第2話 夏合宿

 八月。僕ら推理研の主要メンバーは、瀬戸内海を行く船の上にいた。大学は二ヶ月間の休みに入り、部活動は合宿の季節だ。

 実は正式に入部してから間もなく、部活中に部長を始めとする三年生から「君らは運がいいぞ」と唐突に言われたことがあった。何の話かと思ったら、夏期休暇の間に行われる合宿旅行についてだった。

 例年通りなら近くにある大学所有の宿泊施設にて二泊三日のミステリ漬けだそうだが、今年はOBから多大な支援があったと言う。

「我が推理研の歴史は案外古くて、前身の〇〇大学の頃から続いている。だからというのも変だが、思いも寄らないビッグネームが名を連ねているんだ。推理作家の永源遙一えいげんよういちを知ってるだろう?」

 知っているも何も、大衆人気では推理作家の中でトップテンどころか五本の指に入るくらいの売れっ子である。まさか、あの永源遙一がうちのOB?

「本名を永原立芳ながはらはるかといって、れっきとした大先輩だ。卒業して二十年の節目に、古巣に大変な贈り物を用意してくださった」

 わら半紙に手書きの名簿、それをまたコピーした紙を見せてもらった。と、多家良さんが右手人差し指を伸ばし、部室内の書架に目を走らせる仕種をしたかと思うと、一冊のハードカバー本を抜き取った。

「確か、この本に本名が載っていたはず……あ、本当だ、永原立芳とあります」

「僕の言葉だけでは信用ならなかったってことかい?」

「いえいえ、とんでもないです。自分の記憶力を確認したかっただけです」

 信用しなかった理由になっているのかどうか、微妙な返答をすると、多家良さんは本を元の位置に差し込んだ。

「ま、贈り物の中身を聞けば、伊達や酔狂でつける嘘ではないと分かるさ。作品の多くがベストセラーになり、映像化は年一以上のペース、果てはキャラクターグッズも展開するほどの人気作家でなければ、館をぽんと購入できるものじゃあるまい」

 その場にいた一年生全員と、二年生の何人かが「館?」とおうむ返しをした。

 部長を始めとする事の次第を既に承知している人達は、そんな僕らの反応を目の当たりにして、満足そうに頬を緩めていたものだ。

「ああ。天才建築家・入善藍吾にゅうぜんあいごがとあるへんぴな場所に建てた、いわく付きの館。その名も十鶴館じっかくやかた

 部長が謎めかして言って、それ以上の情報は教えてもらえなかった。

 そして――。

「ふ、見えてきたぞ。まずはあれが角歪かくわい島で、南西の岬の突端に建っているのが井龍寺いりゅうじ邸」

 加藤部長が進行方向の斜め右手を指し示した。木々の緑と岩肌の灰色とが半々ぐらいの、台形のような小島があり、斜め上に突き出した岸壁に建物が見えた。

「著名なマジシャンの依頼で作られた。非公開だから詳しいことは分からないが、一階建てのように見せ掛けて二階建て、二階建てと思わせて一階建ての部分からなるそうだ」

 僕らが今日進んでいる航海ルートからは、入善藍吾による建築物が複数目撃できるという。その解説が始まった。いわゆる館、お屋敷の類は三つで、どれもよほどの濃霧でない限り、充分に見通せるらしい。ちなみに本日は快晴なり。

「――あ、先輩。次はあれじゃないですか。いかにもそれっぽい」

 中谷さんがいち早く言った。合宿とあってか、普段よりも活発に映る。

「うん? ああ、ご名答だ。あれは禍福かふく館と呼ばれている。あざなえる縄のごとしの“かふく”」

 名は体を表すではないけれども、二本の縄を撚ったようなデザインの長細い塔が屹立し、その周囲を丸屋根の小さなドームがいくつか、囲んでいるのが分かる。

「禍福館……縁起がいいような悪いような」

「そりゃあ禍福なんだからどっちでもないんだろ。名の通った占い師が、入善に依頼して建てたんだが、完成して間もない頃に占い師は亡くなってしまった。墓を隣接する計画が持ち上がったそうだが、遺族が反対したのか手続きが面倒だったか、頓挫している。建物自体は占い博物館的な施設に衣替えし、今でも占い師のファンがちらほら訪れるという」

「占い師は確か病死でしたよね。高齢で、肺炎をこじらせたとかニュースで聞いた覚えが」

 僕がうろ覚えの記憶を引っ張り出すと、斜め前にいた副部長の実光先輩が頷いた。

「そうよ。推理研としては、殺人か、少なくとも変死であってほしいなんて願っちゃいけない」

「分かってます。でも、僕らが泊まらせてもらうとこは、正真正銘、殺人事件がかつてあったんですよね?」

「そう聞いているわ。もう少ししたら、左手の方に見えてくるんじゃないかしら。ねえ、加藤君?」

 実光先輩が念押しする口ぶりで尋ねるのへ、部長はしばらく無言で前方を見た。そして振り向くと、おどけた仕種で肩をすくめる。

「君の言うもう少しがどれくらいなのか量りかねるので、何とも答えようがないな」

「意地悪ね」

「そんなつもりはないよ。正直なところ、操縦している人に聞くのが最も正確な答が得られるに違いない」

 僕ら推理研の面々が乗っているのはクルーザー船で、多分、大型の部類に入る。操縦しているのは、箕輪段四郎みのわだんしろうという三十前後の男性で、部長ら数名を除いて今日が初対面である。永源遙一の内弟子兼アシスタントみたいなことをしており、長編デビューこそしていないが、短編がアンソロジーに採用された経験が何度かあるという。今日は師匠に言われて、僕ら学生の送迎係を務めてくれている訳だ。ご苦労様です、恐縮ですとしか言いようがない。

 ただ、箕輪氏当人は好きでやっている様子。明るく快活で、硬すぎず柔らかすぎず、ほどよい常識人と言ったところが、ここまで見てきた印象だ。唯一、前髪の一部を赤く染めているのが異様と言えば異様だけれども、本人曰く「先生(永源遙一)に、他人様に覚えてもらうために外見で目立つ要素を一つこしらえておけと言われたので」とのことだった。

 さてその箕輪氏、部長達のやり取りが聞こえた訳ではあるまいが、さらにいくつかの小島を左右に通過し、そこそこ進んだところで「もうじき見えてきますよ! 十鶴館が」と声を掛けてくれた。

「どうも! ――多分あれやね」

 操舵室の近くにいた上岡先輩が礼を返してから、前を見て当たりを付けた。

 それは、海辺に建つ西洋館だった。

 まず場所は丸くくぼんだ入江になっていて、砂浜は少ない。すぐ後ろに森と山がそびえている格好だ。その山に張り付くようにして、二階建てのお屋敷があった。

 蔦が絡んで幾重にも壁を這っているらしく、森の緑と見分けづらいほど。かろうじて、壁の色は白だと分かった。屋根は茶色かな。何にせよ、そこにあると知っていない限り、見過ごしてしまいそうな、それでいて一旦気付くと大きな存在感を有する館だった。

 その場にあるのかないのか、が朧気な……だから“じっかく”館? まさかね。駄洒落にすらなっていない。

「あそこが巣座島すざじまです。予定通り、いい時間帯に着けました。乗り降りに比較的苦労しなくて済むと思いますよ」

 箕輪氏が目視で何か確認してからそう言った。すぐには意味を飲み込めなかった僕はよほど難しい表情をしていたのだろう、上岡さんが解説をしてくれた。

「潮の干満のことやと思う」

「しお?」

「加藤から聞いてた話やと、このまま港に入るそうや。まだここからじゃ、しかとは見えんけど、形ばかりの木製桟橋があって、そこにクルーザーを横付けする。出入り口と桟橋それぞれの高さが合わんと、下船するのに往生するんやろうな、多分」

「その通り」

 加藤部長が会話に加わった。

「ついでに言うなら、もっと行った先に立派な港があるんだが、そこからは十鶴館まで距離がある上に、とんでもなく険しい道を徒歩で行く必要があるんだとさ。さらに去年の台風で吊り橋が落ちる等して、修繕されないまま放置されているらしい」

「それってつまり……実際に十鶴館に出入りできるのは、今見えている港からのみってことになりますね?」

「ま、そうだね。ヘリコプターでもあれば別だろうが、さすがに現実的じゃない」

 部長が答えたところへ、王子谷が割って入ってきて、ぼそりと聞く。

「永源遙一先生なら、ヘリを所有していても不思議じゃないのでは……」

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