第5話 十鶴館で起きた出来事 その1
「加藤部長、そろそろいわく因縁とやらを話してもらえませんか」
皆で食堂のテーブルに着き、遅めの昼食を始めたところで力沢がねだった。船酔いは上陸早々、快方に向かったらしく、顔色はよい。
「気になって仕方がないんですよね。調べても全然出て来ないし。このままだと予定されている犯人当てにも影響が出そうだし、執筆も捗らないかもしれないなあ……って」
「そりゃまずいね」
加藤は箸を止めて、他の面々を見渡す仕種をした。
「聞きたい人は大勢いるだろう。ただ、逆に話を聞いたが故に余計に心に残って、他のことに手が着かなくなる、なんてのも困る。そこでここはシンプルに、決を採ろう。この館で起きた事件について、今はまだ知らなくていいという者は手を挙げて」
誰一人として挙手する者はなかった。食事中だから挙手の動作が面倒、なんてことではなく、実際に全員が早く知りたがっている様子。
「ここまで圧倒的とは、ちょっと意外だな。短編執筆、責任持って進めてくれよ」
そうして笑みを見せた加藤は、弁当箱の底面を上から箸でつつき、少し間を取った。
「書きながら説明した方が分かり易いし、メモを取りたい者もいるだろうから、食事が終わったあとにしよう。ちょうどいい具合に、ホワイトボードを見付けたことだしね」
加藤部長の発言のせいか、全員、食事のスピードが多少上がったようだった。
「最初に断っておくと、これからする話はすべて、僕が永源遙一先生にお会いした際、伺ったものと同じだ。何の脚色もしないし、省略もしない。ただ、言い忘れることはあるかもしれないので、質問があればどんどんしてくれたまえ。分からないことには分からないと答える。もしも想像を交えるときは、想像だと分かるように語るよ」
ホワイトボードを傍らに立ち、ペンの具合を確かめつつ、加藤は皆を前に言った。
「今の宣言が嘘やないという保証は?」
早速の質問は上岡。本気で懸念しているのではなく、お約束ないしは念のための確認作業のようだ。その証拠に、加藤も上岡も微笑を浮かべている。
「信じてもらうしかない。ここから永源遙一先生に電話をして、確かめる勇気のある者がいれば、そうしてくれたっていい。他に、大前提的な質問がある人?」
「じゃ、じゃあ」
和但馬が遠慮がちに声を上げた。
「そもそも実際に起きた事件なんでしょうか? その、今の加藤先輩の説明だと、永源先生が壮大な作り話をしたという可能性を消せないっていうか……」
「いい質問だ。僕が先生から話を伺った折、新聞や雑誌の切り抜き記事を見せてもらったんだが、現実に起きた事件に間違いないよ。切り抜きがねつ造品じゃないかと疑えなくはないが、そこまでして我々後輩を騙すかな? 人気作家はそんなに暇じゃあるまい」
「ですよね」
「他にはないか? ではいよいよ語らせてもらうとしよう。十鶴館についての諸々を」
一息入れると、ボードに“十鶴館”と書き記す加藤。
「まず、名前の由来から始めよう。船からこの館が見えたとき、ちょっと変に思わなかったかな? あるいは期待外れ感と言った方がいいかな。鶴と関係ないじゃないか!ってね」
問い掛けに、「それは思いました」という旨の反応がそこかしこで上がる。
「十羽の鶴の意匠がどこかに大きく施されているとか、屋敷全体の形が羽を広げた鶴のようだとか」
森島奈生子が具体例を列挙した。部誌ではイラストを担当することが多い彼女なら、脳裏により明確なイメージができあがっているのかもしれない。
「僕も最初に効いたときは似たようなことを思った。だけど、由来を聞けば的外れだったと分かる」
思わせぶりに加藤部長。間を取ってから、続きに入った。
「元々、この館は
話すのに合わせて、ホワイトボードに“千鶴”と書く。
「千と十の違いも気になるところやけど、そもそもその千鶴さんはどこのどちらさんで?」
上岡が聞いたが、この質問は少し早かったようだ。加藤は小さく首を横に振ると、「まあ待てって」と微笑を浮かべる。
「こんなへんぴな場所にこれだけのサイズの屋敷を建てるくらいだから、相当な資産家であることは言うまでもない。名前を出せば誰もが知っているようなグループ企業に名を冠する一族、とだけ教えられた。便宜上、仮に
ボードの“千鶴”の上に“橋本”と書き足す。
「ことの発端は、今を去ること十三年前、大学進学を果たして間もない橋本千鶴嬢が、ある害を蒙った一件にある。ここで特に女性には言いづらい内容になる。なので、ここだけは極めて簡潔に話す。いわゆる性的暴行被害だ」
言葉を区切ると、加藤は場を見渡した。続けてもいいな?と確認を取るかのように。
「警察に届けて犯人は逮捕されたが、千鶴嬢の受けたショックは深く、家に閉じ籠もるようになった。ひどく人目を気にするようになったそうだ。特に、彼女自身を知る人とは会いたがらなくなった。橋本家の財力からすれば、転居は楽に可能だが、地元にもよく知られた家柄で、土地家屋も代々受け継いできたものであるため、おいそれとは移れない。
そこで彼女の両親は、都会から離れた、橋本家の人間の顔を知られていないような場所に別荘名目で屋敷を建てることを思い付いた。そこへ千鶴を住まわせて、心のリハビリテーションとする狙いだ。発案したのは両親だったが、娘もこれを受け入れて館の造りに希望を出すようになり、完成を心待ちにするようになる。
娘の希望を叶えるためもあって、橋本家は天才建築家として名を馳せる入善藍吾に依頼する。当時、すでに瀬戸内の島々にいくつか屋敷を建てた実績のあった入善は、同じ瀬戸内、つまり我々が今いる巣座島を推薦し、橋本家もこれを了承。可能な限り速やかに建てるべく、莫大な費用が投じられた。台風シーズンを外れていたおかげもあり、作業は予定通りに進み、十月初めの休日、完成間近の館の正面玄関扉の上方に、千鶴の描いた絵をシンプルな彫り物のプレートにしてはめ込むという段取りまで来た」
「それはセレモニーという意味? 関係者が参列のもと、テープカットして……みたいな」
実光が問うと、加藤は少し考えてから答えた。
「詳しくは聞いてないが、そのようなものだったと思われる。当日、巣座島に橋本家や千鶴の親友らが訪れていた。プレートはそのものも千鶴自身がその日、持って来たというしね。取り付けるだけなら、業者がやれば事足りる訳だから、セレモニー、イベント的なことをやる予定だったんだろう」
「予定? というからには、やっぱり何らかのトラブルでプレートは取り付けられなかったのね」
実光が続けて言った。森島や中谷が同意を表して、「ここに入るとき、玄関にそれらしきプレートは見当たらなかったものね」と呟く。
「ご名答。プレートが行方不明になったんだな。到着したあと、完成が近い館のエントランスホール辺りに置いていたが、ちょっと目を離した間に箱ごと消えたんだそうだ。当然、セレモニーはできないから延期。千鶴はその場で倒れてしまった。横にして休ませようということになり、元々千鶴用に作られていた部屋がほぼ使える状態だったので、そこに運び込んだ。もちろん家具の類はまだ揃ってなかったから、床に大きなタオルケットや断熱材の余りを敷いて、急ごしらえのベッドにしたという。
最初は両親らが見守っていたけれども、千鶴本人が一人になりたいと望んだため、部屋を出た。それから一時間弱が経過した頃、母親が様子を見に行くと、娘がいなくなっていた。完成間近と言っても、玄関や勝手口以外からも外へ出るルートは複数あったそうだ。
千鶴の精神状態から鑑みて、急いで見付ける必要がある。全員で捜索に当たった結果、三十分ほどで見付かった。ただし、遺体として」
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