第7話 十鶴館で起きた出来事 その3

>加藤部長の語り

 海と岩山に挟まれるようにして巣座島に建つその館には、正式な名前はなかった。資産家が千鶴という娘のために建てたことから、建築中は千鶴邸と仮称されていた。それが誰ともなしに十鶴館と呼ぶようになったのは、千鶴の死に様から来ている。首の骨を折ったという状態を「千」の字に当てはめ、「十」に見立てたのだとされる。

 遺族は意外にもこの呼び名を拒まなかった。どうでもよかったのかもしれないし、常に千鶴の名を意識して悲しみに浸るより、悲しみを乗り越えたいという思いの無意識の発露だったのかもしれない。

 当初の予定よりもふた月近く遅れて、館は完成を見た。遅れた理由は両親が建築再開を迷ったのではなく、多少の設計変更を希望したから。十鶴館を、千鶴を偲ぶ場所にするべく、大きな祭壇を設けたり、墓とは別に墓標を建てたりした。広い花畑も作りたいと望んだが、スペースの都合や潮風の影響を考慮して見送られた。代わりに、千鶴専用となるはずだった部屋は、精巧な造花で満たされたという。

 そうして迎えた十月半ばの土曜日に、千鶴を追悼するという名目で、事件当時、居合わせた顔ぶれが招かれ、泊まり掛けでセレモニーが行われる運びとなった。両親の他の参加者は、千鶴と顔見知りの学生四名、作業員三名、入善藍吾のマネージャーの女性、クルーザーを操船して皆を送迎した男。合計十一名に加え、もう一人、当時居合わせてはいなかったが、千鶴の普段の暮らしをサポートしていた男性医も足を運んだ。

 何だかんだと理由を付けて欠席者が出そうな話なのに、全員揃ったのは、千鶴の両親が財力を用いたとされるが定かではない。

 さて、追悼と言ってもスケジュールを立てて儀式を進行するのではなく、最初に全員で黙祷を捧げ、両親――橋本夫妻が挨拶の言葉を述べたあとは、食事をしつつ自由に話してもらうというスタイルだったようだ。

 あいにくと、千鶴との思い出話に花を咲かそうにも、招かれた人達の半数以上は千鶴と親しい付き合いはなく、学生達でさえたくさんの思い出があるとは言えない。よって追悼の席は、ほどなくして単なる歓談の場と化した。

 橋本夫妻もこうなることは分かっていたようで、参加してくれたことに感謝を述べ、持ち込んだアルコールを振る舞い、館の完成を改めてねぎらう等、雰囲気を明るくしようと努めていたとされる。

 そうして夜になり、酔いもあって全員が若干早めに床に就いた。事態が一変したのは、翌朝になってからのこと。

 橋本夫妻と女性マネージャーが絶命していた。食事の時刻として約束していた頃合いになっても姿を現さないのを変に思い、何人かでそれぞれの部屋に行ってみたところ、橋本夫妻は各自室で意識不明に陥っていた。女性マネージャーは宛がわれた部屋に不在だったため、騒ぎは一段階大きくなった。女性マネージャーが夫妻を手に掛け、逃亡したのではないかと想像されたのだ。ところがその見立てを否定する結果が、すぐに出る。念のためと千鶴の部屋を覗いてみると、そこで女性マネージャーは倒れ伏していたのだ。

 男性医が三人を診ていずれも一酸化炭素中毒の疑いが濃く、助かる見込みはほとんどないがそれでも医療機関に運ぼうとの断がくだり、船を出すことになった。船長は動揺が激しくかなり危なっかしい操縦だったようだが、どうにか無事に最寄りの港に到着。診察を受けるも残念ながら蘇生はならず、死亡を確認。死因は男性の見立て通りだった、

 詳しい経緯は不明だが、三人の死は事故として処理された。橋本夫妻及び千鶴の部屋にのみ設けられた、ガスストーブ用の管の大元が何かの拍子――小型の野生動物が入り込む等――に開栓状態になり、なおかつ不完全燃焼を起こしてしまったという。参加者の中には橋本夫妻が娘を想って自殺し、女性マネージャーはその巻き添えを食ったのではないかと考える者もいたようだが、証拠はなし。下手に騒いで事件化すると、参加者達も面倒に巻き込まれ兼ねないとの判断も働いたのか、そのまま沈静化した。



「――以上だ。十鶴館は千鶴の伯父に当たる人物が受け継ぎ、管理していたが、高齢であまり見に来られなかったのと、維持費用がかさみ始めたのを機に売りに出した。それを買い取ったのが、永源遙一先生という次第さ」

「先生は当然、いわくについて承知の上で購入されたんですよね」

 力沢の質問に、加藤は眉をちょっと歪めて、不思議そうに聞き返す。

「当たり前だ。僕が今話した内容は、先生サイドからの情報だと最初に言わなかったっけ」

「い、いえ、聞いてました。自分が気になったのは、こんな謎が未解決で残されているのに、永源遙一先生は何もせずにいられたんだろうかっていう……」

「ああ、そういう意味ね。確たる情報を求め、集めていらしたのは確かだよ。この館にまつわる死の真相を究明したいと考えているのも、多分間違いない。少なくとも新しい作品の題材になると踏んだはず。でなきゃ、わざわざ買わないだろ、こんなへんぴな場所にある建物を」

「だったら」

 王子谷がぼそりと言う。

「僕ら後輩に泊まるように言ってきたのも、僕らに解かせようという狙いがあるんじゃあ……」

「はは、いいねえ王子谷君。僕も同意見だよ。事実、最初に話した千鶴の死に関して、ほとんど自動的にみんな推理を始めていた。偉大な先輩とはいえまんまと先生の企みに乗るのは、多少癪だが、挑戦状と思えば面白いし、楽しくすらある」

「待って。本気で取り組むつもり?」

 実光の声は、不満と不安が入り混じったような調子だった。

「何かいけないかい?」

「何かって、色々と支障があるでしょうよ。何と言っても、部長が鼓舞した執筆が捗らなくなるのは確実よ」

「かもしれないし、現実に起きた事件について深く考察することで、作品のアイディアを得るかもしれないじゃないか。むしろ僕は後者を期待してる」

「お気楽ね」

「無理に首を突っ込めとは言わないさ。抗いがたい好奇心が湧いてくるとは思うけれどね。他に異論のある人、いるかな? 特に上岡。先ほどは、実際に起きた事件に関して、安易に取り組みたく様子だったけれども?」

 “ご指名”を受けた上岡は、例によって組んでいた腕を解くと、テーブルを指で軽く叩いた。考えをまとめる時間を取っているようだ。

「推理を口にする、つまり外に出すんは慎重にやりたいっていうだけや。推理すること自体は否定せんし、僕もやる。そういうのんとはちょっと違う点が気になるな」

「何かな」

「真相解明を目指して首を突っ込むんやったら、どうしても見たいとこ、あるんやないか?」

「というと?」

「分かっとるくせして、とぼけよって。橋本夫妻と千鶴嬢の部屋や。人が死んでた三部屋に入り、検証したくなるんが探偵の性やと思うが、違うか」

「“探偵の性”とはいいね。僕は“捜査の常道”ぐらいだと思ってるんだが」

「そこはどうでもええ。立ち入り禁止という遺族の願いを破って、飽くまでも真実を追い求めるんか」

「必要とあらば、禁を破ることに躊躇はないよ。ただ、現時点では必要があるかどうか分からない。大元の栓は見ることができるはずだからね。いよいよとなったら、みんなで問題の三部屋を見てみようじゃないか」

「……開けた途端、毒ガスが吹き出して全員死亡、とかだったりして」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る