第3話 上陸
この質問は、箕輪氏の耳に奇跡的に届いたらしく、返事がすぐにあった。
「いえいえ、私の知る限りではヘリコプターもプライベートジェットもお持ちじゃないですよ。そもそもの話、先生は空が大の苦手で」
「なるほど」
「箕輪さんが船で引き返したあとは、我々は閉鎖状況に置かれる。クローズドサークル物のミステリを構想するにはうってつけの合宿場所と言える」
加藤先輩は“部長の顔”になって言った。
「学祭に併せて発行する部誌は十鶴館における合宿レポートと、創作――孤島物やお屋敷物といったクローズドサークル系の本格ミステリの短編で埋め尽くしたい。皆、大いに健筆をふるってくれることを期待しているよ」
参加者のほとんどは、「えーっ」と声を上げるか、げんなりした顔になっていた。大学生が夏休みに海辺に来て、遊びを優先しないはずがない(?)。
「ぼちぼち、下船の準備に取り掛からないと。あっ、悪いんだが
加藤部長の指名に、僕は「構いませんが、女性陣が起こしに行った方が目覚めがいいんじゃないですか」と答えた。
二年生の力沢先輩は、船に弱い体質だと乗って初めて分かったらしく、出港して十分ぐらいで顔色が悪くなり、三十分と経たない内に、本格的な船酔いになった。直に目撃していないので正確には分からないけど、海に向かって多少吐いたあと、酔い止めの薬を飲み、クルーザー内で一番安定している部屋で横になっていた。
ちなみに、永源遙一所有のクルーザーは、最大で八名が寝泊まりでき、水洗トイレまで備わっている優れものだ。
「いや、あいつはそういうタイプじゃないよ」
部長が苦笑交じりに教えてくれる。
「船酔いで寝込んでいるところを異性に見られる方が、よほど嫌っていう奴さ」
「分かりました」
短いステップを降りて、中央寄りの部屋を目指す。ビジネスホテルなんかと比べたらかなり長細いドアの前に辿り着いた。焦げ茶色で光沢のある扉は重厚感があるが、その実、軽い。決して広いとは言えない廊下で、余計なアクシデントを防止する意味合いがあるらしい。
僕はそんな軽いドアを、軽くノックした。反応の有無を見極めようと、耳をすませる……ない。推理小説の世界なら、中で人が死んでいるか、消えていなくなっている場面だな。ほんとにそうなっていたら、ちょっと面白いかも等と非常に不謹慎なことをふと考えていた。かぶりを振って邪念を払い、ドアを再び叩いて声を掛ける。扉越しであることに加え、船内は機械音がずっとしているため、もちろん大声を張った。
「力沢さん? 具合、どうですか? 開けていいですか?」
中に尋ねて参っていると、程なくして「あ……いーよー」と返事があった。事件は起きていなかったようだ、うん。
「もうすぐ着くみたいです。一人で動けるようなら、下船の準備を。無理なら手伝います」
ドアを開け、話しながら入る。力沢先輩はベッド上で、上半身を三十度ぐらい起こしていた。フード付きのパーカーを着ているのは、水しぶき対策だと本人が言っていたけれども、効果を発揮する前にダウンしてしまい、笑うに笑えない。
「あ、すまん。揺れ、だいぶ収まってんのな」
「そりゃまあ、もう入り江ですから」
「薬も効いたみたいだし、多分大丈夫だ。君は君の準備をしてくれ――あ」
一気に立ち上がろうとした力沢さんだが、ふらついて尻餅をついた。僕は慌てて手を貸そうとしたが間に合わず。ベッドの上でよかった。
「す、すまん。まだ頭の中と足元がふわーっとしてる」
「やっぱり、手伝いますよ。荷物、運んでもいいですか。何か飲みたければ、水でも持って来ますけど」
「君、いい奴だな」
力沢先輩は力のない声で言った。大げさだな。船酔いの後遺症のせいかもしれない。
「地面に足を着けたら、頑張ってくださいよ。女性の目もあるんだし」
「それを……言うなって」
僕のきつめの冗談に、先輩はやっと少し笑った。
ごたごたはあったものの、全員無事、巣座島上陸を果たした。陽射しの強さを肌で感じながらも、地に足がつくというのはほっとできる。僕自身、この一歩一歩を踏みしめる感覚を精一杯味わった。
館からの出迎えは当然ない。今日から一週間の予定で十鶴館に滞在するにしても、初日は清掃に時間を割かねばならないんじゃないかな。
「各ライフラインは四日前に来てチェックし、問題なく使えました。ガスだけはプロパンなので量に限りがあると言えますが、一週間ぐらいなら余裕で保つでしょう。そういう訳で、これ、鍵」
「ありがとうございます」
加藤部長が鍵の束を受け取る。でっかい金属の輪に、鍵がいくつも通してある。それぞれキーホルダーが付いていて、数字が振ってあるのはきっと部屋番号を表しているんだろう。
「玄関の鍵は、その黒い札が付いているやつです。この館のドアはすべて、内側からロックする際にも鍵が必要なので、ご注意ください」
「はい、大切に預からせてもらいます」
「お迎えは、一週間後で変わりないですかね?」
「予定通りでお願いします」
「分かりました。悪天候で予定より遅れる場合は連絡を入れます。念のため、非常食を二日から三日分ほど台所の片隅に置いていますので、万が一のときは遠慮なく使ってください」
これは部にとってありがたい話だろう。もちろん、一週間分の食事は持参するもののさすがに重量があって、非常食まで手が回らなかった経緯がある。ついでに付け加えると、到着後の最初の食事は弁当で済ませる。
「お心遣いに感謝します。永源先生にも何卒よろしくお伝えください」
「はい。では、そうですね、あと三十分したら船を出します。もしそれまでに、館の方で何か重大な不具合が見付かれば知らせに来てください」
ぎりぎりまで心配してくれる。この気遣いは、箕輪氏の自発的なものなのか、それとも永源遙一大作家先生の意向が働いているのか、ちょっぴり気になった。
電気と水道は使えたし、電話も通じた。ガスはちゃんと火が着き、安定している。細々とした水回りはまだ見ていないところもあるが、まずは問題なしということで箕輪氏の手を煩わせることなく、帰途についてもらった。
食糧を冷蔵庫に詰め終えると、部長が切り出した。
「部屋決めをしないとね」
館内図によれば、十鶴館には個室として使える部屋が十三ある。その内三つは昔起きた事件で人が死んでいた部屋だと聞いた。心理的にも物理的にも使いづらいため、それら三部屋は閉鎖されている。
我が推理研の現状部員数は二十名。三名は四年生で、実質的に引退したも同然。残る十七名の内、元々都合が付かずに合宿参加を見送ったのが四名。十三名はまだ多い。かれこれ三週間ほど前に、推理研ならではの知識を問う筆記クイズやゲームで競い合って、三名をふるい落とした。質・量とも凄くて、僕なんか終わってからしばらく経って、右手小指サイドの側面(小指球と呼ぶらしい)が真っ黒になっているのに気付いて、結構びっくりしたよ。知らない内に、強い筆圧で書いていたんだなって。
かように熾烈な競争?を経て、今回の合宿に参加することになったのが、次の十名だ。
三年生
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二年生
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一年生
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疑り深い向きに申し上げておくと、上に記したフルネームによる人名と、それまでに登場してきた名字のみで記述した人物とが、さも同一人物であるかのように思わせて実は別人だ等という詐術は用いていない。たとえば、三年生の上岡勇竜と関西弁で喋っていた上岡さんは紛れもなく同じ人物である。
「おーい、和但馬君、何してる? 早く来てくれ。部屋割りするの、君だぞ」
おっと。これはのんびりしていられないな。先輩に呼ばれたら、何を置いても急ぐのが新入部員のつとめというものだね。
さて、ここで未来予告めいたことを書くのはおかしいかもしれないが、敢えて書くとする。
この合宿中に、とんでもないサプライズが待ち受けていようとは、彼らは知る由もなかった……。
※以下、十鶴館とその周辺における出来事の記述は、フェアプレイの精神に鑑み、三人称一視点を採る。サプライズがあることを知る人物の一人称描写では、アンフェアになる恐れが高い故。
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