、シーツで自殺したのではないとの判断だった。

「仮にロープ状の物が別個にあるとして、森島君が自殺ならわざわざシーツに置き換える意味があるだろうか」

「なさそうです」

 加藤の問い掛けに、いち早く答えたのは多家良。早口になっている彼女には、どこか焦りの色が浮かんでいた。

「早くはっきりさせた方がいいと思うんです、部長。これは自殺に見せ掛けた殺人で、犯人は近くにいる恐れが高いって」

「僕も同意見だった。後押ししてくれてありがとう。反対意見は?」

 他の者に問い掛ける。特に異議は出ない。

「それでは次の段階に進もう。物語の中であれば、僕らは素人探偵ぶりを発揮する役どころなんだろうが、現実的には違う。クローズドサークルと言ったって、電話は通じるんだからね」

 ――という経緯で、館の電話を使おうとしたが通じなくなっていることが発覚。大元の線を見に来た結果、破壊されていると分かった次第である。

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